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朝の声明

天気予報を調べる余裕なく、朝の声明と結縁灌頂に間に合うようにあわてて家を出たら、電車の中で傘を持つ人を多数目撃… 家族と「もしかして、今日って雨?」とあわてて検索したら、一日中80%! 午後は仮面舞踊のチャムがあるし、夜にはキャンドルライトがあるのに、参ったなと思いつつ、でも予報で雨だったけど、直前で上がったデモの時のことなどを思い出して、お寺に向かう。

灌頂は人数制限があり、整理券が必要ということで急いで家を出たのだが、お寺の山門に近づくと果たしてすでに何人かの方が一列に、お堂の縁側みたいになっているところに座って待っている。そこに加わって待っていると、さらに人が増え、縁側では座るところが足りなくなって、ボランティアスタッフの方が素早く縁台を2つ持ってきて設置してくださる。

そのうち整理券が配られ、声明でお堂に入っても終わったらいったん出て、灌頂のために並びなおすという説明を聞いてから、お堂の中へ。まだタンカ (チベット仏教仏画)とダライ・ラマ、先代パンチェン・ラマへのお供えが用意されていない状態で、お供え用のお茶のガラス器が伏せてある。

声明は5人で行われた。一人として同じではない、しかし同じ節が繰り返されるのを聞いていると、砂曼荼羅の制作過程を見ているときに感じたのとはまた違う感じで時間の感覚がわからなくなる。わからなくなりながらも、わたしはチベット仏教徒でも、檀家としての日本的仏教徒でもないので、聞きながら不真面目にも、小さい頃はお経って退屈だと思っていたけど、子どもの頃は美味しくないと思っていたものが、大人になってから好物になったりするように、民俗音楽などを経由していつのまにか声明に魅力を感じるようになっているなあ、などと考えていた。