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亀肉
作家・筒井康隆が学生のころ、家に帰ってくると、冷蔵庫の中に調理された肉があった。大きさも手頃なのでそれを食べ、自室に向かったところ、父母の寝室から、父が
「康隆、冷蔵庫の肉食べたか」
と、聞く。
「食べましたよ? あれ、なんですか?」
と、息子が聞くと、父と母は声を揃えて
「もっしもっし、かっめよー、かっめさんよー」
と歌い、げらげらと笑ったという。ちなみに、当時、筒井康隆の父は、大阪は天王寺動物園の園長であった。
と、これはよそのうちの父と子の、食にまつわるエピソードだが、わたしも小さい頃、これに等しい状況によく遭遇した。まずはひとつめを。
父と食闘1・カップラーメン
幼稚園の年長さんだったころだと思う。冬休みの前に、全園生にひとつずつ、カップラーメンがプレゼントされたことがあった。
炭酸飲料やインスタント・ラーメン、カップラーメンは、当時のわたしのうちでは「ないもの」とされていたので、子どものわたしはどきどきしながらそれを持ち帰り、お湯を沸かし、3分待った。その心は「こんな化学実験のようなことで、食べられるものがほんとにできあがるのだろうか」というものであった。
で、3分経って、ついてきたプラスチックのフォークでかき混ぜて、初体験のそれを食べていると、父がやってきて、言った。
「知ってる? そういうのに入ってる野菜みたいなものは、紙をそれらしく印刷して、味を染み込ませてあるんだよ」
わたしは、これをたちまち信じた。なにせ、子どもである。しかも、幼稚園児である。そして、当時のフリーズドライの技術は現在のそれと比べたら、お粗末なもので、言われてみると、お湯で戻ったキャベツなどは、紙でできているような気がした。
以降、わたしが中学生くらいまでカップラーメンを積極的に食べなかったのは、このことに遠因があるのではないかと思っている。