兎を追えない
二兎を追うものは通常以上にパワーが要る。知力体力資力などなど。それでもってそのどれも特に秀でていない場合の二兎は高望みというか、ころり転げる木の根っ子で待ちぼうけしているようなものかもしれない。
と、そんなことを自分の今後について決定することを目前にして考える。ついこないだ、老後に備えて持ち物を整理する話を母としたことも思い出したりもして。
10歳まで自分で髪を洗ったことがほとんどなかったという『秘密の花園』のインド時代の主人公のような母は、その出自にふさわしく素敵な着物を持っているのだが、残念ながらわたしがそれを着ることはできない。
というのも、母の身長はわたしの肩くらいまでしかなく、わたしの体型は洋服の女物でもにょっきりと手首より上が出てしまったり、肩幅が広すぎてバストやウエストに合わせると上着が入らなかったりという体型の違いがあるからだ。
「よそにあげるしかないわねぇ」という会話を思い出して、能力や運を引き寄せる力など、好いものがそのままには受け継がれ得ない、というか薄まるしかない宿命について、ふとその関連性を考えてしまった。かといって父あるいは母のクローンでは、わたしが書きたい論文のテーマは出てこなかっただろうし。
そんなわけで、「あれもこれも」というわけにはいかないのだが、なかなか「あれかこれか」と絞りきることができない数日間なのだった。