『教養の歴史社会学』
副題に「ドイツ市民社会と音楽」と付されたこの本を読みはじめたのですが、これがめっぽう面白い。
近代社会がその構成員に要求するものはなにか、という自分の問題関心ともかなり重なるところがあり、一昨年に出版されてわりにすぐ買ったのに、なぜ今まで塩漬けにしていたのかといぶかしみつつ読んでいます。
第2章はクラシック好きならたまらないエピソードてんこもりです。ウィーン・フィルの成り立ちに「ほお!」と思い、「ベートーベンの第九合唱付きが受容される素地はこうやって形成されていったのか!」とか想像をめぐらせてみたり。さらには無意識のうちに、音楽の正典をきわめて真面目に「教養を追求する道具として」定めていく人々の過程が暴かれていきます。
バッハの復興過程なんて楽曲そのものへの評価からじゃなく、市民が得ようと思う教養とからめて評価・復興・聖典化されていくわけですが、当時の市民たちが真面目〜なだけにその過程はこじつけというかなんというか… ふと、後藤隊長の「手段のためには目的を選ばない*1」を思い出してしまいました。
そんな彼らの「真面目さ」は、よく言われる「ドイツと日本の国民性は似てる」ってこういうところか? とふと思わされるところもあり。
これを読むと、「では初演はわりと不評気味なチャイコフスキーの楽曲なんかはどのような経路を経て今の地位に来たのかなあ」とほかの国の楽典の成立過程が気になり始めてしまいます…
一読したら、二度めはネットで関連情報や楽曲を引きながら読んでみようっと。