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歴史大作映画への疑問と萎え

さいきん、衣装や背景が壮麗なファンタジー映画に続いてということなのか、歴史大作が次々作られてますね。『トロイ』とか『キングダム・オブ・ヘブン』とか。けど、いっこも見る気が起きません。予告編やTVの紹介番組のチラ見だけでも萎えるんです。理由は、過去の実在の歴史を描いているにも関わらず、基本的な構造が当時の社会への研究結果を反映してないから*1
『トロイ』では、予告で出てくる大船団が見る気を削ぎます。 おいおい、人口動態的にありえないだろ。あとブラピ演じるアキレスも、その髪の色とか当時のご当地のDNA状況でありえませんから。
キングダム・オブ・ヘブン』は、冒頭に起こるという「子どもを亡くした妻が悲しみのあまり自殺」というエピソード。おいおい、児童史のアリエス・ショック以降の研究成果*2くらいちょっと調べたらわかるでしょ。その時代に子どもの死に関してそういうふうに考え、かつ行動するってあり得ませんから!
だいいち、カトリックの村社会で自殺って、二重にあり得ない! どうして時代状況に照らして、「産褥の床で死亡」ってできないのだろうか。あまりにありふれてて「ドラマにならない」から? それってある意味、市井の死者への冒涜なんじゃないだろうか。 
そんなわたしはじゃあどんな歴史大作を見たいかと言えば、社会が違えば価値観が違う! たとえ先祖でも! ということが如実にわかる、歴史的に忠実な(笑)映画を見てみたいのです。過去の歴史の中でしか見られない、当時の人の思考と行動、それに基づいた生活様式。そういうものが見たいのー*3
だって過去の歴史的な出来事とその動機を、現代人の価値観で切り取って解釈したコスプレ映画*4って、なんの意味があるのかよくわからないんだもん。

*1:ファンタジーは現実の反映だから歴史映画みたいなことは概ね気にしなくてもいいんだけどねー。

*2:乙女たちじゃなくてフィリップ・アリエスの『<子供>の誕生──アンシャン・レジーム期の子供と家族生活』とか、ノルベルト・エリアスの『文明化の過程』あたりのこと。日本では柄谷行人がこれを下敷きに『日本近代文学の起源』において「児童の発見」という近代日本の状況を書いている。これらに関して、小谷野敦が『評論家入門』において反対論を述べているのだそう。読むのが楽しみです。

*3:たとえば『キングダム・オブ・ヘヴン』なんて、同時期のアラブの先進性を描いたほうが絶対面白いと思うんだけどなー。テロに走る原理主義者に、「このご先祖の合理的な理性に対して恥ずかしくないのか!」って示せるし。って、それもまた極端か。

*4:そういう意味では、『薔薇の名前』は命題自体が歴史じゃなく記号学なので、まあ許せる。