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概念の作用・反作用/『散歩する侵略者』@アップリンク


映画『散歩する侵略者』予告編 【HD】2017年9月9日(土)公開

 

アップリンクで『散歩する侵略者』を。演技における演劇的なるものと映画的なるものについて興味深い作品だと聞き知って見に行ったのですが、わたしにとってはそれはおいといて、準主役のBL妄想カップルについての印象が強すぎてムッハー!な作品でした。

いやー、だって「しばらく密着取材してもいいですか?」って言った長谷川博己がッ!高杉真宙にッ!馬乗り(はちょっと大袈裟だけど)になってッ!

「おれが必要だろ?」

って!!!!! いやもうね、脳内涎がすさまじかったです、はい。

その長谷川博己のゾンビ歩きも見応えがあり、それを含むシーンは『地球へ…(テラへ)』のとあるシーンを思い出させるものでありました。全体的に心理面での『寄生獣』っぽさもあり。劇伴がところどころプロコフィエフっぽいのが最後まで続くのかと思ったらそうじゃなかったり、松田龍平の仔犬っぽさもなかなかだったりでしたが、BL濃度のために十全にそこを楽しめたかというと自信はないです。

見るきっかけになった演劇的なるものと映画的なるもの、については、もともと舞台演劇だったものが小説になり、映画になったという経緯があるそうですが、これを舞台でやったらそうとう巧い役者じゃないとさぶいぼだな、というシーンもあって、映画で出会ってよかったのかもしれない。

ここからネタバレに近い話ですが、

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宇宙人が地球人から概念を盗むと、盗まれた方からその概念およびその概念からの紐づけ行動が消失する、というテーマについては、「家族」という概念では一般的な概念を持つひとからうまく盗めてよかったね、と。わたしのように待ち針刺されたりするような虐待を受けた結果、血縁としての家族には触れられるのもいや、手もつなぎたくない、という人間から家族という概念とその紐づけ行動が盗まれたら、ひんぱんなご機嫌うかがいや、今後の介護もできるようになるだろうか、とか思ったり。

そして、「愛」の概念に関しては、キリスト教的でもあり、キリスト教的じゃなくもあり。

 

愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

 

この「コリントの信徒への手紙」を引いて愛を教えてくれるはずの教会の神父から、宇宙人がその概念を盗めなかったのは、それが曖昧模糊としてイメージできないものだからなのか、それとも引用された部分の先にあるように「愛は決して滅びない」、また「ローマ人への手紙」にあるように「わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである」からなのか。

なお、主人公カップルの男性が「愛」の概念を結局は別のひとから盗んだ結果を見ると、神父が参照した「コリントの信徒への手紙」部分の手前の言葉が思い出されます。

 

たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私は騒がしいどら、 やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。

 

しかし、真にそうであるなら主人公カップルの女性があのような症状にはならないと思うのですが、それは「自己愛」さえも消失した、ということなのだろうか、とか思ったり。