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ネパールのチベット子どもの家

前回のエントリで、チベットのお正月・ロサルに、ネパールのチベット子どもの家から年賀状が届いたことを書きました。その、チベット子どもの家について今日は書いてみようと思います(↓の写真は東京・曙橋のチベット料理店タシデレのお正月「ロサル」の今年の祭壇飾りです)。

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ツェプド(トルマというツァンパやバターを練ったもので作られているお供え物の大きなもの)二種

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プングアムジョ(チベット語でロバの耳の意味)という揚げ物を積み上げた飾り。一番上には飾り切りならぬ飾り揚げがのっています

 

子どもの家の名称は「クンデ・ハウス」といい、運営者のTCPことチベタン・チルドレンズ・プロジェクトは日本人女性3人が中心です。そのうちのひとりは、チベット支援関係なく昔からのわたしの遊び友達。その彼女に十年前、「こういう支援事業を立ち上げるんだけど、どう?」と誘われたときに、支援者のひとりとして参加しました。

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ここからちょっとわたしの話(↑の写真はチベット料理店タシデレのロサル・セットです)。

わたしは、現在なら一回で施設&警察送りになるだろう虐待を、毎日のように親からされて育てられました。肉体的に反撃できる大きさに育ってからは、女性週刊誌に載っている「意地悪姑vs嫁」マンガのようなモラハラが、なんとわたしがそろそろ50歳になろうという最近まで続いています。そのため、子どもを持ったら自分がされたのと同じことをしてしまうのでは? そして、自分がされたことを一つでも他人にしたくない、という思いから、「自分は今生では子どもは持つまい」と決めて人生を送ってきたのです。

が、遺伝子を残すことはともかく、後の世代を育てる、ということをしないのは、生物としてどうなのか?と、人類学的・生物学的な疑問もうっすら抱いていました。
だから、出産するならそろそろラストチャンスという年頃だった十年前、月に一度、ちょっと贅沢な飲み会に行くくらいの支援金が自動引き落としされることで、距離を持って子どもたちの養育を支援できる、というのはなんだかいいな、と思えたのです。

さて、TCPの支援事業が始動してみると、ネパールのクンデ・ハウス常駐のスタッフが、現地はかなり停電が多いなか、とてもまめに子どもたちの様子をブログで報せてくれるようになりました。

最近ではみんな元気で明るくなりましたが、はじめのころはチベットから命からがら亡命してきて、日本人の感覚からすると年齢にしてはかなり小柄で痩せた子どもたちの、笑顔のなさというか、表情のなさ、また大人が信用できないのか近づくと噛み付き(物理的に)、泣いてばかりいる子などに胸が痛みました。

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それが今では、男子はネパールでも活発な子はやっぱりダンスィだし、女子はおしゃまに成長してくれて、うれしい限りです。

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ネパール大地震のときも、なぜか不思議な巡り合わせで、けがさえもせずみんな生き残ることができました。神や仏のわざを信じるとか、期待する、ということは滅多にないわたしも、みんなが無事だった経緯には、クンデ・ハウスはなにかに守られているみたい、と思ったほどです。

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そして、TCPを通してのネパール山岳部の支援の行き届きにくい場所への、いち早い支援の収支が、必要なものを計算して寄附を募ったわけではないのに、結果的に差し引き5963円だったのも、不思議なことでした。

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とはいえ、十年の間、完全に順風満帆だったわけでもありません。

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小さな子どもは、親の勝手に振り回されるしかないのが、つらいです。今でも、あの子、どうしているだろう、地震、大丈夫だったろうか、と時折、心が痛みます。