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霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

妹なんかじゃない 《連作短編集「デッドロックのはずれ方」2-2》

 その翌日、おっさんといつもの週末の食料買出しに出かけた先で、俺は西野久実とその母の買い物風景を見た。見た、というか、見られた、というか。先にこっちに気づいたのは西野母らしい。俺がおっさんに、「ねえ、なんかすっげえ睨んでるおばさんいるんだけど……」と伝え、おっさんがそっちを見て中途半端な会釈をしたら、ぷいっとマンガのようにそっぽを向いて去って行ったのが最初だった。

 

「感じわる。なにアレ」といぶかる俺に、おっさんは「あとで話すから」と、ため息をつきながら言う。その後、買った食料を車に積んでいるときに、「あれがこないだの手紙の、アレだよ」、と、言われて、ああ、と思う。たしかに子どものほうはかわいいっぽい感じだった。不審そうにこっちを凝視している目つきはかわいくなかったけど。

 

 それからおっさんは先に車で帰り、俺は本屋に寄って帰るので駐車場からまた屋内に戻った。そういえば、後輩の島津の姉ちゃん、ミスドでバイトしてるとか言ってたな、店の外からちょっと見てみるか。そう思いついてミスドに行った。

 

 思いがけず、そこに西野母子が、いた。なんというか、その密着ぶりはマザコンと言われてもしかたないというか、仲良し親子を演じているドラマのようだった。飲茶メニューのお粥を食べさせあったり、西野母の手から西野久実が、餌付けされる鳥のようにドーナツを食べていたりしたのだ。西野久実がかわいらしいからまだいいようなものの、それでもそう空いてはいないミスドの席は、二人のテーブルの周りだけ微妙に空いていた。

 

 俺にとってその光景は、衝撃的だった。子どもって、母親にあんなふうに甘えられるものなのか、甘えていいものだったのか……。

 

 ミスド店内の冷ややかな空気とは別に、幼女と若い母親のようにいちゃつく西野母子を見ていられず、俺は踵を返して本屋に向かった。島津の姉ちゃんのことは、とっくに頭から吹っ飛んでいた。本屋の棚の前でも、探そうと思った本が思い出せず、しばらく意味もなくラノベ棚とマンガ棚を行ったり来たりしていた。

 

 何がそんなにショックだったのか。それは単に、俺のかあさんが甘えさせる、ということをさせなかったからに尽きる。させなかった、というより、許容しなかった、と言った方がしっくりくる。とうさんが生きているときと、とうさんが死んでから、かあさんの実家でばあちゃんやじいちゃんと住んでいる時はまだ良かったけど、なんらかの理由でかあさんとばあちゃんたちが決裂して、ばあちゃんたちの家を出てからはひどかった。

 

 そもそも、その決裂の理由が、かあさんが満足に俺の食事の世話をしない、ということが発端だったのだ。保育園に通っている俺に、オトナと同じ骨付き肉だの、熱くて食べにくいカレーうどんだのをそのまま与えていたらしい。これは保育園からの半ば苦情、半分以上は心配した保育士の電話をばあちゃんがとったことで発覚したのだが、かあさんは食べにくいものを幼児である俺にあーんと食べさせることもなく、俺が手づかみで食べるのを止めもせずにいて、保育園でも同じ様子だったという。夜勤のときにはただテーブルに食事を置いただけで出かけていたのを、二世帯だったのに気づかなかったと、ばあちゃんはいまも俺が遊びに行くと、謝ってくる。

 

 生活のほかの場面でもそんなだったから、ばあちゃんとじいちゃんが説教したところ、最終的には「そんな娘に育てた覚えはない」「ならもう娘じゃないから出て行く」となった。それまで、つまりとうさんが死ぬ前と、ばあちゃんたちと住んでいた間の、俺がオトナに甘えられた期間の記憶は、その後のかあさんとの二人暮らしですっかり忘却の彼方になった。

 

 だから、小学校に上がってからは、友達のうちで起こるイベントにいちいちカルチャーショックを受けていた。絵本の読み聞かせとかの生活の一場面から、誕生日会みたいないわゆる一大イベントまで、そういうショックは数限りなくあったが、それを自分の家でかあさんにやってもらおうとは思わなかった。そういうのはかあさんには無理だ、ということが、ガキながらにわかっていたんだろう。

 

 でも、かあさんがおっさんと出会ってから、というより、俺のとうちゃんになる覚悟を決めたおっさんと俺が出会ってからは、その諦めにほころびが出てきた。最初に俺がおっさんを、その他大勢の世間のおじさんではなく、俺に縁のある固体と認識したときからそれは始まっていたんだと思う。

 

mmc.hateblo.jp

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