わたしには故郷がない
わたしには故郷がない。これは、生まれた国が地図上にもうないとかそういう話ではなく、ホームタウンといえる場所がない、という意味だ。
小さい頃のことを思うと、理想とされる町に住んでいたのだと思う。その町というか住宅街は日当たりのよい丘の上で、高速道路が遠くに見えた。高速道路の下には川が流れていて、そこにかかる橋を渡ると地下鉄の駅がある。
近所はお屋敷だらけ。遊び仲間には大使館勤めの親を持つ、日本語のとても流暢なインド人兄妹もいて、車といえば住民のそれしか通らない道いっぱいに広がって楽しく遊んでいた。進学する小学校が決まるまでは。
近所の小学校がオープンスクールをするというときに自分も遊びに行こうとしたら、遊び仲間が言うのである。「春から通う人しか行っちゃいけないんだよ」。わたしがその町から地下鉄と国電(昔はJRのことをそう言った)を乗り継いで行く、区外の私立の小学校に進学することは、いつのまにか知られていた。それ以来、その町の道端で遊ぶことはなくなった。
それでも、もともと虐待親に迫害されて家の外に出されて泣いていたときに声をかけて仲間にいれてくれたときの、意外な気持ちとありがたさは、今でも覚えている。というのも、虐待されていて自己肯定感が低まっていたので、「誰かが自分と遊びたがる」ということが、まったく思いの外だったのだ。
しかし、地元の小学校に通わない、ということでその遊びの輪から外されてしまったので、わたしはまた虐待とネグレクトを受けてその町で小学生時代を過ごした。いい記憶がないせいか、あまりこの町の詳細な記憶がない。
その後、父親の転勤で引っ越した先は、海の近くの町だった。そこも水族館や繁華街、文化的な施設が近く、憧れの町ともいえる場所だった。
しかし相変わらずわたしは虐待されていたので、この町での記憶もあまりない。この町の中学で知り合い、今でも付き合いのある親友がいろいろ覚えているのには驚かされるが、どうもそれがふつうなようなのだった。
この町では高校卒業までを過ごしたが、ここでの虐待は殴る蹴るというものではなく、依怙贔屓などのモラハラや経済DV、虐待親の気に入らない友達との連絡を断つ、描いた作品を破棄される(文字通り破り捨てられていた)などの精神的なものが多かった。
勉強して遠方の大学に進学することで逃げ出さなければと思ったが、そうした精神攻撃で不眠症になったりなどしてあまり捗らず、大手を振って出ていけるような進学先にはならなかったのは残念だ。
いま、その町の家は買い取られてちょっとした文化施設になっている。「女三界に家なし」というが、自分が女だと自覚する前から家=Homeなどなかったわたしの実家が、今では人の住まない用途になったことは、なんともふさわしい成り行きに思える。
なお、今は山脈のような本に囲まれた借家でわりあい心安らかに暮らしているが、住んでいるこの町に愛着があるか、というと、あまりそうも感じない。幼児期にそのような愛着を感じる余裕なく、虐待に晒されていたせいかもしれない。理想や憧れは常に、自分が虐待されているこの場所から離れたところにあると思うようになったのかもしれない。
あるいは、愛着を持つと裏切られるのが怖いのかもしれない。部屋の中だけのものへの愛着なら、たとえば家事や洪水で失っても時間をかければ立ち直ることができるかもしれないが、町そのものを失うことになったら、それはなかなかリカバリーが難しいことだろうとも思う。
そのせいか、旅行で二日以上、同じ宿に泊まって、そこがいいところだなと感じると、「ここに住んでもいいかな」などと現実離れしたことを思う。それでも実際に住み始めたら、そこも理想や憧れの地ではないとすぐに気づくのだろうけど。なにしろ、旅と日常は、切り花と鉢花、植え木ほどに違うものなのだから。
ふと、カール・ブッセの詩を思い出す。幸いが住む理想の町、憧れの街は、常に遠くにあって、近づけば逃げ水のように蒸発し、残るのはコンクリート色の日常ばかり。
山のあなたの空遠く
幸い住むとひとのいう
ああ、われひとと尋めゆきて
涙さしぐみかえり来ぬ
山のあなたになおとおく
幸い住むとひとのいう
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【気になる言葉】足蹴り/ポーク/豚コレラ
十か月ぶりに戻ってまいりました、「気になる言葉」シリーズ。今回も複数セットでお送りします。
◆足蹴り
足蹴にする、からの転用なのだろうか。しかし、蹴るのは足で行う以外にどこでできるのかというとを考えると、「朝の朝食」のような重複表現なのでは。
膝蹴り、の場合は足もしくは脚のどこで蹴っているのかを明確化していると思われるので、足蹴りのような違和感はないのだが。
◆ポークは豚か豚肉か
混んだ通勤電車で見るともなく網棚上の広告を見ていたら、気になるところが何点か。
(1)「アメリカン・ポーク」と書いている同じ欄で「国語」と書いたら、それは「米語」だと思われないだろうか? 「日本語」じゃダメなの?
(2)下線はない。
(3)ピッグ(豚)ではなくポーク(豚肉)の時点で、豚のキャラクターのような生体ではなく、すでに食肉として加工されたものが輸送されてくるはず。食肉加工された豚肉の考えていることがわかったら、怖い。
◆豚コレラ
豚コレラ。この言葉が最初に文字としてみなさんの前に登場したとき、どう読むと思いましたか? わたしは「ぶたこれら」だと思っていました。というか、今も新聞で「豚(とん)コレラ」とルビが振られていると、「あ、そうだ、トンコレラだった」と思うくらい。
でも変だなあ、それなら「鳥インフルエンザ」は「とりいんふるえんざ」じゃなく、「ちょういんふるえんざ」と読むはずでは? でもこれだと「蝶々が媒介するインフルエンザ」と間違われるか。それにしても「とんこれら」って「とんからり」みたいで、隣組の歌が脳内でリピート再生されてしまいます。
アイヌ語における「上野」
もう先々月になってしまった北海道旅行、着いてみたらアイヌ推しのホテルでした。館内着から館内装飾、ギャラリーやら浴室名やら、阿寒湖のアイヌコタンが近いのもあってか、何やらかにやらアイヌモチーフが頻出。館内で前回の東京オリンピック時に二十歳だったというアイヌの古老の語り部の時間が毎日あったり。
その語り部の時間が始まる前に偶然そのギャラリーを通りかかったら、語り部ご本人に呼び止められたのでお話を聞きましたが、ほんの三十分のお話で、金カム既刊全巻を超す焦燥感を味わうことに。
特にぐさっときたのは、「北方四島とか二島返還とかいうけど、北方十九島にいて、ソ連参戦で着の身着のままで根室に逃げてきた一万七千人のアイヌのこと、どう考えてるんでしょうね、偉い人たちは」という話。「一人も自分の島に帰れていないし、十年前に調べたら、一万七千人のうち、一万一千人はもういなかった、亡くなってました。今はどれだけ残っているか」とのこと。「北方領土返還の話で、アイヌの『ア』の字も聞いたことない」とも。
以前、ハワイでもそう感じたのですが、先住民のデザインしたモチーフを前面に押し出したホテルに泊まると、なんともいえない気持ちになります。マジョリティの側が、かつてのマジョリティが迫害した人たちやその文化を、「すみません、(私たちの考える)文化の多様性に、やっぱりあなた方とその文化は必要でした」と言っているようで*1。
もちろん、知らないより知る機会がある方がいいけれど、こういう出会い方しかできないのが哀しい。古老には気に入られたのか、お話の時間が終わっても、全国各地や東京に残るアイヌ語の地名とその意味など、アイヌ的アースダイバーなお話をしていただきました。
そして翌日にお土産店で買ったアイヌ単語集に、この番外編で聞いたばかりの「上野」の説明がばっちり載っていて大笑い。お話のときには「不毛」という言葉ではなく、「どうにもならん、ぐだぐだの使いようのない土地」というようなことを言っておられました。
古老曰く、「上野で高層ホテル建てるとかいって基礎を打とうとしたら、全部ズブズブ沈んでいって、しかたなくコンクリートで固めてビル建てたってことがあったけど、あんなのアイヌにとっちゃ当たり前のことさ!」。なお、悪口は基本的にアイヌ語で、だそうです。
読書妄想『こんな雨の日に 映画「真実」をめぐるいくつかのこと』
読書しているときに、本題とはたぶんあんまり関係ない寄り道的なエピソードに引っかかって、そこから妄想が始まることがよくある。えっ? 読書中だけじゃないだろうって? ええ、まあ、そうですね。
たとえば道を歩いていてふと見かけた進学塾のこの窓には、BL好きとして理系メガネ東大生の登場するなにかを妄想しかけたりするし。
話がそれた。読書中の妄想についてである。映画『真実』がとてもよかったので、どのように制作されたのか知りたくなって、是枝裕和『こんな雨の日に 映画「真実」をめぐるいくつかのこと』を読み始めたのだが、このページのフランス人女性の意地の張り合いに、ふと30年近く昔のパリの風景を思い出したのに、それは端を発する。
これに似たようなその出来事は、旅先からエアメールで葉書を送ったらさぞかし素敵であろうと、フランス旅行中に一角獣のタペストリーで有名な美術館で買った葉書にたわいもないことを書いて、郵便局の窓口に行った際のことである。
窓口に並んでいると、自分の並んでいる窓口の中と、その隣の窓口の中にいるご婦人が険呑な雰囲気で喋り始めた。その険呑度がどんどん高くなってくる。だが、並んでいる列は遅々として進まない。
そうするうちに、窓口内のご婦人二人は申し合わせたかのように、窓口内の鎧戸みたいのをガラガラ閉めてしまったのである。口論は続いている。並んでいた地元人らしきほかの人たちは「あ〜あ、解散解散」という感じで帰って行った。
わたしは「えっ、日本の郵便局みたいに、ほかの空いてる窓口の人が業務を引き継いだりしないの?」と思ったが、そういう気配はない。
まあ、日本で窓口が営業時間内に閉まるにしても、口論が原因で、ということはないだろうし、たとえば職員が貧血で倒れたとか、窓口が一時的に閉まることへの納得感が伴うと思う。そして奥に座っている局長さんが前に出てきて欠員を埋めたり、お客さんの並んでいない金融業務の職員が郵便業務に回ってきたりすると思う。
が、パリの郵便局ではそういう気配はまったくなく、口論しているご婦人以外はそれまでの業務をただ淡々とこなしていた。
そのときのことをいま思い出し妄想するに、まわりの窓口の人たちがたとえ手が空いていたとしても、下手にあのご婦人の仕事を引き継ごうとしたら、とばっちりで口論に巻き込まれてしまうのかもしれない。
あるいはそれぞれのやる仕事がヨーロッパらしく厳然と決まっていて、手を出すのは却って規則違反に繋がりかねないのかもしれない。
それにしても、あのご婦人二人は、窓口を閉めるほどのどんな口論を繰り広げていたのだろうか。もとからそりが合わない二人で、ほんの少しのことがいつも諍いのタネになっていて、まわりも常連さんも先刻承知なのだろうか。
「ちょっと! あんたの書類がこっちにはみ出てるんだけど!」
「わたしの書類じゃありませ〜ん。お客の書類ですう〜」
「そういうこと言ってんじゃないのよ! あんたの管轄する書類って意味でしょ!」
「あ〜ヤダヤダ、書類がほんの5ミリはみ出てたって、切手売ったりスタンプ押すのに関係ないですよね〜?」
「なんですってぇ? あんたね、前々から言おうと思ってたけど、だらしなさすぎるのよ!」
「そのだらしない女にふられてメソメソしてるような息子がいるそっちはどうなんですかね〜」
「キィー! 今日という今日は我慢ならないわ!」(鎧戸に手を掛ける)
「仕事場で私情を振り撒かないでくれますう〜?」(というわりにこっちも鎧戸に手を掛ける)
みたいな。まあでも窓口であのフランス特有の数の数え方で仕事してたら、イライラしやすくもなるよね、きっと。
モエレ山で親指を挫く
北海道旅行の最終日、モエレ山に登った。モエレ山は札幌郊外のモエレ沼公園にある高さ52メートル、ほぼ左右対称、遠景からはなだらかでのどかに見える人工の山である。そう、遠景からは*1
しかし、このモエレ山、登り始めると途中からいきなり斜度が激しくなる。20%くらいはあったと思うが、さきほどネット検索したら、「最大斜度30%」とあった。うわあ。
だが、こちとらなんとかと煙のクチで、登れそうとみればもう登ることしか考えられない単細胞。わたしみたいな者たちが過去につけた、斜面の草がほぼ直線で山頂まで削れているけもの道のような部分を見つけ、直登した。
麓から見ている分にはこのけもの道、赤子を抱いた親や子どもなども登っているのでハイキング気分だったのだが、いやこれは立派な登山です。スタミナが持つうちにと一気に登りきったところで座り込んだら、ひさびさに膝が笑っているのに気づいた。
平らに整備された山頂の縁に座って息を整えながら札幌ドームなどを眺めていると、直登が難しい人向けだろうか、反対側の斜面に螺旋状の階段を発見、下りはそれで降りた。というのも山頂の縁に座って直登した斜面を見下ろすと、とうてい無事に降りられるとは思えない眺めだったからである。
しかし札幌市民は斜面に飢えているのかなんなのか、赤子を抱いた若い母と、その赤子の兄であるらしき幼児は、その斜面の草を掴みながらも降りていくし、小学生男児三人組は「斜面三人で転がり落ちたらヤベーかな?」などと笑い合っている。男児三人は螺旋状のほうではなく、マヤのピラミッドの階段のように頂上からまっすぐ麓へと続く、なかなか厳しそうではあるが、直登よりは易しそうな階段に去っていったので、他人ごとながらホッとした*2。
ところでその札幌から帰宅して気付いたのだが、右足の親指がおかしな感じに痛い。踏まれた記憶も踏み外した覚えもないのだが、なにかそういう痛みである。なんなのだろうか、と考えて思いいたったのがこのモエレ山である。
というのも、登っているときにアウトドア用ではないブーツを履いていたせいか、激しい斜度のせいか、ブーツのなかで靴下が脱げてきて、おかしな感じに靴底を踏みしめながら登っていたのである。そのときにいつもと違う負荷がかかり、踏みしめるごとに少しずつ親指が捻挫に近い状態になっていったのではなかろうか。
どんな山でも装備は大切、といういまさらながらの教訓を、右足親指捻挫とともに得たモエレ山登山であった。
※「月刊暗黒通信団注文書」2019年11月号初出原稿を改訂
*1:なおモエレ沼公園は東京における夢の島公園同様の来歴を持つ。モエレ山もまた然り。
https://moerenumapark.jp/environment/
*2:どちらの階段も公式ページに写真あり。https://moerenumapark.jp/mountain/
薄荷とアイヌと『動物のお医者さん』の地
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北海道といえば知里幸恵の『アイヌ神謡集』とマンガ『動物のお医者さん』、そして和薄荷くらいしかイメージを持たないわたし。そんなわたしの北海道でのお買い物を淡々と晒していきます。
あと阿寒湖のアイヌコタンで上記の写真左から二冊めまでのアイヌ言語に関する本を買ったお店で、アイヌ紋様のタオルと、上記配布物右から二冊めまでの背景に映る薄手のコットンの長スカーフを購入。
富良野ではジャム。種類がありすぎて迷ったけど、白ワインぶどう、ミックスベリー、ビーツの三種類で手を打ちました。札幌に行ったのに、『動物のお医者さん』モデル大学には結局、行かなかったなあ。
ビーツと乳液
◆玉ねぎ畑にビーツを思う
北海道に行って、空港から宿までのドライブ中に繰り返し見かけて興味深かったものがあります。それは、玉ねぎ畑。
といっても畑には何も生えておらず、収穫された玉ねぎの詰まったコンテナがときにランダムに、ときに固められて、ときには整然と並べられている景色がそれです。
北海道の畑といえば、旅行前にこんなニュースを目にしていました。
えっ、とっくにビーツは北海道の特産になってるのかと思ってたのに、意外!
でもこの玉ねぎ畑を見て何となく納得しました。これだけの面積で北海道玉ねぎっていうブランドが確立してたら、とりたてて新しくビーツをやってみようとは思わないかもしれませんね。ほかにもじゃがいもや、地域によってはメロンもブランドが確立しているわけで。
と、ストーカーばりに玉ねぎ畑の写真を撮ってはいますが、ビーツ大好きなので、ぜひ北海道の特産になってほしい! 生のビーツを茹でて、冷めるまで放置して、里芋を剥くときみたいに包丁を入れてつるっと皮を剥いたのを食べるのは、たまにしかできない贅沢なので*1。
◆爽やかな気候=乾燥
北海道に行ってその必要性がわかったものに、乳液があります。脂性なせいか、お肌のお手入れは化粧水とリップクリームのみ、冬の乾燥時だけジェル美容液などという簡素な方式ですんでいたのですが、今回五日間、北海道にいて、三日目には念のために持ってきた試供品のパウチの乳液を塗っていました。
旅行前に北海道に引っ越した知人と会って、「美容院で三日三晩分の乳液もらっちゃったんだけど、いる?」と聞いてみたら、快諾のうえ受け取ってもらえたのですが、どうやら彼女も引っ越し前は乳液要らずだった様子。それを思い出して、自前の肌だけじゃなく、環境によってもお手入れは変わるという当たり前のことを認識したのでした。
で、帰京してからちょっと乾燥したときにジェル美容液を塗ってみましたが、やはりちょっとの乾燥ではトゥーマッチだったらしく、翌朝起きたら余計な油分でお肌が痒かった……。
ちなみにほんとにちょっとずつしかジェル美容液を使わないので、これの先代を使い切るのに一、二年かかりました。今年の初めに買った65グラムのこれも、まだまだ五分の四は残っています。たぶんこれから冬の乾燥時に使って、春までには使い切る予定。あ、顔だけじゃなくて脚とかにも塗ります。
*1:これ、いまのところ淡路島産のビーツをファーマーズマーケットで見かけない限りはできないお楽しみなのです。