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霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

この日の朝、新聞各紙に

雑誌『LEON』*1の広告が出ていました。そこに、この雑誌の読者層を姉妹誌『NIKITA』のそれを狙う層として想定しようという小見出し、発見。題して「▼ニキータ♥(ハートマーク)をきゅんとさせるサプライズ小ワザ」。

NIKITA』が創刊されてからしばらく、わたしはこの両誌の関係は、同じ漁場に居合わせない者同士なのでは?と思っていましたが*2、そうでもないようですね。そしてこの『NIKITA』狙いの小見出しを含む特集自体のタイトルは「“真っ当”はオヤジの天敵です!/モテるちょい『ロクデナシ』の作り方」。

…ああ! 気色悪いことこの上ない。

この雑誌のもとからのコンセプト、「モテる『ちょい不良』オヤジの作り方、教えます(ちなみにみなさまご存知でしょうが、「不良」と書いて「ワル」と読ませます)」も露悪的で気色悪かったけど、「ちょい『ロクデナシ』」っていうのはさらにその上をゆく気色悪さですね。
ワルを気取る露悪の前に、「オヤジの天敵」だという、“真っ当”がこなせているのか、という疑問。
「崩す」というのは基本=“真っ当”があってこそ。それがなかったらただずるずると崩れていくのみではないでしょうか。“真っ当”ができていないのに、ずるずる崩れていくような人間、それもどんどん年老いていく年齢の人間に、モテなんてありえません。だって、モテって対象の多面性からのギャップから生まれるものだと思うから。

さて、不良というのは思春期において誰もがかかりやすい流行病であり、いいトシして「不良」だとか言ってるオヤジは、自ら意識しているかいないかはわからねど、「ケツに卵のカラくっつけてるよちよち歩きの不器用なぼくちゃんをかまってかまって〜」という謂の小児的な愛情欲求を抱えた『不良品』なのであって、そういう不良品を不憫に思うような母性豊かな、あるいは男性に対して優位性を感じたい女性が相手をしてやればよろしい。どっちにしろ作り方、などと言っている時点でモテのためのポーズに過ぎないわけです。まあともあれ、人生のほんの一時期である思春期の流行病、「不良」であれば、擬態してもそれほど害はないでしょう。

けど、「ロクデナシ」。これは、擬態としてどうなのでしょう? 「ロクデナシ」は「不良」とはちがって、生来的な気質によって引き起こされる人生の通奏低音なんじゃないでしょうか。そして、「ロクデナシ」と称される人は、越路吹雪も歌った(もちろん梅ちゃんも歌った)名曲、『ろくでなし』の歌詞にほの見えるように、また、町田康の小説作品『告白』*3が見事に描き出したように、そのようにふるまおうとしてふるまっているのでは、たぶんないのです。

むしろ、自分にとっては自然であるところの「ロクデナシ」なふるまいが、なぜいつもコミュニティから自分を阻害してしまうのかわからず、苦しい人生を送っている人であるといっても過言ではないのでは? なにせ「ロクデナシ」は、「不良」とは違って連帯して珍走する仲間もありませんし、「そろそろシンナー遊びも珍走もヌケて結婚でもすっか」というように、「ロクデナシ」を「卒業」することだってできません。

つまり、「ロクデナシ」とは、『不良品』ならぬ『欠陥品』なのです。『不良品』はどこかの部品を替えれば使用可能かもしれませんが、『欠陥品』は三菱ふそうの一連の事件に見るごとく、下手に関わると会社存続の危機だとか命を落とす危険性さえ、あります。そのような人格をモテのために擬態することの意味とは、果たしてどのようなものなのでしょうか? ボクちゃんかわいそうな子だからかまってかまって、ということでしょうか? なんにしても、そのオヤジという年代にしては浅すぎる人間と人生への洞察具合には、大いに気色悪さを感じさせられます。

「不良」とかいって若ぶりたかったり、「ロクデナシ」とかいってかわいそうな子ぶりたいのであれば、今後いっそ、「ちょい」を女子高生語であるところの「プチ」で置き換えて生きていかれたらよろしいのでは?
それはそれでまた、気色悪いことには違いありませんが。

*1:http://www.shufu.co.jp/magazine/leon/ <公式サイト、http://www.fujisan.co.jp/Product/1281680343 <通販サイト。上部の特集ほか大見出し抜き書きと、下部のレビューに注目。

*2:http://d.hatena.ne.jp/Mmc/20041003#p2

*3:http://d.hatena.ne.jp/Mmc/20050522#p1町田康『告白』のレビュー、この日に書いてます。