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霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

DCPRG@渋谷O-EAST

Structure et Force  Date Course Pentagon Royal Garden
新曲多めというのもあってか、おおむねフロアの反応はおとなしめ。が、新曲とおなじみの曲とのコントラストのせいか、一曲ごとに混沌は増していき、各自そのなかから自分の踊りたいリズムを取り出す、といういつもの踊り方へ。

知ってるはずの曲も、はじまりはアルバムとも以前のライブとも、いつもちがう曲のように感じるDCPRGのライブ。おなじみのベースラインやメロディーが流れて、すぐに気付くんだけどね。あるいはおなじみのベースラインなのに、かぶさってくる音のアレンジが超訳みたいなすごい跳躍っぷりだったりして。

ところで、DCPRGの効果について、菊地さんが日記で、こんなことを書いてた。

 一方で言うまでもなく、儀式には非常に強い、浄化や啓示に隣接する快楽性もあります。我々はポリリズムによるイーオン時間。即ち、今、ここで生成され、発見される時間。というものを音楽の構造に含んでいますので、臨床的な証明こそ不可能なままですが、心身に対し様々な効果を持つと思われます。一番大きな物は、性欲に対する物だと思いますが。

そう、たしかにDCPRGのライブは性欲を昂進させる。その理由が、この何重にも重なり合うポリリズムのなかから、各自が自分の踊りやすいリズムを取りだして踊る、ということと、曲の構造そのものが、きわめてセックスに酷似している、ということがあるように思う。

前者に関しては、10分とか20分の単位で体を動かし続けるのに心地よいリズム、というのを、音楽家でもスポーツ選手でも舞踏家でもない普通の人間が体内に探し求めるとすれば、そりゃあセックスのリズムしかないと思うわけだけど、わたしの中ではダンスの快感とセックスのそれとが、シナプスの中で思いっきり合致しちゃうんですよね。

後者に関しては、最初は構成される音それぞれが探り合うように異なるリズムやメロディで、肌の表面の反応を触れあって、様子見でもする男女のようにはじまり、やがてそれが混淆し、男性的な性感にも似て、一気に頂点で弾けて、バスッと終わる曲や、女性の山あり谷ありな快感グラフの上下をなぞるように昂まっていく曲、明らかにマルチプル・オーガズムな曲なんかのメロディーラインで煽られるわけで。

それを考えると、菊地さんは上の引用元と同じ日記の中で、「本当に強烈な体験というものは3時間ぐらいが丁度よろしい。不肖ワタクシ、キスだけ180分した事がありますし、」と、DCPRGのライブをロマンチックにキスになぞらえてるけど、実際にはほとんど素股ですよね、などと思ったりして(下品ですみません)。

しかしながら、食闘家(さいきんあんまり戦ってませんが。今度、肉と戦った日のことを書きます。あと肉といえば、菊地さんの脇腹よりうしろ、いわゆるラブハンドル部分にこってり肉が載っていたのが気になりました)としては、キスだけ180分、のあとに続く、「アラン・デュカスが絶頂期にある頃、ランチだけ180分したことがあります。」にも、食欲という名の劣情を猛烈に掻き立てられるのですが。