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『オネーギン』『マチュー・ガニオ ポートレート』『ボリショイ・バレエ 2人のスワン』

シュツットガルト・バレエ団メンバーの初日か、『オネーギン』が国民的作品の国のバレリーナのディアナ・ヴィシニョーワがタチヤーナの二日目か、それともオネーギンがパリ・オペラ座バレエ団のマチュー・ガニオの三日目か、悩みに悩んで初日のチケットを取ってから、『オネーギン』公演期間三日間がすべて休みのシフトに決定……。しかし、時間はあるけど全公演通しで見られるお金はないというつらさ。

なので二日目はマチュー・ガニオがオネーギンを踊るシーンの入っているDVDを自宅鑑賞、三日目は下高井戸シネマでバレエ映画を見ていました。

 

◆『オネーギン』フリーデマン・フォーゲル、アリシア・アマトリアン、シュツットガルト・バレエ団@東京文化会館

フォーゲルを見に行ったつもりが、アマトリアンに釘付けだった。ロビーのお花は来週の『白鳥の湖』に合わせて活けられた印象。舞台は美術もよかったです。第一幕で下手に屋敷の書き割り、上手は青空なのが、その空であるところに下から中央まで謎のラインがあって、なんだったんだろう?  というような不思議な点もあったけど。

 

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エリサ・バデネス、軽はずみなオリガ似合い過ぎ。アマトリアンのタチヤーナは本の虫で地味で内向的な喪女演技がすごい。まあ、この子にあの恋文もらったらイラッとする気持ちもわからないでもない。パーティでも公爵は彼女よりオネーギンと話したがってるし。

だからこそ公爵夫人になったタチヤーナの開花ぶりが眩しい。最初、彼女に見つからないようにキョドるオネーギンは、あの日のタチヤーナと立場が入れ替わったかのよう。夫妻が席を外しても、社交界に事情を聴ける知り合いもいないオネーギン。

けどそういう自分の立場を自覚してないのか、タチヤーナに恋文書いて、公爵の留守に忍び込むけど、もはやあの内向的なキョドってた田舎の少女ではない、公爵夫人たるタチヤーナに手酷く追い返される。でもそこでオネーギンに「ざまあ」と思えないのは、誰でも何かしらこうした若気の至りに心当たりがあるからじゃないだろうか。

演奏は、レンスキーが決闘の場に着いて踊り始めるときに音が大きく二回外れたのは残念でした。たぶんオーボエオーボエ難しいのはわかるけど、ミスの数もちょっと多すぎませんか東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団さん。

 

一夜明けて、アリシアの喪少女演技と夢の中の理想の自己、公爵夫人になってからの輝き、夫々のギャップの余韻醒めず。それを支えていたのはフォーゲルの隙のないテクニックだったな、と思い返したり。

フォーゲルのオネーギン、ほんとこのリンク先の二枚目からの写真たちのような「若いときの神経質な狭量さが乙女タチヤーナには繊細に見える」演技で秀逸でした。その神経質なところが歳経ても自分にしか向かないのが、今度は自分が手紙を破られるという事態に繋がる感じ。ほんと『オネーギン』って「昔、俺がふった女は俺のことずっと好きなはず」系クズ男をよく描いてる。

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「え、出てけって言った? いま、ぼくに、出てけって、言った?!」みたいなフォーゲルのこの表情! それにしても上のインスタ一枚目の若いときのタチヤーナと、こちらの歳経てからのタチヤーナ、同じ人物が演じているの、ほんとにすごい。

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ところで舞台の透かしの幕で、オネーギンのイニシャル「E.O」の周囲に書いてあった「quand se quitte pas honneur,il n'existe d'honneur」(うろ覚え)が禅問答のよう。原作にある言葉のフランス語訳なのかな? パンフレットにそういったことの説明が載っているとうれしいのだけど。

さて、こちらが今回のマチュ―のオネーギンになります。こんなにオネーギンが美しかったら、その周辺で悲劇が起こるのは仕方がないことだと思いませんか……!

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◆DVD『マチュー・ガニオ ポートレートパリ・オペラ座 究極のエトワールー』

というわけで見よう見ようと思っていた『マチュー・ガニオ ポートレートパリ・オペラ座 究極のエトワールー』。

 

 

原題は『Mathieu Ganio UNE ETOILE ROMANTIQUE』。原題はほんとそうだなあと思うのですが、これを日本語訳せよと言われると、難しい。究極だけどまずマチューの資質としてromantiqueなのが先に来るのであって、うーん。

それにしてもマチューは髭面でも美しいですね。解説の表紙や付いていた絵葉書の舞台姿は、男性ダンサーというより、ほとんど宝塚の男役のようなロマンチックさ。今日まで東京文化会館シュツットガルトバレエ団の『オネーギン』をやっていて、マチューも最終日に客演していましたが、オペラ座で踊ったときの映像もこのDVDにはあり、「この美しさのマチューのオネーギンなら魔性様だから、まわりが巻き込まれて自滅、本人も破滅してもしかたない……」としか思えない美しさ。ああ、やはりもう一日、チケット取るべきだったか……。

エトワールになって13年のベテランでもこうなのか、というところもちょっとあるけれど、生まれる前からエトワールへの道が準備されていたかのように、苦労を感じさせないのもあのお顔ならではのギャップかも。ただ、本人曰く、かなり繊細で、すごく考えすぎるタイプ、というようなことを言っていたので、常人には窺い知れない苦悩がありそう。

そして、もう引退したオペラ座女性エトワールとの映像がかなりあり、贅沢な気持ちになれます。

 

◆映画『ボリショイ・バレエ 2人のスワン』@下高井戸シネマ

今年の夏、暑すぎて見そびれていた『ボリショイ・バレエ 2人のスワン』を下高井戸シネマで。下高井戸シネマでは11/9(金)まで毎朝10:00から上映中です。以下、ネタバレありです。

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実際のバレエ学校やボリショイ劇場で撮影されているところに、「うわー、ありそう」なエピソードと、「いやいやいや、いくらなんでもそれはないでしょ」というエピソードをうまく組み合わせてドラマチックなフィクションにしてあります。

お金持ちの娘で『ガラスの仮面』の亜弓さんみたいな高潔な魂のライバルと思いきや、それはまだ彼女に余裕があったからで、後半そんな彼女がいきなり牙を剥いて毒を吐く、はありそうだけど、すでに正団員でプリマで『白鳥の湖』の主役なのに、自分のその毒や彼女の親の悪行が回り回って毒として作用していったん舞台から降りる、は、いやいやいやボリショイのプリマならそれでもそこは踊るでしょ? とありえなさを感じたり。

だって、ボリショイで白鳥を踊るって、こういうことですよ?

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フィーリン その後torinosaezuri.wordpress.com

それでも、その空いた主役を、ソロイストではあるけど代役としてノミネートされていた貧しい家庭育ちの主人公が踊る前の葛藤(貧しい家庭育ち、反抗心旺盛でなかなかうまく行かない人生で、棚牡丹のオデットが受け入れられない、踊ることについて母親からぶつけられた言葉がたぶん足枷になっている、ニコラ・ル・リッシュ演じるスターダンサーとの縁の不思議などなど)がリアルで、力技で納得させられました。

そして流れるバレエ音楽もいい出来なのですが(エンドロールで流れるバレエのメジャー作品メドレーとか。チャイコフスキーだらけですけども)、認知症を発症した伝説のプリマの部屋に流れる置き時計の音など、映画館で聴くことに意義のある音の設計も、また心を打たれました。

バレエ学校のシーンでは、「指先は真珠を持っているように」「腕は雲を抱えているように」というバレエ教師のチェックになるほどと唸ったり。雲を抱えていたら、その天に戻りそうな軽さに押し上げられて、自然と肘が上がるはずですもんね。