『黒いヴェール―写真の父母をわたしは知らない』
この本は、複雑に絡まった毛糸玉のような書物だ。これは、著者が幼い、しかしものごころはすでについていた時期に、一酸化炭素中毒で事故死した両親への、届かない/届けるつもりのない/届けたいという思いが入り組んだ葛藤の書だ。
またそれと同時に、著者のその思いと著者の父が遺した写真との複雑なコラボレーションの書でもあり、子どものころに(それが故意であれ偶発的であれ)親が原因でトラウマを抱えるに至った人間への直接的な、また間接的なサジェスチョンが顔を覗かせる本でもある。
さて、翻訳が原文の端整さを類推させるほどにスムーズであるのに反して、この本を読み進めるのはあまり楽しい作業ではない。
著者の混乱した両親への感情の記述は、時には雪崩のように、時には陸の見えない海原のような息苦しさを伴って展開するからだ。
しかし、それでも先を読みたいと思うのは、著者が両親の突然の死への理不尽な思いに、どう決着をつけたのかを知りたいと、いつの間にか思わされているため。
ただ読んでいただけのはずの読者を、彼女の半生への伴走者へと変えてしまう、著者の非凡な描写力にわたしは舌を巻く。
そして、「書く」ということの精神分析的な効果(敢えて「癒し」とは言わない。分析によって新たな病巣が発見されるのもまた、この療法の効果のひとつだから)が、いかんなく発揮された結果としての一冊に、驚嘆する。