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NGAGPA STYLE ヒマラヤの在家密教行者の世界@明治大学野生の科学研究所

一週間前のアースデイ明けの月曜日、「NGAGPA STYLE ヒマラヤの在家密教行者の世界」と題して明治大学野生の科学研究所で行われた、チベット文化圏の民間習俗についての研究発表会に行ってきました。

途中で発表者の佐藤剛裕さん(以下:ゴウユウ)による、お経を唱えつつ、ダマル*1とカンリン*2、ディルブ*3を駆使しつつのンガッパの行うチュウの行のパフォーマンスもあり、フィールドワークによる貴重な写真や動画もありで、盛りだくさんでした。

  • ンガッパとは?

研究所所長の中沢新一先生によると、NGAGPAはチベット語で「ンガッパ」「ンガパ」のように発音される言葉で、「ンガ」は「呪文」、「ッパ」は「~する人」、つまり呪文を唱える人を意味し、ンガッパ自体はチベットに仏教がもたらされるよりずっと古くから、原始宗教的なものから続いていると考えられるとのこと*4

さて、ンガッパという人たちですが、彼らはチベット仏教文化圏で16世紀に、「寺院で出家して勉強しないと僧侶、聖職と認めないよ」、という中央集権化に従わなかった在家密教行者たち。寺院組織の統治の外部にいる人たちですが、古い時代のチベット仏教、またチベット文化圏に仏教がもたらされる以前の宗教的な習俗のあり方にまで遡る可能性を感じました。

チベット密教も寺院組織の統治によって、ある意味で洗練されていくという過程があったわけですが*5、ンガッパはそうした寺院で聖職者だけの生活をするという形式に取り込まれず、集落に即した場所に住み、60年周期の暦による農業や年中行事・祭祀の采配,医療、芸能において技能を発揮するという、独自の体系を守って来ているとのこと*6。もちろん、その過程で無くなっていった流派もあるのだそう。

  • ンガッパのチャムと寺院のチャム

今回の発表では、ネパールのドルポ郡などのチベット人共同体に残るンガッパの様子が映像や写真で報告されたのですが、たしかに楽器はチベット寺院のチャム(宗教行事での歌舞音曲演技)で使っているものと共通しているけれど、一般に知られているようなチベット寺院の、お能のような動きのダンスやリズムとはかなり違うところもあり、興味深かったです。時間の関係で途中までしか見られなかったのが残念。

そこで、それについて、発表の翌日にツイッターでゴウユウに質問した際のやりとりはこちら(@chevreがゴウユウ発、@goyouが筆者のMmc発)。

@chevre ご清聴どうもありがとうございました!こんど護国寺でみられるチャムと見比べてみると面白いと思います!

@goyou 以前、常圓寺で見たのを脳内で対照してました。あれはどこのゴンパのお坊さんだったかな。寺院タイプのメジャーなものは、動きがお能に近いなあと感じます。

@chevre 能の最初に演じられる翁舞という古い演目とチュウの舞いは実は深いつながりがあるんです。河口慧海のとうとうたらりの話がどこから出ていたのかというのも説明ができます。

@goyou 第二回以降の研究発表会で、そのあたりもぜひ!

@chevre ただ、チュウの舞はああいうチベット寺院の密教舞踊や日本の能のような洗練はされませんでした。田舎の神楽のような素朴さったでしょう。そういう良さがありますね。

@goyou そこはどちらが良い悪いではなく、分業制による洗練があるかないかに左右されるのでしょうか。

@chevre そこはまあ、都会で洗練された組織的に作り上げられる総合芸術と、田舎の小さな共同体で行われる素朴な芸能という違いでしょう。どちらも本来は瞑想修行によって得られる神秘的な体験に基づいていたものですが、そういう面は次第に薄れがちになってしまっていますね。

@goyouなるほど。「奉納」の意味合いが、両者の間では微妙ニュアンスが違いそうに思えます。

@chevre いわゆる宗教的なパンテオンに属する神々は寺院組織が独占することができるのですが、自然神はもっと個々人が直接触れるものですから介入できません。そういう宗教政治的な違いがあります。ヒマラヤを超えて隠れ里に瞑想場を中心とした村を拓いた人々は反骨精神が強くあったんです。

@goyou 伝統宗教を自称する組織だった宗教の奉納儀礼は、キリスト教なんかでも「仲介している感」が濃厚だなあと思います。あれももとは寒村出身の青年の既存宗教へのカウンターだったはずですが(旧約原理主義者に利用された面があっても、カウンターであることには変わりないと思ってます)。


@chevre 組織が大きくなると、対抗していた相手の巨大組織の過ちを繰り返してしまうんですよね。

  • ンガッパの儀礼に見る懐かしいもの




さて、発表中、たくさん見せていただいた映像や動画の中で、特に印象的だったのは、田植えを前にこの一年、水が涸れないようにと池におわす水神に道祖神みたいな感じの土地神、水辺の生き物(蛇、蛙、ヒルなど。造形が素朴でかわいらしい)をトルマ*7にして捧げるシーン(この三枚の写真は発表時のものをゴウユウに借りて載せています。貴重な写真をありがとう!)。



お盆にトルマが並べられているところに、草木を盛って、緑繁れるさまを表していき、最後にそのまま祠のようになっている場所にお供えするという儀式が、池のある景色含め、初めて見るのになんだか妙に懐かしく思えました。



そう感じたのは、幼少時から夏休みや冬休みによく滞在した、気づけば道ばたに道祖神のある、というような長野県諏訪郡のとある町の、小さな神社の裏にある調整池を思い出したからかもしれません。その池を、蛇が神社に向かって泳いでいくのを見たこともあるし。でもって、神社の名前を調べようとググったら、近くに町営の温泉施設などを作ったり、道路を拡張したりしたためか、神社がなくなっていました。たくさんある近辺の神社のどれかに合祀されてしまったのかな。

  • ドルポ郡での食事マナー

ほかには、フィールドワーク中の食事のマナーの話が面白かった。現地では、少しのおかずで主食でお腹を満たす、というのが良しとされていて、おかずをたくさん食べる(量的に、もしかして種類的にも?)のは卑しいことなのだとか。

おかずの取り分け方にも礼儀作法があり、そういった習慣のないゴウユウは「そんな機微もわからない、マナーの悪いことではフィールドワーク先の親戚の家に連れて行けない」と現地の友達に言われたそう。

ところで、今の日本では学校給食での三角食べ*8というもので育った人が多くなっていると思うのですが、ある時期まで日本でも、ちょっとの漬け物とかおかずでごはんをたくさん食べてお腹を満たす、というのはメジャーな食事マナーだったように思うので、西洋的な栄養学の影響のないところでは、チベット文化圏以外でもこういう食事マナーというのがまだあるのかもしれませんね。


  • おわりに

この日はほかに、ヒマラヤの隠れ里はンガッパが開墾してできたものがたくさんあるという話や、チュウは吟遊詩人が伝えたのでバリエーションが多いことなど、興味をそそるお話の種がちょこちょこ出てきました。

とても面白そうなので、ぜひ発表をシリーズ化して続けていただきたいのと、書籍のかたちでもまとめてほしいし、また映像はなんらかの形でアーカイブ化してくだされば、と思っています。

*1:チベットでんでん太鼓。もともとは胴体をヒトの頭蓋骨で作ってある。

*2:ヒトの大腿骨で作られた人骨笛

*3:金剛鈴

*4:ちなみに「NGAGPA STYLE」と頭に付けたのは、ちょっと前に世界中の音楽シーンを席巻した「江南スタイル(Gangnam Style)」のもじりだそうで、映像発表資料に音も当てて用意されていたそうですが、それは「ちょっとあんまりなんで(笑)」と聞かせてもらえませんでした。残念。

*5:たとえば、キリスト教の聖書が編纂される過程での編集や刈り込み、またのちにカトリックと呼ばれるキリスト教東方正教コプト正教と袂を分かつことになったり、公会議で土着的なものをふるい落としていったように。

*6:この、寺院組織による統治との関係や、暦、祭祀,医療、芸能において技能を発揮するところは、先日、気流舎でお聞きした山伏の話と共通項がたくさんあるように思われます。

*7:チベット人の主食である大麦粉を炒り焦がしたツァンパに水やバターを混ぜて作る供物:余談>http://www.kaze-travel.co.jp/lhasa20101124.html

*8:1970年ごろから学校給食で提唱された、おかず、主食、汁物を順番に等分に食べていく食事マナー。