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映画『FREE SOLO』ロードショー祈願@日本!

第91回アカデミー賞の最優秀ドキュメンタリー賞は、クライミングドキュメンタリー映画だった! それについて長ったらしくも熱苦しく語るので、今回は目次を導入してみました。

 

 

究極のクライミング映画、アカデミー賞受賞!

第91回アカデミー賞で、エリザベス・チャイ・バサヒリィとジミー・チンの監督した『FREE SOLO』が、最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した。

 

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作品は日本の映画館では未公開。前人未到の偉業を成し遂げたフリークライマー、アレックス・オノルドを撮ったもの。

wired.jp

監督の一人、ジミー・チンは自身もハイレベルな登山家で、前作『MERU(メルー)』では登山チームの一員として登りながら撮っている。

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少しでも負荷を減らしたいはずの高所登山でも、本人にとっては撮影機材を持って登ることは自然なことのよう。

eiga.com

 

映画、ドキュメンタリー、登山もの

ところでアカデミー賞などの映画賞で、ドキュメンタリー映画はフィクションより下に見られている気がするのはわたしだけだろうか。

脚本から人物の外見、話し方、光の当たり方まで、世界の全てを作り上げるフィクション映画のほうが人々に好まれ、また賞でも期待される。

それに対して、すでに世界に存在する事件や人物を写すドキュメンタリー映画は、「ありものを撮っているだけでしょ」とばかりに軽んじられている気がするのだ。

そのなかでも、特に登山ものは軽んじられている気がする。あらすじといったら、山に登って降りるか、登ってる途中で失敗するか、降りてる途中で失敗するかくらいと思われていそうだ。

そして素材となる山。

リュミエール兄弟が写した蒸気機関車に、史上初めて映画を見る観客たちは、列車が自分たちに突進してくると思って逃げ惑ったという。

 

cinefil.tokyo

ドキュメンタリー映画における山は、この蒸気機関車のようにとらえられているように思う。つまり、生命も魂も思想もない単なる物体としてあるいは、出すだけで「ズルい」と言われる無垢な少年少女や動物のような扱いだ。「世界最高峰とか存在がズルい」とでも思われているのではないか。

 

山の声を映画のかたちで翻訳

しかし、高さはどうであれ、山の難しさに接したことのある人なら、山には生命だけでなく、人間にはとらえきれない巨大な意思があるのを、内心に響いてくる声のように感じたことがあると思う。

エリザベスとジミーの前作『MERU』は、まさにその山の意思、山の声が、登山家たちが山と対峙することで、ビリビリ伝わってくるような映画だった。

山に登って、その難しさにぶち当たるとき、そしてそれをなんとか乗り越えたとき、あるいは悔しながらも引き下がって下山するとき、山から伝わる「声」が、登山家と山との対話が、あの映画にはたしかに収められていた。なんなら山のひとり言さえも。

そして、この山の声は、聞こえるようになった人なら普通の山岳ドキュメンタリーでも感じられる。とかいうとオカルトみたいだが、雑音としてのとある自然音が「虫の声」に聞こえるようになるようなものだといえば、わかってもらえるだろうか。

そしてこの山の声、『MERU』では特に山を登ることを趣味にしていない夫の人にも一緒に見に行ったときに伝わったようで、彼は鑑賞後、即、ジミー・チンや撮影された登山家のツイッターやインスタグラムをフォローし、のちにはブルーレイも買っていた。しかもMERU/メルー 完全初回限定生産 スペシャル・エディション [Blu-ray]。

 

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エリザベスとジミーは、山の声を映画のかたちで翻訳する手段を得たのだ。そして、ジミーが『MERU』を製作した動機、「山を登る気持ちを少しでも一般の方が分かるようにシェアしたかったんだ」、は叶ったのだ。

それはなぜか? 映画監督としてキャリアがありながら、登山家ではないエリザベスがジミーと出会い、恋に落ち、欠かすことのできないピースとしてジミーが参加する登山について、伝えられるかぎりのことを登山をしない人に伝えようとしたからだ。

エリザベス・チャイ・バサヒリイー監督が語る映画と人生

 

『FREE SOLO』を日本の映画館で見たい!

この登山家と山との対話は、今回アカデミー賞で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した『FREE SOLO』で、もっとくっきりと描き出され、それが受賞の決め手になったのではないかとわたしは思っている。

というのは、前作では登山家は、ヒマラヤ地域の難峰に複数人でロープやテントなどの装備ありで登るのだが、今回の『FREE SOLO』は装備といえるものはシューズとチョーク袋だけ。また、タイトルが示すとおり、一人での登攀なのだ。

と、なると山との対話は必然的に一対一。前作よりさらに山の声が伝わりやすいのではないだろうか。それに、今度はエリザベスにとって愛しいジミーはメインの被写体ではない。となると、より普遍的に山の声を翻訳する必要に迫られたと思うのだ。

ああ、『FREE SOLO』も映画館で見たいなあ! 究極のフリークライミングと、進化した山の声の映画化を大画面で見たい!!!

 

おまけ

授賞式のその瞬間やその後のフォトセッションでは、ジミー・チンよりエリザベスのほうが弾けている。これを見ると共同監督といっても、映画監督としてのキャリアの長いエリザベスが総監督で、ジミーは撮影監督というような役割分担なのかな? と思う。予告映像でもエリザベスの名前の方が先に来ていたし。

 

 

この↓「獲ったどー!」感あふれるエリザベス大好き。とにもかくにも、おめでとう!!!

 

 

付記◆アジア人が登山家と呼ばれること

登山が趣味になってきた頃、よくヒマラヤ登山の記録を読んだ。そしてだんだん、「あれ? シェルパがいないとヒマラヤ登山ってできないの?」と思うようになった。それに気づくまで、ジョージ・マロリーもエドモンド・ヒラリーも、自分のテントや食料を自分で担いで登っていると思っていたのである。違うし。

で、思うのは、荷物持ちじゃなければシェルパのほうがさっさと登頂できるんじゃないか? ということ。実際、一人で21回のエベレスト登頂をキメているのはシェルパなのだ。それも三人!

それを考えると、オリンピックの水泳競技に黒人選手がいないのと同じで、高所登山は白人富裕層のスポーツととらえられているのでは、という疑問が生じてくる。

ジミー・チン山野井泰史の存在*1は、そういうもやもやをちょっと晴らしてくれる。ちょっとだけどね。

 

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お題「今日の出来事」

*1:ほかにも日本人では平出和也や竹内洋岳がいるけれど。次はアフリカでキリマンジャロを史上最速で登山下山してくる現地の人とかが現れてほしい。