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ハンブルク・バレエ団『椿姫』@東京文化会館

ハンブルク・バレエ団のジョン・ノイマイヤー版『椿姫』最終日の4日を見ました。ガラなどで第三幕の「黒のパ・ド・ドゥ」は何度となく見ていましたが、生の舞台を通しで見るのは初めて。

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なお1日に同じキャストでリハーサルも見ていたけど、やっぱり本番はぜんぜん別物ですね。演技以外では、主にメイクとライティング。リハーサルでは女性陣は髪は結ってはいるけど舞台化粧ではないし仮面舞踏会シーンの仮面はつけてなかったりだし、ライティングも様子を見るためか舞台の進行と関係なく点いたり消えたりしていたし、けっこう細かくノイマイヤーや指揮者の指示が飛ぶしで、「仕事場拝見!」という感じだったので。

実はこの日は配役変更があり、椿姫ことマルグリットをエレーヌ・ブシェで見るつもりで席をとったのがアリーナ・コジョカルに、アルマンはクリストファー・エヴァンスで見るつもりがアレクサンドル・トゥルーシュになっていました。コジョカルのマルグリットは、2016年の『リリオム』のように「薄幸な女」ではあるけれど、うーん、高級娼婦には見えないかなあ……。劇中劇ならぬ、バレエ中バレエの「マノン」でマノン・レスコーを踊ったシルヴィア・アッツォーニのほうが娼婦っぽさが出せそうな……。ただ、その「薄幸さ」加減で舞台を支配してしまっていたのは、やっぱりベテラン! それに対して今回が初アルマン役のトゥルーシュは、コジョカルに力負けしていたように感じました。

全幕通してみると、第三幕の「黒のパ・ド・ドゥ」で代表されるように、恋愛のときめきよりも、つらさややるせなさが胸に迫ります。娼婦として生きてきたゆえに、あるいは、若くて情熱的であるがゆえに、お互いを傷つけてしまうふたりが哀れ。ただ、コジョカルがあんまり娼婦に見えないのと、トゥルーシュの力負けしている部分で、「可哀そう……(ハンカチを引き絞る)!」というふうにはのめりこめなかったのは残念。

その分、衣装の華やかさだとか、音楽と舞台の化学反応がよくわかったともいえます。紫(バレエ中バレエの「マノン」)、青(舞踏会)、赤(仮面舞踏会)、白(夏の別荘での高級娼婦じゃなきゃ着られそうもない総レースのドレスのバリエーションの美しさ!)、茶(冬のシャンゼリゼ)、黒×金(舞踏会)などなど、テーマに沿ってダンサーひとりひとりデザインの異なるドレスを見ているだけでも麗しい。

アルマンがマルグリットを苛め倒したあと、黒×金で統一された華やかな人々がシルエットとなって踊り続けるシーンは音楽が軽快なだけに、「高級娼婦が介在するような社交界ではマルグリットとアルマンみたいな話はよくあること」と、人々がすぐ忘れるか、意にも介さないかのようで、耳慣れているはずのショパンが、これまでとはまったく違って聞こえました。ピアニストはショパンコンクールにも出場したことのある方だそうですが、舞台に合わせてショパンをあれだけ弾き続けるのは大変そうです。

 

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また、プロローグとエピローグの競売の場面では「舞台と現実の境をなくしたら、一番高く値がつくのはマルグリットの日記だよなー」とか考えてしまいました。辞書を引き引きフランス語読むのはつらいので、鹿島茂さんに落札してもらって、書籍として出されたものを読んでみたい。

悪女入門 ファム・ファタル恋愛論 (講談社現代新書)

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ところでリハーサルの時から思っていたのだけど、マルグリットの求婚者のうちのひとりの眼鏡さん、一途なのにモブだから報われないのが、『うる星』のメガネの「ラムさ〜ん!」を思わせる。彼には幸せになってほしい……、と一般庶民の観客として妙な感情移入をしてしまいました。