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霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

一人暮らしの音と気配

初めての一人暮らしは、四大を卒業して就職して二年目からだった。就職した一年目はまだ毒親の洗脳がキツくかかっており、言われるがままに学部時代に住んでいたカトリックの女子修道会運営の大学生専用女子寮から、同じくカトリックの修道会経営ではあるが、いろんな社会背景の社会人女子の住む女子寮に引っ越した。

言っちゃ悪いが、前者の女子寮住人および経営・管理していたシスターと、後者のそれは、月とスッポンだった。なるほど、同じ日本人、同じ女子、同じくカトリックのシスターでも、会話がスムーズに成立しがたい場合もあるのだ、と、毒親に箱に押し込められて育ったわたしは、そこで初めてリアルな社会階層の違いというものに触れた。

それまでのわたしにとってシスターというのは威厳があり、頼りがいのある人々だったが、就職して入った女子寮の寮長のシスターは、「なぜシスターになったのか」と聞かれて「化粧とかめんどくさいから」と、自身の立場をわかっているのかいないのか、答えるような人間で、完全に彼女の勘違いから一方的に怒鳴られたのを契機に、「やっぱここ出よう」と思ったのだった。

 

前置きが長くなったけれども、その後引っ越した女性専用マンションでのプチ恐怖体験を思い出したので書いておこうと思う。お題の目的とは違い、一人暮らしをしたくはならない話題だ。

 

本格的に引っ越す数日前、電気やガスの契約のために新しく一人暮らしを始める部屋にいたときのこと。「そうだ、クローゼットの抽斗を出して風を通そう」と、三段ある抽斗を上から出しては窓際に並べることにした。

最下段の抽斗を開けたら、洋服がみっちり詰まっていた。カラだと思っていたところに詰まっている暗色の服。不動産屋に電話したところ、いわゆるゴミ袋に無造作にそれらを詰めて去って行ったのも、なんだか怖かった。

 

その部屋に春に引っ越してきて、夏になった。部屋は四階で風の通りがよく、その晩はクーラーをつけず、網戸にして過ごしていた。たぶん、仕事の休みの日にモグリで聴講していたクラスの勉強で、ワープロ専用機に向かっていたと思う。 なにか、音がするのに気付いた。ち、かちゃ、というような。鍵とかではなく、もっと軽い、ゼムクリップのたくさん入った小箱を指でつつくような音だ。

が、音のしているらしき方を振り向くと、音は消える。しばらくすると、また音がする。しかし、振り向くと、というのを三回ほど繰り返し、どうも窓の方からそれは聞こえてくると確信。

四階だが、無駄に根性のある変質者が雨樋を足がかりに登ってきていたら困るので、掃除機のホースを構えてそろりそろりと窓に近づく。すると、消えていたあの音が急に上から聞こえた。ふと顔を上げると、カーテンレールの上に、優に七センチ近くはありそうなチャバネゴキブリが。

つまり、あの音はこいつが網戸の隙間から侵入して、カーテンを伝い、カーテンレールの上に登り、そしてそこを渉猟していた足音だったのだ。

そこからは、そこまでとは別の意味での恐怖との闘いだった。討ち取ってから即、窓を閉め、クーラーをつけたのは言うまでもない。

 

ほかにも、お付き合いしていた方にムカつくことを言われたのでフェイドアウトのつもりで音信不通にしたら何ヶ月もコンタクトを取らないままになったので、こちらはてっきり別れたつもりでいたら、向こうはまったくそう思っておらず、マンション前で待ち伏せされ、しかしたまたま帰りが遅い日で向こうが諦めて帰ったあとに何も知らずに帰宅、留守電を聞いてぞっとしたこともあった。

それとは別のお付き合いしていた方が、今で言うメンヘラな方で、留守中にわたしへの腹いせに、絨毯敷きの居室とベッドのシーツとタオルケットの間に、製菓用に買い置きしていた多量のグラニュー糖を一面に撒き、合鍵はそのグラニュー糖の入っていた容器に入れ、開錠したまま退室される、とかいうプチ恐怖体験もあったが、それはわたしの不徳の致すところも大いに関与していると思うので、一人暮らしあんまり関係なかった。