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「チベット・日本の自然に眠っているもの」@気流舎

 

昨夜、坂本大三郎(山伏)×佐藤剛裕(在家密教行者) トークチベット・日本の自然に眠っているもの」は、「20人くらい入る」という気流舎さんのお店に40人くらい(文字通りに)詰めかけて、熱気もすごい会でした。

 

くり返し出てきて印象的だったのは、チベット仏教圏の民間習俗と日本のそれとの関連性の話。例えば、死者の魂が村に帰ってきて、死者の血縁者や関連する人はそれをもてなして帰ってもらう(日本のお盆にも見られる習俗)、死者の魂が帰ってくるのは死後三年くらいまで(日本でも三回忌を一区切りとするのと共通する感覚)など。

 

その他、チベット密教と日本の山伏の修行の方法の共通点や、チベット仏教は必ずしもインド伝来の原始仏教チベット土着のみのミックスではなく、中国に伝わって中国土着のものと混淆した文化にも影響を受けているのではないか、という示唆など。ちにみに日本でお仏壇にお水とご飯をお供えする棚を「閼伽棚(あかだな)」というのは、中国どころかシルクロードを超えたローマのアクア(aqua)に由来すると言われる影響があったりするので、まったく不思議ではない話だと思う。仏教の影響は、寄せては返す波のように当時のアジア大陸に及んでいたのではないでしょうか。ただ、この「波」には、ゴウユウの話にも出たモンゴル軍の遠征とか、平和的ではないものも含まれると思うけれども。

 

ほかに、曼荼羅は壁にかけて使うものではなく、行をする目の前の床に置いて使うもので、あれは三次元のストゥーパを二次元で描いたものであること、行の目的の一つには、信仰の対象である曼荼羅に描かれた菩薩や観音と自分が一体化することが含まれること、などのわたしにとっては懐かしい話が聞けたのもよかった(チベットに関しては近年、人権の面から関わること大で、信仰面で積極的に関わってはいなかったので)。後者に関しては、一切衆生悉有仏性という言葉で日本の大乗仏教でもよく言われる部分との共通性を思ったり。

 

終わってからは隣り合った方とFB申請したり、ネパールで商品作物のオーガニックで高品質なフェアトレードを実現させようと奔走している方のお話をうかがったり、情報処理し切れないほどの質量の詰まった夜でした。久々に終電で帰ったなあ。

 

そういえば、千手観音が手に持っているいろいろなものについて、それがチベット密教の修行の際に観想する世界樹的なものの実と共通するところがあるのか、ゴウユウに聞き忘れたけれど、これは仏教美術の領域かなあ。先日、円空を見に国立博物館に行った時に、常設展示の千手観音のそれになにも説明がないので気になっているのです。

 

写真は気流舎さんで買ってサインしてもらったボーイmeets山伏本。来週あたりからの通勤本予定です。