教会学校における食欲と霊性
かつて小学生のわたしは土曜といえば学校の授業の後に、教会の土曜学校に通っていた。土曜学校でなにをしていたかというと、大学生の「せんせい」たちと遊んだ思い出が99%を占めるのだが、広い芝生で遊んだその思い出はかなり茫洋としている。
それに引き換え、思い出しても鮮やかなのは、カトリックの教義の授業でのあるひとコマ。その授業がレギュラーのものだったのか、堅信あるいは初聖体のためのものだったのか、そういったことはほとんど覚えていない。とにかく、あるとき授業で神父様はこう言った。
「みなさん、人間は肉と霊魂で出来ています」
そのとき、かなり健康的な、肝油ドロップの缶に描かれた男子タイプの同級生が、眠りそうになっていたところからいきなり興味津々という顔になった。珍しいこともあるもんだな、とそのときは思った。
翌週、神父様が部屋に入ってきて言った。
「先週の復習からはじめましょう。みなさん、人間は何でできていますか?」
すると、くだんの健康優良児、手を挙げて曰く
「肉とベーコンです」
お年を召した外国人の神父様の耳には、それは正しい答えと聞こえたらしく、授業はそのまま続行した。土曜学校の卒業文集に、盲腸で入院したときに土曜学校の先生が持ってきてくれた京樽の茶巾寿司が、病院の規則で食べられなかったことの悔しさを書いていた彼は、いつ真実の教義に気づいたであろうか。今でもときどき気になっている。