900草原
北海道旅行、人のいないところその②は900草原。撮り忘れたのですが、看板のロゴのフォントのせいで「goo草原」に見えて、「中古車が放牧されているのか」とか言い合ったりしました*1。
なんとなくこの本の、このシーンを思い出したりして。
ねこを探しに出かけたおじいさんは、たくさんのねこであふれた丘にたどりつきます。
*1:リンク先表紙の三枚目の写真にそのロゴがあります。https://www.masyuko.or.jp/introduce/900sougen/
相生鉄道公園
前回のエントリで北海道に行ったと書いたけれど、人のいないところばかりに行っていたので現実感がなく、今でも半分、記憶が夢のようです。
人のいないところに行こう、というのを夫の人と特に示し合わせたわけではないのですが、お互い普段は仕事で過剰に情報に晒されているせいか、これまでの旅行以上にそうなりました。
連休直後の平日だったせいもあるのだろうけれど、泊まった阿寒湖でのアイヌシアターでの演目はどれも観客少なめで、没入できたぶん、気になる粗も見えてしまったり。ただ、自然となるとそういう粗がないのがいいですね。
というわけで、人のいないところその①、道の駅あいおいにある相生鉄道公園(なお今後、丸数字の数値が大きくなるほどに人のいない度が上がります)。初日に空港からホテルまでのドライブ中に見つけて寄ったところ。そしてその後、どこに出かけるにもここの前を通ったところ。
鉄道公園にある車輛はライダー向けの素泊まりホテルになっていますが、今はクラウドファンディングによる塗り直しのため休業中とのこと。
猫のように狐が眠る北きつね牧場
もう先月のことになるが、北海道で北きつね牧場というところに行った。フェンスで囲われた中に自然に近い状態でキタキツネが飼育されている観光施設だ。自然に近い状態を保つため、見学者は原則的にキタキツネにさわってはいけない。近くに来てもおさわり厳禁だ。といってもさわれるほど近くになぞ、キタキツネは来なかったのだが。
あと、キタキツネの皆さんは、とにかくぐうぐう眠っている。やはり夜行性なのか。われわれが帰る間際になって、係のお兄さんが用事で入ってきたら、石に駆け上ってみたり、すごい勢いで子ぎつね舎のなかの子ぎつねたちがお兄さんのほうに駆け出して、お兄さんが去っていくと、「キューン、キューン」と鳴いてたり、入ってすぐのお賽銭箱横で置物のように寝てたキツネが起きてきたりした。これが滞在時間30分程度のなかでの唯一、キタキツネたちの動きの激しい時間であった。
鴨川べりの恋人たちのように、等間隔でシンクロナイズ睡
「だれか来たの? あー、係のお兄さんじゃないんだ。寝よ」
行き倒れてるかのようにぐっすり。呼吸が割と早いのでおなかの動きで「生きてるな」って感
日向ぼっこする皆さん。おじいちゃん的な個体も、目の脇に寝癖のある個体も。
ぜんぜん寄ってこない。っていうか猫かっていうくらい寝てる。
「何の用?」
絡みが見られるかと思ったけど不発。個別に落ちてきた木の実を探っているだけ。
係のお兄さんが入ってきたのにつられてか、突如アクティ
牧場脇の川の風景は、正しく夏の終わりという感じに美しかった。
川向こうには道の駅おんねゆ温泉。
北きつね牧場は、ほんの三十分強の滞在でも、見て回っているとキタキツネたちの顔立ちの違いがわかってくるのも楽しい。そして、キタキツネは思ったほどサイズが大きくなく、大きめの痩せた猫くらい、姿は犬っぽいけど、しぐさや表情は猫っぽいことを知った。大きさについてはイメージの中で、オオカミと混同していたらしい。ただ、寝ている姿以外のいい写真を撮りたいなら、椅子と三脚を持ち込んで開園と同時に入り、粘るしかなさそう。
それにしてもキタキツネ、というかキツネ全般がこんなに自分の近くにたくさんいる状況というのははじめてで、過去に読んだキツネが登場する物語をいろいろ思い出したりした。
初老とは
かつては40歳くらいのことだった初老、今では60歳くらいが使用イメージに当てはまる言葉なのだそう。
うーむ、するとアラフィフのわたしはそのような呼び方だと何を名乗ればよいのだろう。なお青年と老年のあいだを指す中年は、35歳から64歳くらいまでを指すのだそうで、これはちょっとレンジが広すぎる。かといって熟年っていえるほど成熟してないしなあ。
まあ、そんなことはいいとして、ここ数日で続けざまに、「こうはなりたくないな」という高齢者を見かけた。
一人はスーパーで。台風対策で混んでるスーパーで殺気立ってる高齢女性が、たいして空いてもいないレジの並び列を詰めろと若い女性にいちゃもん付けててげんめり。いや、そこを今ちょっと詰めてもレジの速度、たいして変わらないですよね? しかも若い女性が「そんなに詰められないですよ」と言ったら、「りくつ言うんじゃないわよ、りくつを! あなた斜めになってたじゃない!」。それを言うなら「屁理屈」では……。
もう一人は地下鉄で。隣に座った裕福そうな高齢女性が、音楽はチープな電子音、画面には文言が流れるネトウヨYouTubeを見てるのに行き合ってしまった。耳障りな電子音が流れっぱなしなので、「音を低くしていただけませんか?」と意を決して言ったら、お年のせいか耳が悪いのか、「アラ、音、出てます?」とスマホを耳に当てたりしていたが、マナーモードにすることを知らないようで、結局あれこれ試したあとに動画を止めてスマホをしまっていた。逆切れされなくてよかったけど、ああ、こういう層がああいう番組を見るのか、と暗澹たる気持ちに。それにしても、あんな単調な番組によく耐えられるな……。それともあと二十年もすると、わたしもあれくらい単調な番組じゃないと疲れちゃうようになるの? そんなの嫌ー!
『記憶にございません!』、豪華出演陣と直球の風刺に文句なし
お米がおいしい秋ですね
お米。おいしいお米。それはわたしの場合、自転車で自宅から飛ばして10分ほどのところにある、こだわりのお米屋さんで買うお米である。
わたしの好みのお米は、硬めに炊いても香りと甘みがあっておいしいお米。このお米屋さんに最初に行ったときにそう伝えて出てきたお米リストの中から、お財布と相談して買ったお米がたしかにおいしく、それ以来、よほどの緊急事態でなければここのお米以外のお米を買って炊いて食べたことはない。品種は基本的には千葉県など近県産のコシヒカリかそれ系列だ。
なおこのお店、店主がお米の話になると止まらない。お米が好きで好きでたまらない、というのがあふれ出てくるのだ。お正月のお餅についても、こちらの好みドンピシャの白毛餅をすすめられ、それ以来、うちではお正月には白毛餅と決まってしまった。
ここでお米を買うときは、30キロまとめ買いしてお店に保管しておいてもらい、米穀通帳ならぬ、5キロごとの精米チケットをもらう。必要になったら自転車を漕いでお店に行き、チケットと引き換えに精米してもらう。精米中は店頭で新しいお米情報やお餅情報を漁る。精米が終わったら自転車の前かごにずっしり来るお米を入れて帰宅。そのまま炊いてもよし、炊き込みご飯にしてもよし。
ところでこのお米屋さん、東日本大震災のときには取り付け騒ぎのようにお米を買いに来る人々が多くて大変だったそう。おかみさん曰く、「福島県以外のお米を、っていうお客さんには悪いけど笑っちゃった。だってそのとき在庫してた福島県のお米は原発事故以前に収穫されたものなのにさ」。いやはや。
高畑勲展@東京国立近代美術館
終了直前ギリギリに高畑勲展。けど、天才の仕事を、天才性の求められない仕事をしている凡人が仕事前に見るもんじゃないですね。仕事とは……。仕事って、なんだっけ……。みたいなことになるので。
というのも、とにかくその才能と容赦ない仕事ぶりに圧倒されるわけです。身終えるとグッズとか買う気も起こらないくらい。本は買ったけど。
宮崎駿も自分のアニメを作りたいという気持ちと同時に、「このままこの人といるとすり潰されるのでは」という恐怖で途中から逃げ出したんじゃないだろうかと、『母を訪ねて三千里』での製作陣の言葉から邪推したほどの容赦なさ。むしろ最後のかぐや姫までつきあった背景の男鹿和雄たちは凄い!
迷ってる方は最終日にぜひ。なお図録は先払いの自宅配送になります。あと音声ガイド借りたんだけど、これがとてもよかった! 関係者の肉声コメントが聞けます。この音声ガイド含め、監修者や近美のキュレーターさんの仕事ぶりも容赦なかったです。凄いものを見ました(ただ、入り口付近の遡る年譜だけは、逆流してくる人の流れを考えてほしかった……)。