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共同祈願のからくり

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

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お題を読んで思い出したことがある。わたしが幼稚園児の頃に父に連れられてプロテスタントの教会の礼拝に行ったときのことだ。わたしの実家はカトリックだが、父はキリスト教哲学者だったので、プロテスタントの交友関係があった。その関係で礼拝に行ったのだと思う。

どのプロテスタントの教会もそうなのかはわからないが、その教会の礼拝にはカトリック教会のミサと同じく、「共同祈願」のコーナーがあった。カトリックではこのコーナーでは最近亡くなった教会員のために祈ったりするのだが、そのプロテスタントの教会では違った。いがみ合っている信徒二人の公開喧嘩の場と化していたのだ。

信徒Aが「信徒Bさんの八方美人な態度が教会に混乱をもたらしていることを、主よ、赦したまえ」といえば、信徒Bが「主よ、信徒Aさんの頑固さを取り除きたまえ」と返し、信徒Aがさらに「おお、主よ、信徒Bさんのために捧げる祈りを聞き入れたまえ」とかぶせ、信徒Bが「皆さん、祈りましょう、信徒Aさんの頑固さが取り除かれますように」と煽る。

カトリック教会の「共同祈願」の係が回ってくると、わたしは周りに合わせていかに「良い子」な祈願を述べるか当時から苦心惨憺していたので、このプロテスタントの教会の「共同祈願」にはかなり驚いたことを覚えている。家族も同様だったようで、それ以来、手の施しようのない人について「祈りましょう、◯◯さんのために」と言う冗談が家庭内で流行ったくらいだ。

ずっとあと、大人になって気付いたのは、あのプロテスタントの教会の信徒AとBは、当時流行っていた全共闘の「総括」を「共同祈願」に持ち込んだのかもしれない、ということだった。カトリックでさえ、フォークギターの伴奏で歌う聖歌(プロテスタントでいう讃美歌)が流行ったくらい、当時の学生パワーは影響力があったので。

それに気付いた自分を、「大人になったな、あの頃に比べて」と思ったことを思い出したのだった。