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シュヴァンクマイエル空間に耽溺する『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[前編]始まりの物語』

『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[前編]始まりの物語』をようやく見ました。魔法の使われる結界の、シュヴァンクマイエル風味の描写がとにかく素晴らしい。戦闘魔法少女なので、このシュヴァンクマイエル空間が頻々と出現するのだが、使い回しなどではなくいちいち異なるエログロ表現が楽しめる。アニメファンだけでなく、むちゃちゃ⇔あちゃちゅむのムックとおまけバッグが好きなおしゃれ女子も、見始めたらたまらないものがあるんじゃないかな。大きいおともだち(≠キモオタ)が好きなアニメなんでしょ、という思い込みを脇に置いて、子どものころに夢中になった戦闘美少女ものを楽しむ気分で劇場のスクリーンで見てほしい! 映画館で、というのは、やはりあのシュヴァンクマイエル空間はスクリーンで見てこそ、物語の絶望感とあいまって、あの悪夢感が身に滲みると思うから。

物語の絶望感は、情報を持つ者と持たざる者、そして持っている情報を囲い込むあこぎな者が、持たざる者をヤクザライクに支配するという、映画の外の現実のトレースによって描写されている。そのトレースぶりは、前編の最後、持つ者の台詞に思わず「うわっ、あくどい! そうだとは思ってたけど、アンタあくどいわぁ〜」と青木雄二のマンガを読んだ時のように心中で叫んでしまうくらい。

そこに、魔法少女ものアニメの嚆矢のひとつ、『魔女っ子メグちゃん』でのメグとノン(そういえば、彼女達もまどか達と同じく、中学生という設定なのだった。先輩魔女の名前もマミ!)の最終対決から、「少女革命ウテナ」を思い起こさせるまだ社会に出ていない少女たちなどにいたる、学校を中心とした閉鎖的な生活空間で追いつめられていく重苦しい閉塞感、前述のシュヴァンクマイエル空間が組み合わされて、美麗な悪夢が出現する。ダーク・ファンタジーとして、これはたしかに出色だと思う。映画前編の印象が鮮やかなうちに、後編も見たいものです。