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バトン考

こうしてウェブ上ではいろいろなバトンが回っているわけだけど、さてその状況というか、バトンを回し、かつ回されて答えるという構造を考えてみた。



まず、なぜ回すのか。これは回した相手が自分と同じ質問にどのように親和性のある、あるいは違和感・驚きのある答えを出すかという興味と、回されてきたものを自分のところで途切れさせるのはどうか、という義理に、主に支えられていると思う。
回されて答えるほうに関しては、自分自身を知る、という興味がある程度満たされること、また、バトンの流れから仲間はずれにはなっていない、という安心感・仲間意識があるであろう。



このような心理的な面はおいておいて、ではブログにおける「お題」投入という構造に関してはどうか。
これらのアンケート式バトンは、ミュージカル・バトンが発祥で、外来のものだという*1。しかし、その構造は、わたしがいま「お題」と書いたように、日本では「大喜利」「三題噺」などのようになじみ深いものだ。
しかし、自発的にテーマを見つけてエントリーを上げる、というブログにおいて、他者から課せられる「お題」というバトンに違和感を表明する人もいる。たしかに、わたしのように日々、とくにテーマも設けず適当なエントリーを垂れ流しているようなのとは異なり、明確な姿勢やカラーを打ち出しているブログに、そことはテーマを一にしないバトンが投入され、回答された場合に、バトンは流れに沿わず、ぷかぷかと浮く、ということも考えられる。



ということは、バトンはそれが回される際、テーマ性の薄いブログとのほうが親和性が高い、ということにはならないか。それはたとえば、ネタ不足のブログにバトンが投入され、エントリーが上がるというような… あ、まさにこれか!

*1:これには大笑いさせてもらいました>http://zenmind.exblog.jp/2970973