妹なんかじゃない 《連作短編集「デッドロックのはずれ方」2-1》
「あのな、お前には、その、妹ってのが、いるんだ」
夕飯のあと、いつもならすぐに晩酌に移るおっさんが、俺が食べ終わるのをシラフで待ってたのは、その話をするためだったらしい。
「なんだよ、それ」
「いや、お前ももう高校生だから、どこで耳に挟むかもわからんと思ってな」
俺の両親は再婚同士だから、そういう可能性もゼロではない。ないが、「耳に挟むかも」って、そんな近場で順列組み替えしちゃってたのかよ。
それがおっさんの話で感じた第一印象だった。
「で?」
「や、なんかしら目的があっての話じゃないんだけどな、そろそろ話しておいたほうがいい塩梅だと、香那さんと意見が一致してな」
「義務教育期間が終わったから?」
「……いや。……お前の妹とお前が、生活圏が、近いんでな。部活関係とかで、会うかもしれんし」
「部活関係って……。そんなに学年近いのか?」
「……まあ、な」
なんてこった、近場での順列組み替えだった上に、組み替えの間はそう空いてないってことなのかよ……。なんか、オトナなんだからそういうの、もうちっと将来を考えてやれなかったんか……。
「で、なに、あれ? 遺伝子が近いモン同士は一緒に育てられると性的に引き合わないけど、離して育てると思春期以降に出会った時に強烈に引かれ合うってやつを避けるための話?」
「ちょっと、違うな」
おっさんはそこでようやく、前かがみになっていた体を起こして、背後の冷蔵庫から発泡酒を取り出して言った。
「お前のは、あれよ、血の繋がらない妹、ってやつよ」
「なんだよ、そのラノベみたいな設定」
笑いながら俺も立って冷蔵庫からウィルキンソンの炭酸を出す。その妹とやらと血の繋がりがない、っていうのは、考えてみればあたりまえだ。
俺の血の繋がった父親は、俺が幼稚園のときに事故で死んだ。俺のかあさんはシングルマザーで、俺が小六のときに、子どものいないまま前の奥さんと離婚したおっさんと一緒になった。その後、かあさんは誰との子どもも産んでない。だから、俺には下のきょうだいは、あれ?
「……おい、おっさん、なんで俺に妹がいるんだ?」
「え、だからぁ、血が繋がらな」
「おっさん、あんた、浮気か?」
「あじじゃじゃ、ちが、違うんだ、お前の妹は、俺とも血が繋がっていねぇのよ!」
「は?」
つまり、こういうわけだった。おっさんが俺のかあさんと再婚する前、結婚していた前の奥さんが、これまた新しい相手との再婚後、生まれたのが、その、俺と血の繋がらない妹、ということだった。
「じゃあ、妹じゃないじゃん、あえて言えば親戚?」
「まあ、そうなんだけどな。だから、遺伝子的には問題ないわけよ、出会い頭に恋に落ちてもな。けど、ほら、いろいろめんどくさいことになんだろ、その場合」
「だなぁ。まかり間違って結婚することになったら、花嫁は誰とヴァージンロード歩くのか、てか?」
「なあ。だから、いちおう、それは避けてほしいと思ってな、名前と年齢を知らせとこうってなったわけさ」
「いや、でもさ、それでも、もしもその、そういうことになったら?」
「まあ、それでも恋に落ちちまったら、まあ、それはその、運命だと思うしか、ネェわなあ~」
おっさんは酔い始めていた。これ以上はマジメに掘り下げるのは無理か。話を切り上げて風呂に入るかと腰を浮かせたとき、おっさんが胸ポケットから茶封筒を出して渡してきた。
「これな、その、前のアレから送ってきた、妹の」
「お、おぉ」
受け取ると同時におっさんはゆらりと立ち上がり、先に風呂場に行ってしまった。なんだかしてやられた気分だ。俺は茶封筒を電気に透かす。中身は折りたたまれているのか、一枚じゃないのか、なにも見えない。
今日はかあさんは夜勤で、帰らない日だ。俺は封筒の口を開け、中を覗く。そして、三つ折りになっている便箋を引っ張り出した。広げた便箋の真ん中あたりには、左右が空白になった三行がある。
西野 久実
大沢中学二年
吹奏楽部
中二かー。そりゃどうかしたら高校とか塾とかで顔合わせる可能性はあるわな。
さて、便箋は真ん中のその三行だけではなく、その上下になにかがびっしり書いてあった。一読して、俺は頭を抱えた。そこには要するに、おっさんと、おっさんの再婚相手の息子(つまり俺だ)が、西野久実とやらに近づかないよう、攻撃的に告げる内容が書いてあったのだ。
たしかにこれは、めんどくせえ……。それにしても、おっさんは俺のかあさんといい、前の奥さんといい、あんまり女運がいいとは言えないみたいだ。俺は冷蔵庫からポッカレモンを出して炭酸のペットボトルに注ぎ足し、残りを一気に飲み干した。
■ ■ ■
おっさんに衝撃の手紙を読まされてから明けて土曜、俺は中学の時のバスケチームの試合の応援に出かけた。ぱっとしない俺らが卒業しても、チームはぱっとしないままで、俺も、大沢中の体育館でひさびさに一緒になった高橋も、冷やかしだか応援だかわからんような声をかけるしかなかった。
顧問の永吉先生は相変わらずアフロ気味の天パにラスタカラーのリストバンドで、格好だけはメジャーの選手みたいなのが、またなんともいえない情けなさを醸し出している。
後輩たちは、もうぜんぜん声が出てない。せっかくボールを取れてもパス相手に声を出す前に、また獲られてしまう。対して相手校チームはスリーポイントシュートはがんがん入るし、三回に一回は入るし、がんがん打ってくるフリースローは九割決まってる。
俺らが体育館に着いたのは二クォーターが終わるころだったが、得点はすでに四倍近い差が付いていた。点差は縮まらず、ハーフタイムに入った。ポカリを飲んでる後輩たちが俺らに気付き、タオルをかけたまま申し訳なさそうに、それぞれぺこりと頭を下げた。いいって、いいって、とジェスチャーだけしたつもりが、口にしていたらしい。となりの高橋がため息をついた。
「なんつーか、中学のうちに自分の限界にぶち当たって現実的になるって、悪くないよな。できないのって、自分のせいでもねーし」
「おい、それあいつらの前で言うなよな」
高橋は顔はいいのにちょっと天然入ってて、間違ってないけどそれ言うか? そこまで言うか? ってことを平然と口にする上、自分が同じようにずけずけ言われても顔色も変えないから、後輩からはおろか、先輩からもある意味、恐れられていた。
「おまえ、高専でも相変わらず、キッツいの?」
「おお、いいぞー、男子校。女子に『ひどーい』とかいちいち言われなくてすむしな」
「おまえ、社会に出てから苦労すっぞ」
「おまえのカーチャンみたいのが上司だったら、そうだろうな」
高橋のおやっさんは医者で、俺のかあさんと同じ職場だ。かあさんは一般的には医者の下に位置づけられるレントゲン技師だが、撮影結果の所見に関して医者と意見が違うとき、一歩も退かないことで「理はあるけど情がないことで有名」だと、俺は高橋に言われたことがある。つまり、病院での態度も家でのそれと変わらないらしい。やれやれ。村上春樹の小説のモテ男どもは、こういう気分で「やれやれ」ってつぶやいたことないだろうな、とか思っているうちに試合が終わった。得点は、八倍近く差を付けられていた。
制服に着替えた後輩を連れて、高橋と俺はまず牛丼屋、それからファミレスのドリンクバーといういつものコースに流れた。いつからの慣習かはわからんが、牛丼屋の払いはセンパイたる高橋と俺が出し、ドリンクバーは後輩たちにおごってもらうのだ。
「いま、大沢中で人気の子って、どんなん?」
後輩たちの、小うるさい古典の教師が他中に異動しただの、教育実習に来た女のセンセイにろくなのがいなかったとかの母校の噂話を聞いたあと、俺はさりげなく水を向けた。
「えー、誰っすかねえ、俺らの代だと水泳部の両角じゃねえ?」
「プロポーションいいけど、そんな人気あるか?」
ひとしきり、自分と同じ三年の女子の品定めが続く。
「一年とか、どうなん?」
「うわセンパイ、ロリコンっすか」
「いやーん、ヘンターイ」
一部の三年部員が男子中学生らしく盛り上がっているところに、二年の渡部がぽつりと言った。
「二年だと、西野ですかねー」
「西野? あー、ブラバンのあのお嬢様っぽいふわふわしてかわいい子かぁ」
「なんかでもピーナッツ親子とかいうやつで、そうとうマザコンらしいですけど」
「マザコン?」
「あー、ミスドでバイトしてるうちの姉貴が、中二にもなっておふくろと腕組んで買い物してるとこ毎週見てて。そうとう密着してるらしいっすよ」
「かわいくても、そんなカーチャンが付いてるんじゃ、どうしようもねえじゃん」
なるほど、手紙の印象どおり、めんどくさい親子らしい。
「甘えられるうちに甘えておけばいいんじゃないの、母と娘なんだし。ほほえましいじゃん。ま、息子がおんなじように腕組んで買い物してる中二だったら、そりゃ程度のヤバいマザコンだけどさ」
ドリンクバーで黒豆茶と炭酸飲料をミックスしたなにやら不気味なカクテルを飲んでいた高橋が言い、その断定的な物言いでケリがついたかのように、話題はまた別の方向に移って行った。俺は、「甘えられるうちに甘えておけばいいんじゃない」という言葉に、なにか引っかかりを感じていた。