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霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

網野的な状況

ペペ・トルメント・アズカラールのライブ感想を書いていて思い出した、というか自分の中で綺麗につながったことを書きとめておく。たぶん、文章にするとあまりに当たり前にすぎるのだろうけど。
音楽をものする人とあわよくばまぐわいたい、という欲望は、単に耳に聞こえるいい音を生み出すということのほかに、生のステージで感じられる、レコードやCDやDVDには納まりきらないなにかを取り込みたい、という思いから発している部分もあると思う。
もちろん、音楽家の外見が好みだとか、有名人に選ばれたいという名誉欲もあるだろうけれど、そういう功利的に説明のつく動機以外に、カニバリズムにおいて相手の能力を取り込むことが目的である場合のように、可聴域からは外れる心地よい空気の振動を生み出す技を行使されることで、自分もその技を分け与えられたいという無意識的な動機もあるのではないだろうか。
そんなことを考えていると、網野善彦が『中世の非人と遊女』で明らかにした、日本の中世において、芸能民が天皇や神仏の直属民として特権を保証された状況が、急にリアルに思い出されてきた。それは、アマゾンでも引かれている、まさにこうした状況のこと。

このころの人々はそれ以上に、職能民の駆使する技術、その演ずる芸能、さらには呪術に、人ならぬものの力を見出し、職能民自身、自らの「芸能」の背後に神仏の力を感じとっていたに相違ない。それはまさしく、「聖」と「俗」との境界に働く力であり、自然の底知れぬ力を人間の社会に導き入れる懸け橋であった。