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マンガとSF

ヨコハマ買い出し紀行 1 (アフタヌーンKC)

ヨコハマ買い出し紀行 1 (アフタヌーンKC)

二か月前に、『ヨコハマ買い出し紀行』を再読し終えた。たった二か月前だけど、もうずいぶん前のことのように感じる。

作品のベースは温暖化のためか海面が上昇して来つつあり、かつ放射能汚染かなにかのせいか、改良種のひまわりがパラボラアンテナの大きさに咲いたり、栗や柿が人の頭くらいの大きさに生る、人類が減少中の文明の黄昏の時代で(作中では「夕凪の時代」)、かつその背景事情がまったく説明されないパラレルワールド。こういう、異世界にぽんと放り込まれる作品、放り込まれた異世界に自分も行きたい、と思う作品はなかなかないけど、これは貴重なそのひとつ。

この作品は月刊アフタヌーンで12年連載されていたのですが、連載で読むより単行本でまとめて読むほうがいい感じです。なにしろ一回一回は日常のなんてことない話なので、通しで読まないと間が空いちゃって、主人公の独特の時間感覚を共有するのがむずかしい。でも単行本で一気読みして主人公と視点を共有すると、2巻でオーナーが主人公に送ったカメラについてた「君にとっては十年も一日もさして違うことはないかもしれないが/いつか懐かしく思う事柄もできるだろう」というメッセージに俄然、せつない思いがわきあがります。オーナー、ある意味、その言葉は残酷ですよ… 

そして、いろいろ忘れていたなかでも、12巻から最終14巻のせつないツボを忘れていて思いっきり刺激され、「うぐぅ」とさせられた。ストーリーは日常のなんてことない話の積み重ね。だけど、そのなんてことない日常の積み重ねが終わりに向けて効いてくる。せつない! 単行本に収録されてない番外編『岬』が読みたいなあ。調べたら新装版の最終巻に採録されているっぽい。

あのときは完全にパラレルワールドとして読んでいた、人類が減少中の文明の黄昏の時代のヨコハマの物語を、今はとても身近に感じる。こんなふうにSFの世界と自分の生活がつながるのは、単に地震の恐怖からの精神的な逃避による錯誤だろうか。

伊藤計劃記録:第弐位相

伊藤計劃記録:第弐位相

そして今、『伊藤計劃記録:第弐位相』を読んでいる。この本の発行を知ったときには、まさかこういう状況で伊藤計劃を読むことになるとは思わなかった。そして、あれだけのことが起こってしまうと、カタストロフを舞台とする作家たちはしばらく創作に苦労しそうだなあ、と思う。そして、不謹慎系のギャグを得意とする表現者たちも。いろんな葛藤を乗り越えて、より秀逸な作品を引っさげてきてほしいと思う。