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ニマ・ラモ講演会と浴衣

◆ニマ・ラモ初来日トークイベント ~姪が語るテンジン・デレク・リンポチェ事件~

七月十六日の祝日は、獄中死した高僧である叔父、テンジン・デレク・リンポチェの、無実と死因究明を求めるチベット人女性、ニマ・ラモさんの講演会でした。今回も石濱先生がブログに記録してくださったので、こちらをお読みください。

 

 

当日は質疑応答コーナーで、石濱先生のご質問で、リンポチェのご遺体もお遺灰も家族のもとには戻ってこず、行方不明ということもわかりました。わたしは司会でしたが、12日のスピーチよりも時間が長かったのもあり、よりくわしい状況を知り、涙ぐんでしまいました。

 

mmc.hateblo.jp

なにしろニマ・ラモさんは、ただ自分の叔父が無実の罪で拘束されて亡くなったから、ということではなく、チベット中でこのようなことが繰り返し起きていることを憂え、世界にチベット人が中国政府によって抑圧されている実態を訴えるために、自分の家族を残して黙って亡命してきたのです。

昨年、亡命してきたときに別れたお子さんは、いま七歳とのこと。親御さんは心臓が悪いので、一緒に亡命したくともできないとのこと*1

 

唐突ですが、いま、神保町の岩波ホール『ゲッベルスと私』という映画がかかっています。ナチスの宣伝担当相ゲッベルスの秘書だった女性、ブルンヒルデ・ポムゼルにインタビューしたドキュメンタリーです。予告編にこのようなシーンがあります。

「今の人はよく言うの」

『私ならあの体制から逃れられた』『絶対に逃げた』

「無理よ」

「あの体制から逃れることは出来なかった……」

www.youtube.com

しかし、第二次大戦終結から七十年余の2017年にニマ・ラモさんは故郷を離れ、体制の抑圧下でなにが行われているか、訴えています。残してきた家族や友人には「連絡すると迷惑がかかるから」*2と孤独を抱えての生活です。

それを思うと、「体制から逃れられない」ことなんて、ないのではないだろうか、あるいは人類は第二次大戦中よりも、少しは人間的に進歩しているのではないだろうか、そう思うのです。

それを、ニマ・ラモさんや、故郷を失ったチベット人、故郷でチベット人らしく暮らしたいのにそうできないチベット人という、つらい状況によって知るのは残念ではありますが……。

 

◆ニマ・ラモと浴衣

さて、ニマ・ラモさんは初めて日本に来てから浴衣に興味津々。孤独で緊張することの多い生活の彼女に少しでも息抜きをと、ボランティア仲間と浴衣着付け隊を結成、講演会が終わってから二人がかりで浴衣を着付けました。初の浴衣姿、とても喜んでいただけました。

 

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浴衣を着る前の彼女が着ているのは、チベットの民族衣装チュパで、右前になる襟元が和服に似ています。……横のわたしは司会終了直後でヨレヨレなので、着崩れと姿勢の悪さはご容赦を。

 

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ニマ・ラモさんの身長がわたしとあまり変わらないので、私物の金魚*3の尾鰭浴衣とマリンよろけ縞の半幅帯でばっちり、と思いきや、ニマ・ラモほっそい! バストはちゃんとあるのにウエストは蜂のように細いので、補正タオルがもう少し必要でした。

 

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初の浴衣にはしゃぐニマ・ラモさんを見ると、平和に普通に知り合って浴衣の話がしたかったな、と思ってしまいます。彼女の笑顔の写真を見るたび、ちょっとせつない……。

*1:チベット人が亡命するといえば、それは99%、ヒマラヤを越えることを指します。

*2:公安が電話などを盗聴し、亡命者と連絡した本土チベット人を訪問するのです。

*3:金魚はチベット語でセルニャと言います。