スイカジュースの思い出
三日に一回はプロントの塩スイカジュースを飲んでいる。ところでスイカジュースというと、今でも友だちと語り草になるできごとがある。
中学の吹奏楽部で一緒になり、今もつきあいのあるショーコちゃんという友だちがいる。中学か高校のとき、彼女が夏休み中にうちに遊びにきたときのこと、うちの母がスイカをざく切りにし、それをガーゼで搾って出したスイカジュースに、彼女はいたく感激したようだった。
そのころ、彼女のうちでは高性能なジューサーミキサーを買ったところだった。「あれを使えばガーゼで搾らなくてもスイカジュース作るの一発じゃね?」と思ったショーコちゃんは、帰宅して彼女のご母堂にスイカジュースをリクエストした。「じゃあ、明日の朝にね」とご母堂は答えた。
翌朝。ショーコちゃんの前に置かれたのは、雨の後の信濃川河口付近の水面のような、なんともいえない灰色がかった緑色っぽい液体だった。
「おかーさん、これ、なに?」
「え? あんたが飲みたいって言ってたスイカジュースじゃない」
ご母堂は、高性能ジューサーミキサーで、西瓜を皮ごとジュースにしてしまったのである。ちなみにその味は……、
「微妙に甘いところがまたなんともいえない不味さだった」
そうである。
温度差夫婦
暑い。コンクリートジャングル東京育ちだけど、暑い。今日は昨日より少し涼しいけど、夜はクーラーなしでは眠れない。なので帰宅すると寝室の窓とドアを閉め、クーラーの風量を強に、温度設定を26度にする。あまりに暑いとまず24度にしてあとから25度や26度に戻すこともある。
が、名古屋の団地でクーラーなし育ちだという夫の人は暑さに強く、というか、クーラーの冷えに弱く、「26度?! そんな寒い部屋で寝たら風邪ひく」と言う。24度だと「凍え死ぬ」そうである。そんなわけで、夏は別々の部屋で寝ている我々である。
ちなみに夫の人が涼しい〜寒い全般が苦手かというと、そういうわけでもなく、ただクーラーによる涼しさが耐えられないそう。なので、電車など公共交通機関にクーラーが効きはじめると、必ず上着を持って出かける夫の人なのであった。
SFTJ in フジロック2018とか
今年も七月二十七日(金)〜二十九日(日)、フジロックのNGOヴィレッジにStudents for a Free Tibet Japan(SFTJ)が出展します。こちらは↓去年の様子。
チベットモチーフの缶バッジなどの小物類や、チベットの祈祷旗タルチョなどを揃えてお待ちしています。苗場に来る方、ぜひステージの合間にNGOヴィレッジにもいらしてください!
今月三回目のバレエのレッスン。渋谷でお祭りのせいか地下鉄の発車が三分遅れ、ちょっと遅刻して入ったら、トウシューズ履いてるレッスン生が二人いて、違うクラスに来たかと焦った。
そんなことはなくちゃんと超入門クラスで、しかもバーレッスンを九割、センターレッスンを一割という先生だった。教え方もわかりやすく、かつユーモアもあり、「バランスのときにみんな、『出来なかったら罰ゲーム』みたいな必死な顔してるけど、もっと気楽に〜」という感じ。とはいえ毎週このクラスに出られるわけではないのは残念。
二週間ぶりのレッスンだったからか腰がつらすぎて、帰りにマッサージ一時間、そして混雑しているだろう渋谷を通らず、新宿の果実園に行ってごはん食べて帰宅。果実園では、席に案内されるのを待ってるあいだにピラミッド型の西瓜とか、ひとふさ一万円の葡萄などを見て心の中でいちいち驚く。
自家製ハンバーグの焼き加減は、中心に少し赤みが残る感じで今日も完璧。柑橘類が食べたかったので、季節のパフェが、パフェグラススタイルではないデコポンと柑橘類だったのでそれを。忘れてたんだけどこの皿盛りパフェ、すごいボリュームなのだった!
パスタ単品一人前は何グラムか
パスタのみで食事をすませる場合、一人前のパスタは何グラムを茹でますか?
というのは先日、新しくできていたパスタ屋さんで「大盛り150グラム無料、特盛り180グラム・200円増し」という表示を見たのです。大盛りで150グラムなら、普通盛りはいったい何グラムなのだろう……。
なお、大手小町で立っていた「麺類 何グラム食べますか?(駄) : 生活・身近な話題 : 発言小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)」というトピックでは回答欄に、「パスタなど、1人前を100gとしています」「150gでも1.5人前、たいていの人はこれくらいのサイズでしょうね」とありました。
かくいうわたしはパスタのみで食事をすませる場合、一人前として200グラムを茹でます。
ニマ・ラモ講演会と浴衣
◆ニマ・ラモ初来日トークイベント ~姪が語るテンジン・デレク・リンポチェ事件~
七月十六日の祝日は、獄中死した高僧である叔父、テンジン・デレク・リンポチェの、無実と死因究明を求めるチベット人女性、ニマ・ラモさんの講演会でした。今回も石濱先生がブログに記録してくださったので、こちらをお読みください。
ニマラモさんの昨日のスピーチをブログにあげました。
— 石濱裕美子 (@okamesaiko) July 17, 2018
最期に、言葉をつまらせてすごく長い沈黙があったことが印象的でした。中国では体制が目障りと思った人には人権がないことがわかります。
写真はジュネーブでの証言時のもの。https://t.co/tuDhmA9dWm
当日は質疑応答コーナーで、石濱先生のご質問で、リンポチェのご遺体もお遺灰も家族のもとには戻ってこず、行方不明ということもわかりました。わたしは司会でしたが、12日のスピーチよりも時間が長かったのもあり、よりくわしい状況を知り、涙ぐんでしまいました。
なにしろニマ・ラモさんは、ただ自分の叔父が無実の罪で拘束されて亡くなったから、ということではなく、チベット中でこのようなことが繰り返し起きていることを憂え、世界にチベット人が中国政府によって抑圧されている実態を訴えるために、自分の家族を残して黙って亡命してきたのです。
昨年、亡命してきたときに別れたお子さんは、いま七歳とのこと。親御さんは心臓が悪いので、一緒に亡命したくともできないとのこと*1。
唐突ですが、いま、神保町の岩波ホールで『ゲッベルスと私』という映画がかかっています。ナチスの宣伝担当相ゲッベルスの秘書だった女性、ブルンヒルデ・ポムゼルにインタビューしたドキュメンタリーです。予告編にこのようなシーンがあります。
「今の人はよく言うの」
『私ならあの体制から逃れられた』『絶対に逃げた』
「無理よ」
「あの体制から逃れることは出来なかった……」
しかし、第二次大戦終結から七十年余の2017年にニマ・ラモさんは故郷を離れ、体制の抑圧下でなにが行われているか、訴えています。残してきた家族や友人には「連絡すると迷惑がかかるから」*2と孤独を抱えての生活です。
それを思うと、「体制から逃れられない」ことなんて、ないのではないだろうか、あるいは人類は第二次大戦中よりも、少しは人間的に進歩しているのではないだろうか、そう思うのです。
それを、ニマ・ラモさんや、故郷を失ったチベット人、故郷でチベット人らしく暮らしたいのにそうできないチベット人という、つらい状況によって知るのは残念ではありますが……。
◆ニマ・ラモと浴衣
さて、ニマ・ラモさんは初めて日本に来てから浴衣に興味津々。孤独で緊張することの多い生活の彼女に少しでも息抜きをと、ボランティア仲間と浴衣着付け隊を結成、講演会が終わってから二人がかりで浴衣を着付けました。初の浴衣姿、とても喜んでいただけました。
浴衣を着る前の彼女が着ているのは、チベットの民族衣装チュパで、右前になる襟元が和服に似ています。……横のわたしは司会終了直後でヨレヨレなので、着崩れと姿勢の悪さはご容赦を。
ニマ・ラモさんの身長がわたしとあまり変わらないので、私物の金魚*3の尾鰭浴衣とマリンよろけ縞の半幅帯でばっちり、と思いきや、ニマ・ラモほっそい! バストはちゃんとあるのにウエストは蜂のように細いので、補正タオルがもう少し必要でした。
初の浴衣にはしゃぐニマ・ラモさんを見ると、平和に普通に知り合って浴衣の話がしたかったな、と思ってしまいます。彼女の笑顔の写真を見るたび、ちょっとせつない……。
寿司と肉とチベット人
先日、テンジン・デレク・リンポチェ顕彰「勇気のメダル」賞授与式の帰り、チベット人三人、日本人三人で回転寿司に行った。
すると、日本人と結婚して、日本で育てた息子が大学生になった一人のチベット人Aが、「回転寿司って、初めて〜」と、キャッキャして言うので驚いた。もう一人の既婚で日本で子どもと暮らしているチベット人Bも、「ええ? 子どもと行ったりしないの?」と驚いている。
なら、大丈夫そうなものをなるべくいろいろ食べてもらおうとする我々。なお、あとでチベット人Aが「カウンターのお寿司に銀座で行ったことはある〜」と言ったことにより、チベット人Cが「ジロー(すきやばし次郎)じゃないだろうね?!」と気色ばむ場面も。なお、気色ばんだ彼によると、Netflixで見た「すきやばし次郎」のドキュメンタリーに感心しきりで、いつか行きたい! と思っているそう。
さいわい、注文用のタッチパネルは多言語対応なので、英語セレクト。だがそこで、子どもと回転寿司によく行くというチベット人Bがニヤニヤして言った。
「英語メニューで説明されても、チベット人にとっては魚はどれもこれも全部『ニャ』だからねー」
そうなのだ、たいていのチベット人は魚を食べる習慣がないので魚をいろいろ呼び分ける習慣がないのだ。それでも烏賊、蛸あたりは食感がダメだろう、ツナ(っていうか鮪)とサーモンなら大丈夫というので頼んでみたり。そしてチベット人にとっては、イクラなどの魚卵、シラスなどはもってのほかである。というのも、チベット仏教の考え方からすると、生命体一つに魂が一つ宿っているので、魚卵やシラスなどは一度に大量に命を消費するけしからん食べ物なのだ。
と、そこで生の馬肉寿司や、ローストビーフ寿司なるものを発見。肉好きなチベット人、これはイケるのでは? と勧めてみたところ、チベット人A、
「いや、完全に火が通ってない肉は、ちょっと……」
とのこと。Aに限らずチベット人にとって肉とは、ちゃんと焼いてあるか(炒め物とか)、ちゃんと茹でてあるか(チベットの肉うどんとか羊の塩煮とか)、ちゃんと蒸してあるか(チベット餃子といわれるモモとか)、ちゃんと干してあるか(チベット高原の寒さと強い紫外線で乾かしきった肉とか)じゃないと不安で食べられないそう。
寿司を愛する日本人が、寿司はいろんなテクニックで生肉でも安全に食べられるようになってるんだよ、と力説するも、
「あの、火の通ってない『くにゅ』って食感がダメなんだよね〜」
とのことでした。いやあ、あの「くにゅ」がいいんだけどなあ。
ちなみにこの日のチベット人のみんなは、山葵はOK、というかむしろ好きだそうです。
チベットハウス東京で「勇気のメダル」賞授与式
昨夜、東京のダライ・ラマ法王代表部事務所、通称「チベットハウス」で、テンジン・デレク・リンポチェ顕彰「勇気のメダル」賞の授与式が行われました。
くわしくは石濱先生のブログをどうぞ。
獄中死したテンジン・デレク師を悼んで創設された「テンジンデレク勇気のメダル賞」が昨日発表された。テンジン・デレク師の事績を日本全国で語るため姪のにニマ・ラモさんが来日されています。詳細は以下のブログで。https://t.co/0LTsXtJRwp pic.twitter.com/Noi0a7VKJg
— 石濱裕美子 (@okamesaiko) July 12, 2018
写真はこちらのSFTJのフェイスブックで。
黒いストライプのチベット民族衣装の女性が、前回のエントリでお知らせした、テンジン・デレク・リンポチェの姪、ニマ・ラモです。
昨夜のわたしは写真係だったのですが、人物写真むずかしい……。ふだんケーキとかパフェとか花とか空しか撮ってないからか、連続でスタンディング睡眠中みたいな顔ばっかり撮れてしまったり。とにかく数を撮ったので、なんとか使える写真、必要な写真は撮れていました。この↓写真は開場前の待機中にスマホカメラで撮ったもの。