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継承と発展について/モーリス・ベジャール・バレエ団Bプロ@東京文化会館

昨夜のモーリス・ベジャール・バレエ団Bプロは、「ピアフ」「兄弟」「アニマ・ブルース」「ボレロ」の4作品。中二つがジル・ロマン作品だったのだが、ベジャール作品とのオリジナリティの差が色々と厳しく感じられた。

ベジャール作品はヨーロッパの南や、地中海の明るさと土俗性が漂うのに対し、ジル・ロマン作品はところどころマッツ・エックやピナ・バウシュ的な痙攣とそこからの弛緩が微量だけど混入していて、ヨーロッパの北の気配。
ベジャール作品は同じ振り付けを大人数で踊ったり、カノンのように繰り返して少しずつ変質していくのを感覚が受容するのが快楽そのものなのに対し、ジル・ロマン作品は、ダンサーの能力が高いのと、ワンフレーズごとの振り付けはその能力を活かすものなので見てはいられるが、様々な要素が統一感なく取り込まれ、見たものをどう解釈すればいいのか始末に困る。解釈の楽しみがある、という意味ではなく、はっきり言ってしまえば視覚への説得力に欠ける。「アニマ・ブルース」の女性性の象徴が、オードリー・ヘプバーンが銀幕で演じた女性たちというのも、若い世代には訴求力に欠けるように思う。あるいはクラシックよりコンテンポラリーを好んで見る層には、この様々な要素の統合と解釈は容易なのだろうか。
天才と公私ともに長く過ごしていても、天才性というものは、そうそう簡単には習得できるものではないのだな、ということを、まさに見せ付けられたプログラムだった。今後のベジャール・バレエ団は、やはりベジャール作品をメインに継承していくことが生き残る方策になるのだろうか。

かなり前の席だったので、メロディを踊るジュリアン・ファブローのほとばしる汗が見え、終盤での掛け声のような発声まで聞こえた圧巻の「ボレロ」の物凄さが、よけいにそう思わせた。