シレジアを探せ
ふと思ったのです。シレジアって、どこだろう。バレエ『ジゼル』のあらすじには、こうあります。
ぶどう栽培を営む村。母親とともに暮らす娘ジゼルは、ある若者──じつはシレジア公爵アルブレヒトと恋に落ちている。(パリ・オペラ座バレエ団『ジゼル』あらすじより)
では、アルブレヒトが公爵位を持つシレジアは、ジゼルの住む村とどんな位置関係にあるのでしょう。
◆ぶどう栽培を営む村・ラインラント
まず「ぶどう栽培を営む村」は、
・中世ドイツの農村*1
・ラインラント*2
ということですが、ラインラントは現在のドイツ西部、ライン河沿岸地帯でドイツワインの中心的産地。ドイツ統一以前はプロイセン領で、歴史上、何度もフランスとドイツの紛争の的となった、なかなか物騒な歴史を持つ地域です。
ラインラントは現在はフランスに属するアルザス・ロレーヌ地方に接しています。余談ですが、アルザス・ロレーヌ地方といえば、思い起こされるのは『最後の授業』。
大人になって、17世紀から20世紀まで、この地方がドイツとフランスの間で何度も奪取し、奪取されたりした結果、現在はフランス領である経緯を知ってからは、「あの作品で感動した時間を返して」と思ったものです。
◆シレジア王国とラインラントの地理関係
ではシレジアは? こちらは、
ズデーテン地方と呼ばれていた現在のチェコ北部からポーランド南部にかけての辺り、「シレジア」の名で親しまれたポーランド西南部*3
とあり、地図を探してみたところ、このような位置にあったようです。
ドイツは約20万平方kmもの領土二度の世界大戦で失ったpic.twitter.com/mqu2BbEVjW
— ドイツ地図bot (@GermanMapsbot) 2018年9月14日
ラインラントがドイツの西なのに対し、シレジアはドイツの東。中世ならばいくつもの領地をまたぐ関係だったと思われます。共通するのは両地とも国境ぎわにあって、常に大国の領有権に左右されてきたこと。
また、ラインラントが一地方の州であったのに対し、シレジアは王国でした。
東プロシアは行政的には属州にあたるが、南のシレジアはドイツ人を主体に成立した誇り高い王国だった。その地の人々にとって首都ブレスラウは栄光の都であり、マーラーはひところ、ブレスラウ歌劇場の指揮者だった。トーマス・マンは『ヴェニスに死す』の主人公を紹介するのに、わざわざ母親が「ブレスラウ宮廷の女官」だったと書いている。*4
となると、『ジゼル』での シレジア公爵アルブレヒトは、自身のドイツの東の領地から、ドイツの西のラインラントに遊びに来ていたということでしょうか。
◆シレジア公爵とクールランド大公の姫の権力関係
ところでアルブレヒトの婚約者・バティルド姫はクールランド大公の娘とされていますね。このクールランドのモデルはクールラント・ゼムガレン公国ことクールラント公国なのではないでしょうか。そうだとすると、クールランド大公の国は、現在はポーランドであるところのバルト海沿岸の地ということになります。
こちらはロシア、ポーランド、東プロシアのはざまで揺れ動きますが、一時期はポーランド王の保護のもとにドイツ人がクールラント公国を建てています。つまり、地理的にはシレジアに近いのです。
……なるほど、つまりアルブレヒトは自分や婚約者の領地から離れて、ラインラントでの「ひと夏のバカンス」にジゼルを巻き込んで楽しむつもりが、秋の収穫期になっても当地を離れられず、故意か偶然か*5、秋の狩猟旅行で同じラインラントを選んだクールランド大公一行とバッティングしてしまった、ということでしょうか。
そして、大公の娘は姫ですが、シレジア公爵はおそらくシレジア王国の継承権のある王子ではなく、もしくは王位継承権第一位の座にはなく、この結婚はアルブレヒトにとって、いわゆる逆玉の輿だったのではないでしょうか。
そうではなく、王子と王女同士の結婚ならば、ジゼルとのことが露見した際に、ご主人様に叱られて尻尾を股の間に挟む犬のような具合ではなく、もう少し強気な態度であってもいいのでは、と思うのです。
しかし、そのシレジアもクールラントも、現実では第二次大戦や第一次大戦を経て王国としての姿を失っていることを思うと、ウィリたちの踊りの儚い美しさのイメージとともに、まったく諸行無常だなあ、と思うのです。
ヨーロッパの人たちはそういう歴史的経緯込みでこのバレエを見ているのでしょうか。それはまた儚さに拍車がかかりそうです。ああ、それにしてもまた、何の役にも立たない妄想をしてしまった……。
*1:パリ・オペラ座バレエ団2020年日本公演 名門バレエ団のエトワールが魅せるのは王道の個性溢れる「ジゼル」と「オネーギン」
*2:キーロフ・バレエ/ジゼル 全2幕 - TOWER RECORDS ONLINE
*3:『消えた国 追われた人々 ――東プロシアの旅』池内紀著、ちくま文庫、p30-13〜15行
*4:前掲書、p286-15行~p287-4行
*5:ジゼルはクールランド大公の隠し子説もあり。