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集会は会場のキリスト教会がいっぱいに

いつも情報を転載させている方からメッセージでいただいた、集会での様子についてのメールの転載です。


この集会で話されたことのなかでもっとも知っていただきたいことは、


ハマスは、パレスチナの人々の要求から出てきたもので、孤児院などの建設や福祉に力を注いできた中東最大のNGOであり、圧倒的なイスラエルの軍事的脅威のために軍事部門を作るようになったのであって、単なる軍事組織ではない。またハマスの要求は、ガザの経済封鎖の解除であって、イスラエルは戦争する必要などまったくない。イスラエルの狙いは、別のところにある」


ということです。ほかにも「なぜ12月27日にガザ侵攻が行われたか」についても簡単に解説されていますので、お読みいただきたいと思います。

Hです。今日は、東京のピースパレードに参加して、午前1時頃帰ってきました。今報告を書いています。


12:30からの「ナクバ」の上映会から参加しましたが、天木さんも那須から駆けつけました。名古屋で昨年の12月23日の名古屋訴訟の会以来の再会でした。上映の前に天木さんは、以下のような挨拶をされました。「私は、イラク戦争に反対して外交官を辞めさせられたが、こうした政府の元で、これ以上やっていても私の外交官人生に意味はあるのか、と自問した。私は、レバノン大使をやって、イスラエルの非道とパレスチナの困窮の原因を知ってしまった。知ってしまった以上、自分にできることをやらねばならない。今日正直東京まで出てくるのは億劫だったが、でもこのパレードに参加せずに、これから私は生きていけるのか?と自問した。小田実氏は、「デモというのは、前後左右見知らぬ人と一緒に歩き続けることだ」と言っていたが、これから今日のデモに参加して、誇りを持って人生を生きて生きたい」と挨拶されました。映画「ナクバ=大惨事」については、近日中に八ヶ岳でも上映する予定です。


その後15:30からは、ピースパレードに移りました。主催者側の発表では、1500人の参加でした。印象的だったのは、とても若い人が多かったことでした。天木さんも同じ印象を持ったといわれていました。今日の東京はとても寒く感じられましたが、20才台の若者や、アムネスティやJVCで活動されている若い人たちが、イニシャティブを取って運営されているのを見て、とても勇気づけられました。


夜は、聖公会の聖アンデレ協会で、シンポジウムがありました。会場に、入りきれない人もでて、会場は、二つに分けられ、一つの会場での発言を終えた講演者が、次の会場に来て、同じことをしゃべってくれました。参加者は、ここでも優に300人を超えていたと思います。


その講演で印象に残った発言を若干紹介します。発言者の名前をわすれましたが、なぜ12月27日にガザ侵攻が行われたか、と分析してくれた人がいました。

イスラエルでは、2月1日に総選挙がおこなわれますが、オバマ氏が大統領になったら支持してくれるかどうかわからない。

またイスラエルは、ほんの少し前まで、バブルで、テルアビブなどは、建物の建設が相次いでいたが、ここにきて経済が急に冷え込み、与党には不利な状況になっている。そこでハマスをたたいて、弱腰でない強い政権を誇示しようとしているのではないか、という見方でした。つまり、27日からガザへの攻撃は、イスラエルの国内の政治事情によるものだという意見でした。


ところで、パレスチナ問題に対する日本の報道は、「暴力の連鎖」などと言葉で、あたかも公正を装っているが、これは正確ではない。

ハマスは、パレスチナの人々の要求から出てきたもので、孤児院などの建設や福祉に力を注いできた中東最大のNGOであり、圧倒的なイスラエルの軍事的脅威のために軍事部門を作るようになったのであって、単なる軍事組織ではない。またハマスの要求は、ガザの経済封鎖の解除であって、イスラエルは戦争する必要などまったくない。イスラエルの狙いは、別のところにあるというものでした。そして、われわれが動くことは、日本の品位を守ることである、といわれていました。


その後の広河隆一さんの発言もそのことをよりはっきりと明示するものでした。パレスチナ問題を「報復の連鎖」であり「どっちもどっちだ」という人がいるが、これは事実をよく知らない。イスラエルは、ハマスからロケット攻撃を受けているというが、事実を確かめれば、これは対外的な言い訳にすぎない。

このガザ侵攻より前の3年間で、パレスチナ人の死者は、446人であるのに対し、イスラエルの死者は、7年間で12人である。


広河さんは、パレスチナ問題は、決して難しい問題ではない、という。この発端は、1948年にある。イスラエルを建国した折、その地にはパレスチナ人がいて、その人口の約半数がアラブ人であった。イスラエルは、そこで半数のパレスチナ人を追放して、ユダヤ人だけの国家を作ろうとした。これは、1948年にD計画と呼ばれ、イスラエル国家建設の指針となった。そして村人を攻撃して追放しようとした。

このようにしてパレスチナ難民が生まれた。そして移送委員会」transfer projektが計画され、村の住民が戻らないように村を破壊し、戻ろうとする者は射殺された。このやり方は、ナチスのハイヒマンの計画を真似たものであった。

こうした難民を作る計画に反対した国連の職員は、イスラエルによって、暗殺された。こうした事実を隠し続け、日本のマスコミは、イスラエルや米国のプロパガンダを鵜呑みにしている。


また自爆テロという言葉を使うのは、日本のマスコミだけである。英語では、suicide attac k(自殺攻撃)である。パレスチナ人のやることは、みな「テロ」という言葉でくくり、人心を操作している。そしてこんな多くのユダヤ人が殺されているというイスラエルプロパガンダを鵜呑みにしている。事実を検証すれば、これはすぐわかることである、と日本のマスコミの知的怠慢を批判された。


現在までのガザ攻撃でのパレスチナ人の死者は、804人、そのうち子供230人、女性94人負傷者、3310人と報告された池田香代子さんの発言は、「ナクバ」が今も続いていることをよく示していた。また池田さんは、フランクルが「夜と霧」の代版を1977年に出版したことの背景には、彼の著作が、イスラエルの建国神話に利用されているのに、心を痛めて第2版を出版されたのではないか、言われたことに、僕は、フランクルを尊敬しているので、興味をそそられた。フランクルは、別の本でも、収容所で病気になったユダヤ人のための薬代をポケットマネーから出していたドイツ人収容所長のことを尊敬をこめて語っていた。また収容所内のユダヤ人が、同胞を虐待していたことも語っていた。話から池田さんは、人種主義的な発想に陥る危険に警鐘を鳴らした。僕はこの発言に感銘した。


そのほかにも、JVCの方々による子供たち被害の実態の報告もあり辛いけれども、有益な集会でした。


最後に主催者から、次パレードいつですか聞かずに、どうかあなた自身が発信者になって、あなたの町でもこうした事実を広めてください。ガザの人たちの生命を救うのは、こうした国際
世論の盛り上がりに頼るほかないのですから、という呼びかけで終わった。僕には、若い人たちが、動きだしているのが、とてもうれしかった。重要な発言は、このほかにもたくさんあっ
たのですが、きりがないので、取り急ぎ報告しました。もしこの集会に参加した人で、僕の報告に誤りがあたりお気づきの点がったら、遠慮なく訂正していただければ、幸いです。
                         H


「なぜ12月27日にガザ侵攻が行われたか」を解説してくださった方は、放送大学で教えていらっしゃる方とのこと。ほかに大塚英志氏、お名前を忘れましたがカーヌーン(イスラムのお琴に似た弦楽器)で『アランフェス協奏曲』が今回の死者のために演奏されたりなどしました。


なお、今回の集会でも話された広河さんが、ご自身の主宰される雑誌「DAYS JAPAN」のブログで以下の記事をエントリされています。


メディアとガザ報道
http://daysjapanblog.seesaa.net/archives/20090112-1.html