パリ・オペラ座バレエ団『ジゼル』@東京文化会館
二月二十八日のソワレに行きました。この前日がドロテ・ジルベールのジゼルとマチュー・ガニオのアルブレヒトで、チケットを取るときかなり迷ったのですが、レオノール・ボラックのジゼルとジェルマン・ルーヴェのアルブレヒト、とくにレオノールのジゼルが見たくてこの日に。
当日の配役表にさらっと凄いことが書いてありますが、オペラ座の公演として262回目の『ジゼル』だったようです。
新型コロナウイルスの影響で公的行事が次々中止・延期になるなか、主催のNBSは「これだけの措置をして感染したら、むしろ来る途中の公共交通機関での感染を疑うよね」というくらいの、かなりの態勢で公演してくれました。
今夜は東京文化会館でパリ・オペラ座バレエ「ジゼル」でした。このご時世ですから開催が危ぶまれましたが。引っ越し公演という性質上、出演者、関係者、衣装大道具小道具その他もろもろ全て準備整っている昨日な時点で、中止、延期は難しく、厳重注意のもと開催でした。(続く) pic.twitter.com/OrpAtktmJ1
— 神戸万知 Machi GODO (@machigodo) 2020年2月27日
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そもそもクラシック音楽やバレエの公演の場合、ロックやアイドルのコンサートとは違って、踊って汗その他の体液が飛び散ったり、コールで唾液などによる飛沫感染の心配がない催しというのもあり、わたしはマスクの予備、目薬持参であまり気負わず公演を楽しみました。
ーー大きさは関係なく、小さくても閉鎖された空間だと危険ですか?
お話しなければリスクは低いでしょう。クラシックコンサートは別に喋らないですね。ロックコンサートや野球は叫びますよね。(中略)拍手はいいんですよ。大声の応援やヤジはダメですが。
舞台は装置や衣装含め素晴らしく、レオノールも期待以上に凄かった! レオノールの一幕、ジゼル狂乱の場は、二幕でそのままミルタになってしまいそうな激しさ。それだけ愛していたからの狂乱で、それだけ愛していたからの二幕でのミルタやウィリたちから守り切る、という説得力があります。
あと二幕のウィリになったジゼルに「そういう解釈もあったか!」と目からウロコ。これまでの他の人の同じシーンで、ミルタの呪術で踊らされているシーンだと長年、思って見ていたところが、ミルタへの抗議と抵抗、懇願の踊りになっていました。そりゃミルタも途中から「アーアーキコエナーイ」ばりに「見ーまーせーんー」と体ごと顔を背けるわけですよね。
公演から一夜明けても忘れられないのが、二幕終わり、去り際のレオノール・ボラック。仕草から放射されるアルブレヒトへの愛と、ミルタの怨みに侵されつつあるような若干恨みがましい光の宿る目付きの、アンビバレントな表情。「わたしがまだ『わたし』であるうちにお別れしたい!」というゾンビ映画的なものを感じました。
そしてこんな感じではけて行ったのに、直後のカーテンコールではもう下のインスタの晴れやかな表情に戻ってたっていう。アルブレヒト役のジェルマン・ルーヴェもとてもよかったです! ハンサムの系統的にも脚のラインの美しさ的にもマチュー・ガニオ的なものを受け継ぐ感じで。
ミルタのオニール八菜は最初出てきて一人で踊るところは可憐で「いやミルタよりジゼルでは? いやシルフィード?」と思うほどでしたけど、一人で楽しく踊った後に手下のウィリたちを呼び出してからの威厳に目を見張りました!
しかし二幕のウィリたちの足音……。キツネ狩りの馬が獲物を追って走っているかのような、カッカッカッカッというトウシューズの音は、実体のないはずのウィリとしては、どうなのか……。コール・ドの揃いかた含め、東京バレエ団のほうが素晴らしかったなあ、と思ってしまいます。いつだったか、ギエム主役の『白鳥の湖』のときにやっぱり白鳥たちの足音がすごくて、「いや自力でロットバルト倒して逃げられるでしょ?」と思ったことを思い出します(苦笑)。またギエムが足音はしないけど強そうなので、一緒に見に行ったお友達と「隊長は音を立てない接近戦に強いタイプ?」とか終わってから言い合ってました。今回のジゼルでは、一幕は音楽が賑やかなのでそれほど気になりませんでした。やはり実体がないはずの二幕であの足音は……。
#パリ・オペラ座バレエ団 2020年日本公演初日が終了しました。本日ご来場くださった全てのお客様にダンサー、スタッフ一同心より御礼申し上げます。こちらは本日の主な出演者たち。そして指導のイレク・ムハメドフと、芸術監督のオレリー・デュポンです。 #POBinjapan @BalletOParis @DorotheGilbert pic.twitter.com/dq3jDtateK
— NBSバレエ(日本舞台芸術振興会) (@NBS_ballet) 2020年2月27日
そして今日、残念というか予想外だったのはヒラリオン役が厭な奴に見えなかったことでしょうか。上の公式ツイッター画像の三枚目のオドリック・べザールさんが一幕最初にヒラリオンとして登場するのですが、「あれ? 粗野で厭なやつじゃなくない? ほかの村人?」と思ってしまったほど。
というのも、これまで見たヒラリオンは、ジゼルとその母に獲ってきた野鳥を、まあ、体の弱い設定のジゼルのためなのでしょうが、「どうだ!」となかば押し付けるかのように渡す田舎の下品で粗野なやつ、という演出が多かったのです。
けれど、この回のヒラリオンはジゼルが好きすぎて家の扉を叩けなくて、扉の外に持ってきた花束をそっと置いて去るのですよね。心優しい田舎の青年、という感じです。だこらこそ二幕でウィリたちに追われる仕打ちの理不尽が際立つともいえますが。なお今日の回では、ヒラリオンが本当に殺されたかは、ちょっと疑問が残る感じでした。疲弊させられて追い出された感じ?
逆に一幕でヒラリオンが去った後、登場したアルブレヒトは、偶然か演出かはわかりませんが、ジゼルを家からおびき出そうとうろうろしているときに、この花束に踏みそうに足が当たるのです。
それを見て、「あー、こいつ身分が高いからって周囲に遠慮がなくて、悪気なくこういうこと繰り返してるんだろうな……」とアルブレヒトに対して思ってしまう。まあ、そんなやつじゃなきゃバレるような生活範囲内で二股交際したりしないよね。
なおアルブレヒトは二幕でも、最初にジゼルがウィリとして登場したときに投げ上げて地面に落ちた花を拾うとき、やはり一輪めを踏みそうになるんですよね。気遣いができないタイプのアルブレヒトっていう演技なのかな?
ほかにも演出なのか、意図せざるものなのか考えてしまうところがありました。たとえばバチルド姫から下賜されて首にかけたペンダントのトップを服の胸のなかに入れてアルブレヒトと消えたジゼルが、戻って来たときにはそのペンダントトップが胸から出ている。そして狂乱の場面で自身の胸からウエストにかけて汚らしいものをぬぐうように手を上下させるのは、アルブレヒトに触られたからなのでは、とか妄想してしまうのです。
ところでまだ見てないけど映画『ミッドサマー』って、もしかしてジゼルが愛によってアルブレヒトを許さないパターンの『ジゼル』? というのもウィリたちが踊るときって、音楽は長調の楽し気な「祝祭」的なものなんですよね。邪魔者が侵入してきたとき以外は……。