感謝の大風と涙雨
高畑勲監督が亡くなった。
かなしい。
東京は夜半からの涙雨を吹き飛ばすような、あるいは高畑監督を天井に連れ去るような大風。
わたしが児童虐待されながらも生き延びられたのは、ハイジ、マルコ、赤毛のアンのアニメ諸作品に助けられたからだと思う。高畑監督には只々、感謝。
昨年の元旦に高畑勲監督から頂いた年賀状です。
— 叶 精二(Seiji Kanoh) (@seijikanoh) 2018年4月5日
20年来、毎年簡潔かつ独創的な賀状を頂くのが楽しみでした。
これが最後の一枚。
高畑監督のお叱りを受ける覚悟で、ご本人の一字一句をファンのみなさまと共有したいと存じます。 pic.twitter.com/wHhBG4CfwR
3月6日三鷹の森ジブリ美術館審査会で高畑勲監督とお会いしました。
— 叶 精二(Seiji Kanoh) (@seijikanoh) 2018年4月5日
昨年から更にお痩せになって、でもいつものように舌鋒鋭く万物を斬って語り尽くし、「ありがとう」と笑顔に握手でお別れしました。
お悔やみの言葉を口に出せないのは、語源や歴史を喝破され叱られると分かっているから。だから感謝。
高畑勲監督の作品は、若いときは良さが分からず、歳を取るほどに隠された意味が見えてきて、尊敬の気持ちが増すような偉大さを持っている。子ども向けの作品でも、子供騙しにはならない。人を愛するも、欺瞞に陥ることなくはっきりものをいう言論人の一人であり、いつまでも生きててほしい人だった。
— Shoko Ogushi (@vostokintheair) 2018年4月6日
昔、ジブリの鈴木敏夫サンが雑誌アニメージュにいた頃、名作のアーカイブ特集で高畑勲監督の「ホルスの大冒険」を取り上げようと思い、高畑監督にインタビューを申し込む電話をしたところ、インタビューは受けない。なぜなら…という話を延々1時間も電話口でされて断わられたエピソードが好き。
— 指南役 (@cynanyc) 2018年4月5日
押井守が高畑勲に「作品の日常表現に感動した」って言ったら「あなたの言ってる日常っていったい何なんですか」と高畑勲に返されて押井守が黙ってしまったエピソードも好き。
— Nekozeman (@Nekozeman1) 2018年4月6日
高畑勲監督。『かぐや姫の物語』がめっちゃ好きで「天人の音楽」なんてベスト級なんだけど、監督ったら本編の作曲を久石譲さんに依頼する前に初音ミク使って自分で先に主題歌とか劇中歌を作っちゃってたっていうエピソードすき。
— 葦見川和哉 (@kazuya_movie) 2018年4月5日
80歳間近にしてボカロで作曲しちゃう高畑監督は本当に凄い人だった。 pic.twitter.com/mCPMgtcygv
このエピソード、宮崎駿作品で主題歌まで含めて作曲する久石譲さんにとってはシャレにならない高畑監督のフライングで、久石さんも「通常ならお断りするお仕事」って姿勢だったんだよね。それでも依頼を受けたのは「高畑監督とご一緒できるならぜひ」という理由。それだけ、やっぱり凄い人ということ。
— 葦見川和哉 (@kazuya_movie) 2018年4月5日
宮崎駿監督の心持ちは、いかばかりか。
ナウシカ制作時にプロデューサーを高畑さんに依頼したら「自分がいかにプロデューサーに向いていないか」を論理的に記した資料を渡されて断られ、宮崎監督は居酒屋で鈴木Pを前に「自分は青春を高畑勲に捧げたのにまだ何も返してもらってない」と涙したという話も好き(その後結局引き受けたけど)
— まぐれもの (@maGuremono) 2018年4月6日
高畑監督がアーティスティックプロデューサーを務めたこの作品も、素晴らしかった。美しく、残酷で、力づけられる作品。
映画 「レッドタートル ある島の物語」 紹介 - The Red Turtle -
高畑勲監督が「かぐや姫」のあとにアーティスティックプロデューサーを務めたこの作品は、作家がパクさんの熱烈なファンなせいか、美しくも残酷な世界を描く高畑イズムが透徹していた。大画面でその描写の凄さが実感できる作品でもある。つまり、徹底的に「映画」。
色々なかたちで素晴らしい作品を残したパクさんに感謝を、そして平安を祈ります(「ご冥福を」というと語義に厳しい本人に「わたしが仏教徒かどうかわからないじゃないですか」「そもそもあなたは仏教徒ではないでしょう」「信仰もないのに軽々しく宗教の言葉を使うなんて」と言われてしまいそうなので、控えます)。