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霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

チョコってやっぱり…

子どもの頃、カゴメのトマトジュース工場を見学したことがある。それはもうとにかく、ミラクルとしかいいようのない体験で、もともと好きだったトマトジュースが、以降ますます好きになってしまったものだ。

工場、とくに食品工場のなにがそんなにミラクルかといえば、もともとは自然天然に生み出される食べ物が、人間の考えたプログラムどおりに整然と生産されていく、その光景にある。

その意味で、映画『チャーリーとチョコレート工場』のオープニングには、まるで映画『イノセンス』のオープニングでアンドロイドがナノテクによって生み出されるシーンと同じミラクルを感じさせられた。

最初の一音で「ティム・バートン作品」とわかる、繊細で不安気な音楽に載って生み出されるチョコレートたち、そして、封入されるゴールデンチケット

もうこの工場のシーンで、今までに出会ったさまざまなチョコレートたちが脳裏に甦る。ハーシーの板チョコの、日本の板チョコのそれより薄くて頼りない銀紙を初めて破いたときのことや、洋モノの印象をわたしに特徴づけたキャドバリーの口溶けのねっとり感。

それ以降も、はじめてフィリングが入っている板チョコを食べたときの驚きや、体温で溶けて指を濡らすチョコレートトリュフ、湯煎に掛けた巨大なボウルの中で練られる粗みじんに刻まれたトイスチャーの製菓用チョコ2キロ分からたちのぼる香りなど、意志と関係なく様々なチョコレートの記憶が、味覚嗅覚はもとより、視覚から触覚、聴覚(あの、薄いリンツを噛んだ時のぱりりという音!)に至るまで、すべての領域から喚起され続けた。

それはさながらヘル・レイザーの人(ヒトなのかな…)の頭にささったピンが鍼として、それぞれ的確にチョコの記憶を刺し貫いているような感覚。特定の劇場ではチョコレートの香りが流れるとのことだけど、そんなの必要ないと思った。だって、それぞれ見た人が画面から思い出すチョコレートのミルクやカカオの配合具合は違うだろうしね!

この絶え間なく喚起されるカカオの多面体的な記憶と、神経症的な笑いを取り去った大量のせんだみつお、みたいなウンパ・ルンパの既視感あふれるレビューのドラッギィさ、ジョニー・デップのウォンカさんの冷笑っぷりも相俟って、『もじゃもじゃペーター (ほるぷクラシック絵本)』みたいな物語の骨子からあふれる教育臭も、あんまり鼻につかなかったな。

チョコレートからヘロインまで―ドラッグカルチャーのすべて

チョコレートからヘロインまで―ドラッグカルチャーのすべて

ところで映画を見終わって買い物にいったところ、リンツのカカオ99%を発見、早速購入。ぜんぜん甘くないし、美味とは言い難いのに、これもまた、気づくともうひとかけら、口にしているドラッギィ。そして、そのほかにもデカダンス・ドゥ・ショコラのボンボンやらなにやらで、冷蔵庫に5種類くらいのチョコレートが集まってしまいました。視覚からだけでもこれだけ訴求力を持つチョコレートってば、やっぱりドラッグ!