成人の日と、その後のこと
今週のお題「二十歳」のときの成人の日は、高校の同級生の、哲学系の学部に入った友達の下宿で、爆音でクレージーキャッツを聞いたりしながら、のんびり過ごした。そのころの成人の日は、一月十五日固定で、いまのように一月の第二月曜日というさまよえる祝日ではなかった。下宿の近所のうまい蕎麦屋に行って、神社を近道して下宿に向かうときに、通りすがりのおじさんがわれわれのツーショットを撮ってくれた。
それから五年後に、彼女は新婚の夫を残して自殺してしまった。あとから知ったが、彼女は毒親被害でかなり精神を病んでおり、夫はなんとか快方に向かわせようとしたが、悪化するばかりだったという。
その頃、毒親とかモラハラという言葉は馴染みが薄かった。子どもの人権や、児童虐待についての認知も、世間的にまだまだ低かった。わたしもまだ洗脳されていて、自分が毒親育ちだとわかっていなかったけれど、もしお互いの境遇について話すことができていれば、なにか変わっただろうかと、今でも考える。
だが、過去は変えられないので、いま身の回りにいて毒親育ちかも? という話をしてくれた人には、わたしが読んで役に立った毒親本を勧めることにしている。
彼女を含む高校の仲良しグループ(といってもつるんでトイレにいくタイプのそれではない)五人のうち、三人には子供が、そのうち一人は去年とうとう孫ができた。
彼女だけが、歳を取らない。彼女は大学の卒論で、坂口安吾の『風博士』を題材にしたと言っていたが、読ませてもらう機会は永遠に失われてしまった。
とはいえ、恥ずかしがる彼女に無理に読ませてもらうべきだったとは思わない。人生には、どうしようもなく変えがたいことがあるのだから。
今週のお題「二十歳」