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霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

コメントへのお答え

12/8の日記へのコメントへのお答えが長くなりましたので、こちらに掲載します。


mixiからいらした根本 章弘さん、新年、あけましておめでとうございます。

『春の雪』について、「なぜあんなに恋に落ちれたのか?」とのことですが、その疑義は、清顕と聡子の恋の、どの時点に関するものでしょうか? 

百人一首で遊んだ幼い頃に、聡子側の気持ちがすでに定まっていて、上の句の札と下の句の札を互いに持ち合った時でしょうか?

それとも、お互いに意識しあっているとわかっているのに、清顕の強情とひねくれにより、また、聡子が年上であり、さらにクラスが上であり、しかし経済的には下であるというような点も手伝ってか、素直に気持ちを伝えられないのに、清顕が聡子を喪失不安としか言いようのない夢にまで見るほど恋している時のことでしょうか?

それとも、聡子が宮家の許嫁となって、恋することがタブーになった時のことでしょうか?

よろしければお教えくださいね。

さて、とりあえずはご質問を、清顕と聡子の恋、全般にかかるものだとして考えてみましょう(著者でもないのに・笑!)。

「なぜ、恋に?」。恋に関するこの心理的からくりが、普遍的に解明されるならば、かなりの人数、あるいはかなりの時間が、恋の懊悩から解放されると思われます。

恋の理由や原因に関する「なぜ?」は、恋に落ちている本人でさえ、その最中には理由らしいこと(心惹かれる外見とか声とか行動とか思想とか)を挙げられるとしても、その恋から醒めてしまえば、やはり「なぜ?」と思わざるを得なかったりするのではないでしょうか。その恋の外部にいる第三者においては、なおのこと、謎でしょう。

たとえばAがBについて、「いけすかない目付きだ」と好感を持てないでいる同じ時に、Aの大親友Cは、「Bのあの神秘的な眼差しが、自分の上にできるだけ長く留まらないものか」と、恋の焔に焼かれるかもしれません。Aが、このCのBへの恋の「なぜ?」、つまり理由を理解することは、到底できますまい。

さらにはAでさえ、Bへの『いけすかない』がいつのまにか『気になる』へ、そして『気になるからもっと知りたい』という気持ちが膨れて、独占欲という形の恋に変わらないとも限りません。

恋には、明確に誰でもが納得できる「理由」などというものはないのです。なぜなら恋は、「理由」を成り立たせる理性やロジックを、当事者にも第三者にとっても、理不尽にさえ思えるほどに吹き飛ばしてしまうものだから。

ことほどさように、「なぜ?」という理由や原因を問う理性的な疑問がもっとも意味をなさないのは、恋だとわたしは思います(次点は憎しみでしょうか)。

ですから、『なぜあんなに恋に落ちれたのか?』と問われても、「恋とはそういうものだから」というトートロジー的なことしか、言いようがありません。つまりは「だって、恋しちゃったんだもん」というわけです。

それは、古くは『ロミオとジュリエット』から、何度も語られ、書かれてきた謎と神秘です。誰でも陥る普遍的な事象ながら、そのからくりが解き明かせないからこそ、そのように繰り返し、題材として採り上げられるのでしょう。