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『トロン:レガシー』@IMAXシアター

IMAXシアターで見てきました、『トロン:レガシー』。IMAXの3D方式は頭痛もせず快適。映画は3D体験としては面白かったです。音もいいしね。


トロン:レガシー』の旧作の『トロン』は1982年公開で、コンピュータ内部の世界を主にCGで描いたことで知られる映画です。プロットに関しては深みのないストーリーとかB級SFとか評価されがちだけど、けっこうおもしろいんですよ。単純な正義vs悪、という話ではなく、奪われた自分の権利は自分で取り返す!という血気盛んな自律した若者の現実的かつ爽やかな動機にもとづく物語で共感できます。



で、『トロン:レガシー』はその続編という位置づけなのですが、旧作を見てないとわからない説明不足なところが多すぎる! なぜそのドアの電子錠をハッキングして侵入するのか? とか、主人公の父とアランの関係は? とか、そのPC世界への入り方ってどういう仕組み? とか、その乗り物を使うのはどういう意図? とか、もうetc.etc., 


3Dでしか公開しない=上映料金が通常より高いのにその不親切さはどうなの? 旧作見てなかったらわからない人物相関関係とか、今作だけ見た人はモヤモヤしないのかなー、と旧作好きのわたしでさえ思うので、旧作を知らないお子様と見に来たお父さん(しかも家族全員でプレミアムシートに座ってた)はあとで質問攻めだったんじゃないでしょうか。てかここはトロンのコミュニティサイトが盛り上がってる欧米じゃないんだからさー。あと旧作見てる人間にとっても、なんでトロンが敵側に付いてるの? あと後半で急にユーザー側に付いたのはなぜ? とか重要なところが説明不足だったりします。ゲーセンでアニー・レノックスの「スイート・ドリームス」流されたのには80年代への懐かしさを掻き立てられましたが。


そして、意味がわからないのがさまざまなSF映画・アニメからの映像的引用のものすごさ。自覚的にパクってるんだろうけど、攻殻映画版冒頭のビルの上の少佐、実写版バットマン的ギミック、フィフス・エレメント的なヒロイン、2001年宇宙の旅的インテリア、ティム・バートン「アリス」のマッド・ハッター的クラブ・オーナー、カウボーイ・ビバップTV版Session #22「カウボーイ・ファンク」(テディ・ボマーの回ね)のエレベーター(これ自体ブレランのタイレル社のエレベーターへのオマージュだと思いますが)っぽい落下シーン、ブレラン公開当初の付け足された緑の中を疾走するラストシーンなど、そう映画フリークでもなく記憶力も優れてないわたしが思い出すだけでもこれなので、詳しい人にはもっといろいろ既視感があるのではないでしょうか。


しかし、このものすごい映像的引用はなんのためなのか? なんのため、という目的ではなく、映画を成立させるための手段だとしたら悲しいです。旧作ではメビウスシド・ミードのデザインも相俟って「誰も見たことのない世界を見せてやるぜ!」というスタッフの思いがほとばしりまくっていたのとは対照的… 


ほかには擬人化されてるAIっぽいプログラムの衣装の袖がたるんでてその出自がわかる記号が見えちゃうってそれ、どういう種類のバグ? とか、創造主のコピーのプログラムなら創造主みたいに学習もするんじゃ? タチコマだってマトリックスの敵だって学習・進化するのが今のSF世界じゃないですか! などプログラムに詳しくないわたしでもPC的な設定に疑問符たくさん。


じゃあ、ストーリーはどうなのか、というと、えーと、ある意味画期的。予告編を見る限り、父と対決する息子、というありがちなエディプス的ストーリーだと思っていて、旧作の爽やか自律青年男女のストーリーと違ってずいぶん型どおりの映画になってそうだと思ったのですが、思いもかけない方向に裏切られ、驚かされました。



というのもこの映画、ここまで成熟してない主人公が出てくるアメリカ映画っていうのも、そうはないんじゃないかな、というくらいのファザコンニートの話で。「2度もぶった! 親父にもぶたれたことないのに!」的な未成熟とはちょっと違いますが、一言で言うとこの映画、「ファザコンニート夢で逢えたら(パパと)」って感じでした。


主人公は行方不明の親の会社の筆頭株主で働かなくてもいいからってニートだし大学中退だし彼女いないしハッカーだし、それってどこの2ちゃんねらー? しかも20代前半ならまだしも27才であれって、アメリカ映画の主人公としてはそうとう珍しいと思います。三十路近くにもなってあれじゃあ、旧作で彼の父と活躍したアランだけじゃなく、親御さんも草葉の陰ならぬグリッドの狭間でさぞかしご心配でしょう。ラストはやけにあっさりバイクで走りに行ってましたが、主人公が「父さんは行っちまったのさ、均一なるマトリクスの裂け目の向こう、広大なグリッドの何処かへ」とバトーのようにすっきり言える日が来るのかどうか、心配です。


そんなわけであれこれ思うと、やっぱり旧作のストーリーを今の技術で3D映画にしてほしかったなあ。繰り返しますが映画は3D体験としては面白かったです。ダフト・パンクがDJするクラブのシーンは特に(って戦闘シーンじゃないのかよ!)。