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コロナ禍下の生活 :近未来編

「前回の抗体検査の結果をお願いします」
「診察券番号は」
「00002501」
「合言葉は」
春の祭典
電話の向こうで主治医が笑う。
「ふふっ。ベジャール 。さて今回も陰性でした。引き続き今まで通り、予防しながら生活をしてください」
「はい、先生もお気をつけて」
ふふっ、とまた主治医は笑いながら電話は切れた。小春日和の汗で湿ったスマホの表面を拭いてポケットに仕舞ったのが三か月前。

新型コロナ禍で、通勤通学者の定期的な抗体検査が義務付けられ、健康保険で検査代がカバーされるようになって一年。業務内容や勤務状況にもよるが、一か月から三か月の間隔で多くの人が抗体検査を受けるようになった。勤め人の場合は勤め先の決定に従い、それより高頻度で受ける場合は半額が自費となる。

内勤だからか勤め先に三か月に一度と決められた抗体検査を受けにもとからかかっていた主治医のところに常用薬の処方箋をもらいがてら行っている。正午前ということもあるのか、住宅街にあるクリニックに着くまで、ほとんど誰にも会わない。たまにコクーン型のスクーターに乗った警官とすれ違うくらいだ。

クリニックに着くと診察券をドア横のパネルにタッチし、その下に設置された自動消毒器の下に手を入れると、消毒液が噴霧される。手に擦り込み終わる頃にドアが開く。

短い廊下の天井から噴霧される水蒸気を受けながら診察室に着くと、アクリルの衝立越しに診察を受け、向こう側に看護師のいるのであろう壁の穴に腕を突き入れて血液を採取される。二日以内に出る結果を聞くための合言葉を検査申込き込んで自動精算機で会計を済ませると、規定の薬局に常用薬を受け取りに行く。薬局にはクリニックから処方箋がメール送信されているので、薬が揃うとスマホに知らせが来る。その時間が少しかかる間に公園に足を踏み入れた。

晴れた青空のもと、冬の間に落ち切らなかった枯葉を着けた木の下で親子が遊んでいる。幼稚園に入る前なのだろうか、マスクを着けずに子どもが遊んでいる横で、親はマスクを着けてスマホを弄っている。ママ友とランチの約束でもしているのだろう。なにしろ最近は、どこでも事前に予約を入れておかなければ足を踏み入れるのが難しい。

ピコン。スマホが鳴った。薬局に向かい、自動消毒器の下に手を差し入れ、アクリルの衝立越しにやり取りをして自動精算機で会計をすると、お釣りの出口横が開いて常備薬が出てくる。会計は電子マネー利用者がほとんどなのだろう、釣り銭出口にはうっすら埃が積もっていた。自分でも最後に硬貨や紙幣に触れたのはいつだろうと考えてみたが、思い出せなかった。

ピコン。スマホが鳴る。ほぼすべての予定はスマホの予約済み予定欄に入っており、時間になると知らされる。薬局を出て予約を入れていた中華料理屋に行き、ドア横のパネルにスマホでタッチし、自動消毒器で手を湿らせ、とろろ麻婆豆腐丼を食べる。この店にランチタイムに来るのは三か月に一度以下だ。食べ終えて自動会計時に映画館のもぎりのようなアクリル衝立の向こうの店主を見ながら「けっこう入ってるじゃない」と言うと「いやぁ、夜はさっぱりで。もう昼と配達専用にしようかと」などと言う。「ええ、それは困るなあ。それにここに来る人って基本的に一人客じゃない」と言うと、「まあここらへんはそういうお客さんまだいますから、なんとか夜営業やってるんですけどね」と苦笑いされる。「ああ、白飯増量になるんですけど、夜は麻婆カレー丼も始めたんで、よかったら」。ああ、それは良さそうだな、近いうち予約を入れよう、と思う。なにしろ刺激というものがない生活なせいか、めっきりスパイス系の料理を摂ることが増えた。

店を出た直後にスマホが鳴る。店の脇の駐輪場で「消毒済み」パネルにスマホをかざすとロッカーが開く。中からゴーグルとヘルメットを出して装着、電動自転車に乗る。さいきんは電動部分は作動させずに、それを負荷として漕いでいる。隙あらば運動するようにしないと心肺機能が落ちるのではないか、そうなると何世代目になったのかもはや把握できていない新型コロナにかかった時にどうなるか、と考えながら。

オフィス脇の駐輪場に電動自転車を返却して出社すると、空気を入れ替え続けるという意味で空調の効いた室内で、アクリルの衝立がブロイラーの飼育工場のような執務室に入る。このオフィスだけではなく昨今はどこでも、ビルの一階、オフィスの入り口と二段構えで自動消毒器とミスト噴霧場がしつらえてある。同僚とはほとんどはslackで会話をし、直に声を交わすにしてもマスク越し、アクリルの衝立越しで、飛沫感染の可能性なく勤務を終える。オフィス内側の自動消毒器を使い、ミストを浴びて最寄駅へ。ピコン。予約してあった通勤電車の自席に乗り込む。コクーンと呼ばれているコンパートメントで、仕切りはやはりアクリルだ。以前はプライバシーが保護される木製タイプなどもあったと効くが、閉所恐怖症の乗客が倒れたりなどいろいろあって、他の都市はわからないが東京発着の通勤電車では透明タイプに条例で統一された。これがリゾート列車のファミリータイプのコクーンなら、ある程度広さもあるし、用途が余暇だからそれほど問題はないのかもしれないが、こちらは眺望を考えてか最初から透明タイプの仕切りだ。

コクーン内部も当然、空気入れ替えという意味で空調が効いている。その空気の入れ替えの微かなコーッ、コーッという動物の呼吸音のようなそれを聞いていると眠くなる。眠ってしまっても自宅最寄駅に着く前にコクーン自体とスマホが知らせてくれる。

ファミリータイプのコクーンには乗らずじまいだったな。ふと明日の母とのリモート面会を思い出す。最近はコロナで重症といわれる部類になっても、喉を切開する必要がなくなった。患者はコクーン内で点滴程度の設備で適切に酸素を供給される。だが、一度重症となってコクーンに入って酸素点滴に繋がれると、体力の回復が見込める若者はまだしも、母のような老人はおそらく死ぬまでそこから出られない。また、見舞い客にしてもコロナ専門病院への出入りはご遠慮お願いします、とのことで、会話を交わすのは母の体調のいい週に一度程度、リモート越しだ。

三か月に一度の主治医とのアクリル越しの会話や、馴染みの中華料理屋の店主とのそれに比べて、母の実在はリモート面会を重ねるごとに薄くなっている。このままだと、母の実在を次に実感するのは亡くなった母が消毒措置されてからの面会時なのではないだろうか。

その前は? ファミリータイプのコクーンが存在するずっと前、家族で新幹線に乗って旅行した思い出がとつぜん蘇る。車内にアクリル板はどこにもなく、誰もマスクを着けず、車内販売で買った弁当を通路を人が行き交う中で開けて食べていた。もう何十年も前のようだが、十数年前でしかない。しかしそれ以降、コロナが世界を席捲する前の母との思い出が出てこない。そして、コーッ、コーッというこの空調の音が、毎回の母とのリモート面会の時に画面の向こうからも聞こえていたことに思い至る。

ピコン音と共に最寄駅に着き、駅構内でロッカーに入ったクリーニングの済んだ衣類を受け取り、ニュースをチェックしながら歩く。「華社、コクーン外殻樹脂の再利用化に道筋」「アップル社、管理アプリの次回アップデート期日を発表」。

世界はコロナとコクーンスマホに覆われている。正しくは、ウイルスを滴らせるコロナの大きな雲の下で、人類だけがコクーンとコロナの二重の傘をさして綱渡りをしている。その傘を、中国とアメリカが牽制し合いながら開発し、進化させ、統治に利用している。中国の漁船を装った監視船や、アメリカの中東地域での挑発はめっきり見られなくなった。もう、そんな必要がないのだ。両国とも「傘をその地域から引き揚げる」素振りさえすればいいのだから。

昼間、公園で見た枯れ葉をつけたままの冬木立を思い出す。秋の間に葉を落とし切らず、ピコンという音に急かされることなく、冬が終わる今になっても枯れ葉の装いのままのその姿が、なんだか羨ましかった。

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※「月刊暗黒通信団注文書」2020年12月号初出、一部改訂