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毒親持ちが見る 映画『フリーソロ』@新宿ピカデリー

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わたしは登山記録とバレエを見るのをやめられない。それはどちらも、「人間は、身体をここまで拡張できるなら、 精神も拡張できるのでは」という希望を持たせてくれるからだ。そんなわけで待ちに待ったクライミングドキュメンタリー映画『 フリーソロ』を見てきた。

 

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この映画と同じ監督コンビによる『MERU』 もここで見たなあと新宿ピカデリーに向かう。あの時と違い、 レディースデーだからか、 アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞をとったからか、ほぼ満席! そして今作も監督エリザベス・チャイ・ヴァサヒリイの、 登ることに取り憑かれた人たちの様子を、 単なる記録映像としてではなく、 映画として翻訳する手腕に圧倒される。 この作品はクライミングの映画だけれど、 人間の精神の不思議についても考えさせられる一作なのだ。

撮影対象のアレックス・オノルドはアメリカ人。でも、 家族同士が「アイ・ラブ・ユー」 を言い合わない機能不全家族に育っている。その影響からか、 彼は恋人になかなか「アイ・ラブ・ユー」を言うことができない。

アレックスの母は完璧主義者で、 本人は自覚していないがほんのり毒親。 アレックスが記憶している、 アレックスに寛容でその夢を応援する父親が、 彼女からはなぜかアレックスを抑圧する父親に見えている。アレックス当人は母に完璧を求められて抑圧されていると思っているので、インタビュー場面でも外面よし子さんな母は、 自身の認めたくない姿を夫に付け替えてしまっているのだろう。

アレックスがクライミングでより高い目標、より完璧な対象を追うのは、 この母に育てられたからではないかと思える。そう振る舞うのは挑戦者として悪いことばかりではないけれど、 そのために周囲に精神的負担をかけることを、 アレックスは内心の深いところで気に病んでいるようだ。

そのアレックスが、ほんの一瞬、気を抜いたら即死という標高975メートルのツルッツルの花崗岩の断崖絶壁、エル・キャピタンのフリーソロ・ クライミングを終えたとき、 その精神に起こった変容をわたしたちは見ることができる。 明るくて開けっぴろげな恋人の働きかけはまったく通じていないように見えていたけれど、それは静かにアレックスの中に蓄積していたのだ。それが前人未到の偉大な挑戦を成し遂げたあと、そこからの解放感でようやく噴き出したその瞬間、一度目の緊張からの解放による安堵とは違う種類の、二度目の涙がわたしの頬を流れた。

アレックスはこの変容で、今度は愛を自覚し、失うものを得た者として、今までとは異なる恐怖やプレッシャーと向き合ってクライミングを することになるかもしれない。でもそれは、感情表現に乏しいやつという点から渾名された「ミスター・ スポック」として生きるより、 豊かな人生になるのではないだろうか。 

 

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それにしても同じ監督コンビの前作『MERU』もそうだけれど、 今回もどうやって撮ったのかわからないシーンだらけ。ヘリコプターやドローン、望遠撮影はまだわかる(なお今回の『 フリーソロ』 の舞台ヨセミテではドローン撮影が法律で禁止されているとのこと)。でも地上はるか数百メートルの垂直の岩壁で、かすかな突起にアレックスがのせる足のアップとか、 いったいどう撮ったのか。共同監督で撮影監督のジミー・ チンほか、プロのクライマーとプロの山岳写真家のチームにしか撮れない風景 だ。彼らの作り上げたこの風景は、 大きい画面で見ないと意味がないので、 わたしは少なくともあと一回は映画館で見ようと思っている。

 

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※「月刊暗黒通信団注文書」2019年10月号初出原稿を改訂