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宗教の功罪

「日本の仏教の檀家制度が嫌い」という話から、夫の人と伝統宗教の話になった。

 

わたし:まあでもカトリックでも似たようなことあるしね。近代化された宗教の弊害だよね。

夫の人:カトリックでいうと教会への所属とかになるの?

わたし:教会への所属だし、場合によっては洗礼してくれた神父さま、堅信礼してくれた神父さま、結婚式してくれた神父さまと繋がりができるようになる。
ただ、仏教の檀家制度って、カトリックの教会制度みたいに信者に寄り添ってる感じがあんまりしないけど。

夫の人:その通りだと思います。
結局、何十年もお寺の若住職に御経をあげてもらってるけど、アルムブルスター神父様*1のようなお話を聞いたこともないし、してくれようとしたこともないし、こっちからお経の意味を聞いても
「ご先祖様に喜んでいただけるように」
ぐらいの話しかしてもらったことがなくて、がっかりだったよ。

檀家制度が戸籍と税金のために始まったのが、一番良くなかったんじゃないか、という説に僕も賛成です。

わたし:カトリックももとは戸籍というか住民の把握と徴税のためだったけど、プロテスタントが現れて切磋琢磨したからねえ。

キリスト教はそれに、毎週、下手でも具合が悪くても親が死んでも*2、その日のミサの説教考えて喋らなきゃいけないから、差は開くよね。

ただ、カトリックプロテスタントの切磋琢磨の過程で、『王妃マルゴ』で延々と描かれるような内乱とか、スペインのアンデス文明の破壊があったわけだから、そのような規模の破壊を起こさなかったという意味では日本の仏教は平和を維持したとも言えるよね。

夫の人:そうねえ。
でも、一部の寺の一部の僧侶しか宗教と信徒に向かい合ってないのは、日本人が変化を嫌うからかな、とも思いました。

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さて、仏教では行為の結果より、その行いを為す動機の正しさが評価されますが、神の名の下に新しい世界という「変化」を求めて進出した先で「文明化」という名の破壊と殺戮を推し進めたキリスト教と、変化を嫌って結果的に世界的な破壊と殺戮を行わなかった日本の仏教とでは、どちらが評価に値するのでしょうか。

*1:わたしの実家のホームドクターならぬホーム神父のルートヴィヒ・アルムブルスター神父のこと。ミサの説教の際は、聖書を哲学的に掘り下げた上で、現代に生きる人の糧になる言葉で滋味深く語られる。http://mmc.hateblo.jp/entry/20160528/p1

*2:アルムブルスター神父は焼け野原の戦後日本のイエズス会のある東京・四ツ谷に着いた日にお母様の訃報を受け取った。http://chikyuza.net/archives/11526