『海辺のカフカ』
違和感。こんな15歳男子は果たしているだろうか。これは、村上春樹による「15歳の少年」のコスプレなのではないか。しかも背中のチャックのだいぶ開いている。
だって、いまどきの15歳男子がコンビニのことを「コンビニエンス・ストア」だなんてまだるっこしい言い方、するだろうか。ほかにも、「そんな15歳男子いねえよ」と突っ込みたいとこ満載。もっとも、村上春樹が描いている(つもりな)のは、男子じゃなくてあくまでも「少年」なのかもしれないが。
しかし、せっかく元男子であって(男子なんて不潔で野蛮な生き物だったことはなく、少年という透明な存在でしかなかった、なんてのはナシだ。そんなことを意識しているのは、自分の男子資質を持て余しているからこそ)、男子であるという困難などを描ける性的立場にいるのに、なぜ長野まゆみの描く少年にすね毛が生えた程度の人物造形になるのだろうか。
などと、思いながら下巻まで読了した。えっと、
コレなんて劣化エヴァ?
・(ギリシャ)神話
・父殺し
・母や姉との性交
・15歳
・異界からの侵入者
モチーフだけ並べたら似てるように思えるだけでしょ、って話じゃない。
「逃げまわっていても、どこにも行けない」
「たぶん」と僕は言う。
「君は成長したみたいだ」と彼は言う。
僕は首を振る。僕にはなにも言えない。
あれ? シンジくん? シンジくんじゃないの? あれ? おかしいなあ… そっくりなんだけどなあ…
主人公が15歳の少年である必然性が感じられない(どうせなら30代ひきこもりとかにしてくれたら、父親殺しというテーマも活きたであろうに)どころか、キャラとして立ってないし、ファンタジックなモチーフ同士のつながりは悪いし(だからさ、結局幼いナカタさんを昏睡せしめたものと、死んだナカタさんの体を使ってこっちの世界に来ようとしてるものは関係あったの? ないの?)。
で、最後には「風の音を聞くんだ」って… なに? 自己パロディですか?
はー、なんていうか、心底がっかりしましたYO! これがフランツ・カフカ賞受賞の契機だなんて。なんだこの記号だらけのストーリー。物語とは、記号化を阻むもの、記号化に抗うもの、記号化しきれないもの、そして甚だしい場合には、物語に登場するモチーフ、あるいは記号と化したその物語こそが、現実を記号化するもののことだとわたしは思っていたのだけれど、この作品においてはどうやら違うらしい。
それとも、この国のケータイ文学に慣れたひとたちには、もはや記号化され、物語とはいえなくなったストーリーでなければ、受容されないということなのだろうか。