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霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

『まとまったお金の唄』@本多劇場

まとまったお金の唄
タイトルと正反対に、まったくまとまっていない舞台。アマゾンの「内容」によると、こんな話。

太陽の塔から落っこちて、お父ちゃんが死んで…。1970年代の大阪を舞台に、ウンコな哲学者や女性革命家たちの巻きぞえくらい、母娘三代、“お金に泣かされっぱなし”な家族の物語。大人計画の本公演用に書き下ろされた、待望の新作。

これだけ読むと、たいへん面白そうなのだが、実際は、ギャグは浮き、謎解きは薄々と予想していたまんまで意外性なく、阿部サダヲの孤軍奮闘っぷりが、哀れを通り越してキッツい、拷問のような3時間弱。
「このシーン、どうやって稽古したのかなー」「あ、『プロスペローの本』のサントラの曲だー」などと、思考を飛ばしてやり過ごしました。
フィクションはすべて、設計図が必要だよな、と、幻想文学大賞の選考員として、まったくの虚構世界にこそ「もっと幾何学精神を!」、でないとガッタガッタの耐震偽装作文に堕ちるぜ、と檄を飛ばした澁澤せんせいのことを思い出したり。どうせウソ近代史なら、監督独自の幾何学精神で引かれた設計図どおりに、ウソのレンガをギャグのセメントで固めた『立喰師列伝』のほうが、よっぽど面白い。

そういえば、映画『ダ・ヴィンチ・コード』も幾何学精神が足りなそうですね。というか、原作の筋を聞いただけで、「イエスマグダラのマリアがデキてたって話なら、道原かつみの『ノリメタンゲレ』を超える作品は、そうはないだろうて」と、ひとりごちてはいたのですが。
この作品、「イエスマグダラのマリアはデキてた」「イエスの復活はヤラセ」と「時間移動もの」という、キリスト教、SFにとって、それぞれあまりにもメジャーなテーマを使って、しかし幾何学精神によって完璧な一作になっているのです。
しかも、さいきんも話題になった「ユダの役割」もすでに描かれていて、慧眼とはまさにこのこと。引越しの際に手放してしまった自分は、とってもアホだと思います。