読んだり食べたり書き付けたり

霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

パリ・オペラ座バレエ団『オネーギン』@東京文化会館

先週の厳重な体制に加え、「舞台の出演者に対するブラボーなどのご声援は、飛沫感染防止のため必ずマスクをご着用のうえでお願い申し上げます。」などの注意事項が加わっての公演。

www.nbs.or.jp

マチュー・ガニオのオネーギン回と迷って、ユーゴ・マルシャンのオネーギンとドロテ・ジルベールのタチヤーナ回にしてよかった。ユーゴの冷淡演技と情けなさ演技のコントラストと、終幕のドロテのど迫力に満足! 最初のカーテンコールでは二人ともほんとにたった今、断腸の別れをして、そのショックから抜けてないような虚脱の表情が凄かった。

www.instagram.com

ドロテは前半の少女時代は可憐、後半の公爵夫人となってからはあでやかで、姉の婚約者の死を乗り越えて成長せざるを得なかった時間を感じさせます。

その公爵夫人とオネーギンが再会する後半の舞踏会では、ユーゴの身長の高さが余計に情けないオロオロぶりを引き出してた気がする。前半では上背の高さは自信満々に見えたのが、後半では口髭を蓄えてはいるけども、年齢なりの貫禄がついていない薄い感じがして……。背の高さって、こういうふうにも作用するのか、いやユーゴが左右させてるのか! と新鮮な驚き。

www.instagram.com

ちなみにグレーミン公爵役が先週、ジゼルを見たときのヒラリオン役だったけど、最初からカッコよすぎで、話が違う〜w と思う。オドリック・ベザールはこういう、主役カップルの障害になるような脇役に似つかわしくないハンサムさん。
なお生オケはジゼルのときと違ってかなりボロボロで……。開演前の音合わせで外れてたので、ダメだろうな、とは思ったけど、予想通り。ジゼルのときもよかったわけじゃないけど、今日みたいにぱふぉ、とかフュ、とか頻繁に音が外れてはいなかったからなあ。

www.youtube.com

……ところで、結局シュツットガルトでもパリオペでも、オネーギンが来た時にマチュ―・ガニオのオネーギン回を逃して別の贔屓のオネーギン回を見ているんですけども、マチュ―のオネーギンって、前回書いたのとはまた別の妄想が膨らみそうで避けてしまうのかも。

mmc.hateblo.jp

いろいろな方のマチュ―回の感想を読んでいて気づいたのですが、マチュ―が演じるオネーギンって、厭世的すぎて投げやりになって親友を決闘で亡くすにいたる、というのではなくて、サイコパス的にあの優雅な微笑みのうちに周囲を壊していくのでは、と妄想してしまうんですよね。

なんなら、見たあとで記憶が書き換わって、マチュ―オネーギンがあの優しげな笑顔で少女タチヤーナの恋文を破って返すとかしていたことになってしまいそう。ああ、やっぱりあまりにも美しい人は、ストーリーを歪ませるのだな……。いや、そんなのわたしだけでしょうけども。もっとこう、レンスキーとオネーギン、どっちが受けか攻めか、とか平和なBL妄想がしたい。