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三つの『赤い靴』

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来日予定だったのが新型コロナ禍で中止になったマシュー・ボーンの『赤い靴』を映画バージョンで見た。このご時世で以前のように隣に他人がいての映画鑑賞はちょっと控えたいというバレエ好き、映画好きが、ル・シネマでの座席を市松状に間引いての上映に殺到しているのか、それとも一日一回上映だからか、連日チケット予約は争奪戦状態。好評を受けて二月十九日からは一日三回上映決定、三月にもアンコール上映が決まった。


マシュー・ボーンの『赤い靴』 舞台が出来るまで

 

華麗な表現で語られる、芸術を生業にした時に生活とのバランスをどうやりくりするか、という泥臭いテーマは原作映画そのまま。自分がそういう方面のプロじゃなくてよかったと思わず安堵してしまうほど怖い。アンデルセンの『赤い靴』でもあり、1948年のイギリス映画『赤い靴』でもあり、バレエ・リュス抄でもある。


映画『マシュー・ボーン IN CINEMA/赤い靴』予告編

 

ただ、帰宅して原作映画を見てみると、マシュー・ボーン版は原作よりエピソードや人物描写を整理していて、芸術のために突っ走る異常者具合が若干、マイルドになっていることに気づく。というか、原作映画は今見ると芸術は爆発ならぬ、芸術は狂気、という恐怖に襲われる。

ところでこの1948年制作の映画、日本公開はわたしが生まれるより前の1950年、テレビ放映は1971年だそうだけど、それよりあとにどこかで見た気がする……。バレエ映画特集番組とかで抜粋を見たのだろうか。そしてその時は、才能あるバレリーナであっても結婚したら主婦業に専念するのが「ふつう」という旧来の価値観にどっぷりはまっていたので、悲劇具合をよく理解できてなかったのが、2021年の今見ると、バレエ団長レルモントフより主人公と結婚して独占しようとするクラスターのほうがヤバい、ヤバすぎると寒気がする。端的に言って、ストーカー。

もちろん怖いだけではなく、貴族のパーティもバレエシーンも電車の個室の内装も南仏のホテルも万年筆などデスク回りのものも美しく調えられていて、贅沢な気分に浸れる。それと同時に日本語字幕の間から漏れ聞こえる英語のセリフ回しも、箴言的なフレーズのカッコよさが刺さる。それだけに、劇中バレエ版『赤い靴』のラストと重なる映画の結末の悲劇性がより引き立つのだった。あとレルモントフの朝食シーンは『カリオストロの城』の伯爵の食事シーンの元ネタだと思ってる。


『赤い靴:デジタルリマスター・エディション』予告編

 

赤い靴  デジタルリマスター・エディション [DVD]
 

 

ところでこの二つの映画の原作であるアンデルセンの『赤い靴』は、小さい頃読んで、「そんなことで教会に入れなくする神様って狭量だな」と思ったものだが、だんだんとあれは「神の家としての教会」ではなく「人間がうごめく村社会の象徴」なのだろうな、と思うようになった。アンデルセンのこの童話の創作裏話を知って、その思いはさらに深まり確信になったとさ。

あかいくつ (いわさきちひろの絵本)

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