夏コミ直前! 新刊のお知らせ再び
C96夏コミ、Mmcの新刊は『クズ度で見る古典バレエ』、16ページ、予価200円です。日曜西館あ09bの暗黒通信団で出品します。
ロマンチックで優雅なはずの古典バレエの王子さまたちは、現代の基準から考えたら軒並みクズ?! その上、クズというよりワルでしかないヒロインや父親もいたりして……。そんなクズどもを「こいつはくせえッー! ゲロ以下のにおいがプンプンするぜッーーーッ!! こんな屑には出会ったことねえほどなァーーーッ 環境でクズになっただと? ちがうねッ!!」の心の中の叫びとともに解説し、クズ度でランク分けしたのが本書です。古典バレエのストーリーに納得のいかないところのある貴方、本当はクズい古典バレエの世界へようこそ!
コミケ以外の入手方法はこちら→ http://
なおコミケ以外での入手方法は、「書店で注文」をおすすめします。そしてamazonのマケプレは、ほんとーーーーーに、おすすめしません。なぜなら新刊予告が暗黒通信団のサイトに出るや否や、まだ印刷もできてない本なのに、高値で注文受け付けたりするクズがいるからです。
「近隣」とは、どこまでか
某SNSでさいきん話題なもの、それは「近くのレストランからの投稿」です。「近隣エリアのレストランでのフード・ドリンクをチェックできます」というのだけど、友人たちは「自分は都内在住なのに大阪京橋の店をすすめられたりした」「福岡とか京都のお店すすめられる」などと言っていて、じゃあわたしはどこをすすめられるんだろう? と、「近くのレストランからの投稿」というていの広告が表示されるのを、虎視眈々と狙っていました。すると先月二十四日、キターーーー!!!
・七月二十四日
っておい、太平洋越えじゃねーか! ぜんぜん近くないだろ!!!
・七月二十六日
アジアって意味ではこないだのよりは近いけどさあ……。でもタイだよ?
・七月二十八日
おっ、これはさすがに近いんじゃないか? ……うん、国内だし、タイよりは近かったね(当方、都内西側在住)。もう少しがんばりましょう。
・七月二十九日
また遠ざかって行ったし、タイが復活してた。
・七月三十一日
アメリカ。アメリカなのに「アメリカン・キュイジーヌ」っておかしかないか? あとタイもまだちらちらこっち見てる。
・八月一日
カレーがタイカレーっぽいからまたか、と思ったけどとりあえず国内、だけど地理的には海外。
執拗なタイ推しといい、いったいどーなってんだ。このごろではどこをおすすめされるのか、むしろ楽しみになってまいりました。さあ、みんなも世界のどのお店をすすめられるか、レッツ・トライ!
コンビニのない温泉場
今週のお題は「夏休み」ということなのだそうだが、ゴールデンウィークや令和の十連休、お盆休みなどのない仕事であり、かつ暑いのが超超超苦手なので、わたしは夏どまんなかにお休みをとることはない。長期休暇をとっても、暑くて結局なにもしないからだ。
というわけで、涼しげな春の新潟の温泉の思い出を記すので、暑いのキライな同志のみなさま方は、涼を感じて行ってください。
◆
一人になりたいとき、みなさんは旅行したりするだろうか。わたしはする。特に職場で自分の力ではいかんともしがたい状況に耐えなければならないときなどは、休みが取れると旅行に行く。休みが取れないと会社近くのビジネスホテルのレディースプランでリフレッシュするということもあるが、今回は、ベテラン不足に次ぐベテラン不足(異動・転職など。異動については補充なし)、統一選対応、新入社員対応、令和対応、十連休対応などが重なって疲れ切り、三連休になったので突発的に温泉に行ってきた。
温泉といっても箱根とか熱海とか、カップルが温泉街や駅前でキャッキャウフフしているようなところは一人になりに行くのに向かない。今回わたしが向かったのは、政令指定都市新潟市の新潟駅から、ダイヤがうまく接続できれば一時間ちょっとで着く、こじんまりした温泉場・咲花温泉だ。
なぜ温泉街ではなく温泉「場」なのかというと、ここは駅前からまばらにある温泉旅館と民家を通り過ぎて十分足らずで一番奥まで着いてしまうほど小規模でコンビニもないからだ。例の歌になぞらえればこんな感じである。
街は「商店が立ち並ぶ通り」であり、「家々が密集する地域」である「町」の発展したものだが、ここは町ほどの規模もない。だから温泉街ではなく、温泉「場」と呼びたい。
さて、わたしは当初、東京を14時近い新幹線で出、16時前に新潟駅に着き、そこから16時過ぎに信越本線で新津に向かい、そこで磐越西線に乗り換えて咲花に着く予定だった。しかし前日、職場での様々な対応事項に疲れ、最後の十連休対応で、責任こそ自分にはないものの、他人がそのミスをしたのを見たら、「なぜ気付かない?」と思うことをしでかしてしまったので、かなり落ち込んでいた。
それをひきずっていたのか、新津でうっかり磐越西線への乗り継ぎを逃してしまった。次の電車は約1時間半後……。その前の、目的駅の一つ前まで行く電車に乗るか悩む。目的駅までは3キロちょっと。しかし雨の中、初めての道を3キロはちょっとなあ、と当初予定の電車を待合室で待つことにする。修羅場で疲れてなければ、あるいは雨じゃなければ行ったかな。
しかもその次の電車でどうやら高校生の帰宅時間にぶち当たってしまったらしく、かなりの混みよう。一人になりたくて旅行してるのになんぞこれ……。さらに高校生男子がリュックに吊るしたゴツいスニーカーがゴスゴス当たったりして、日常感がありまくり。19時半過ぎに咲花駅に着いたときはもはやヘロヘロだった。
とはいえとにかく、すきっ腹で温泉には入れないので、まず晩ごはん。あちこちにいろんな山菜が使われていてうれしい。山菜の食べられる季節の終わりに間に合ったのだろう。
今回は、晩ごはんの時間と貸切露天風呂の時間をなるべく離すことに成功したものの、食後はおなかいっぱいすぎて動けない。釜炊き魚沼産コシヒカリのごはんを食べ切れず、今回も夜食用おにぎりにしていただいた。それでもこの宿は日本旅館では量が多くないほうだと思う。もちろん少なくはない。
そんなわけで、露天風呂の貸切時間まで、温泉に来てまで持参のタブレットでダウンロードずみのネトフリ番組を見て過ごす。
そしてとうとう温泉である。貸切露天風呂独り占め楽しかったです。お風呂に持っていく籠がリニューアルされて、コンパクトになってた。あと北国なので、五月上旬のこの季節でも、お風呂上りにはまだストーブが待ってる。選べる浴衣は自分では買わなそうな柄の向日葵にしてみた。なおタビックスは私物です。といっても、もともとどこかの温泉でもらったものだけど。
なお、晩ごはんであんなにおなかいっぱいになったのに、温泉に入ってまたネトフリ見てたらおなかがすいてきて、食べられなかったごはんで作ってもらっておにぎりを2個とも食べた。連泊したら5キロは太りそう……。
ところで、この温泉旅館に泊まるのは三度目なのだが、 値段がいわゆる温泉旅館の価格なのに対して、 「友達の田舎のばあちゃんち」感40%・「民宿」感35%・「温泉旅館」感25%という感じで、かなりほっといてくれるので、至れり尽くせりの温泉旅館を求める人には向かないかもしれない。むしろそういう人は、咲花温泉には皇太子が泊まったので貴賓室のある宿もあるのでそちらを。泊まったことないから至れり尽くせりかは不明だけど、たぶん碧水荘よりおもてなししてくれるんじゃなかろうか。
つまりそれくらい碧水荘はほっとかれる。ただ、一人での旅行でとにかくほっといてほしいわたしにはこれは最高なのだ。それもただ単に手抜きでほっとかれるというわけではなく、帰りはチェックアウトから電車の時間まで一時間近くあるので、ロビーで読書してていいか聞いたら、ストーブをつけてくれ、サービスでコーヒーを淹れてくれ、地元紙を持ってきてくれ、あとはロビーからもばばーんと見える阿賀野川と山の前でほっといてくれる。そういうほっといてくれる加減。
今回の帰りも駅まで歩くつもりだったが、「雨が降ってるから」と車で送ってくれた。断ろうかと思ったのだが、前回、冬に来たときに「雪もやんだし」と断って歩き始めたらさすが山の天気、二分もしないうちにいきなり吹雪き始めて目と口に大量に雪が入り込んできて文字通り閉口したのを思い出したので。
今回、ちょっと誤算だったのは部屋。前回、前々回は満室だったからか、フロントから一番遠い部屋で、それがよかった。部屋は綺麗に掃除はしてあるけど古い日本家屋の広い部屋で、カメムシがけっこう入り込んでたりして、かなり「友達の田舎のばあちゃんち」風情。
けど敷地の一番奥で、障子を開けると床から天井までガラス張りの窓になっていて、目の前一面に阿賀野川、そして山というのがいい部屋だった。障子の下半分を開けて、寝ながら阿賀野川を眺めることもできた。
今回も予約したのが旅行間近だったので、案内の際に「フロントから遠くてすみません」と謝られるこの部屋かなとなかば期待していたのだが、今回はフロントすぐ上の、カメムシが入りようもなく綺麗に改装された部屋だった。トイレとか洗面所は前の部屋より快適、阿賀野川を望む窓が床から天井までガラス張りなのは変わりなく、前の部屋の昭和な椅子とテーブルと違って、おしゃれで快適な椅子と足置きが設置されている。
ただ、前の部屋より少し狭い=窓の幅も狭いのと、障子の下半分を開けられないので、景色への没入感は少々落ちる。朝風呂のあと、景色を見ながら二度寝したかったのだが、そうすると障子を全開にすることになり、まぶしくてなかなか寝入れなかったのは残念。
それでも障子を全開にして景色を見ていたのだが、山と川が美人すぎてニヤニヤするほどで、寝入るのに時間がかかった。
この温泉場はたぶん碧水荘以外の宿もそういう造りだろうけど、お風呂からも部屋からも見える山と阿賀野川を前にしていると、温泉は自分が自宅で入るより少しぬるめなのが長風呂を誘うし読書も中断してしまうので、三連泊とかしたらなにもかもどうでもよくなって、現世に戻れなくなるんだと思う。二泊したことはあるけど、その時もかなり危なかった。今回は二泊めの予約がとれなかったから一泊だけで帰ってきたけど、ほんとは二泊したかったなあ、と帰ってきた翌朝にネットを見たら、上越新幹線止まってる……。うわー、これ二泊できてたら、明日仕事なのに帰れないとか、帰れてもすごく疲弊したとかそういうパターン?
以上、十連休じゃない人が仕事の修羅場でがっつり白髪が増えた後に、地味な温泉場に一人になりに行ってきた話でした。
これまでここには秋、冬、春と来たけど次はいつかな。夏は……、新潟の夏はわたしには過酷なので、ちょっと無理かも。
ああ、早く涼しい秋になって、温泉がちょうどいい頃合いにならないかなあ。
『Noism15周年記念公演』@めぐろパーシモンホール
15周年記念公演ということで、これまでのNoism長編作品群を短縮してオムニバス形式に編み直した『Mirroring Memoriesーそれは尊き光のごとく』 と、新作『Fratres Ⅰ』。
Noismは、これまで見たいと思いながらもなかなかタイミングが合わず、初めての鑑賞。初めてNoism鑑賞を逃して「しまった!」と思ったのは、こちらの作品でした。脚本:平田オリザ、衣裳:宮前義之(ISSEY MIYAKE)で『ラ・バヤデール』! そしてこの振り付け! これはもしかして、コンテンポラリー・バレエ界のNODA・MAPなのでは? と猛烈に興味が湧いてきたのです。
それから三年経っての今日の鑑賞。感想としては、すごさがすぐには言葉にならないくらい、素晴らしかった!
どういうことかというと、確かに感動で涙が出ているんだけども、それがどの舞踊言語によるものなのか、わからない。もちろん通常の言語=日本語でも説明できない。だからそれがどういう種類の感動なのか、自分でも捉えようがない。
特に『Mirroring Memoriesーそれは尊き光のごとく』はオムニバスなので、「えっ、なに?」と探っている間に次のシークエンスに移っていってしまう。そのわからない舞踊言語の世界に取り込まれ、自分のなかのもどかしさに呑まれてしまい、これを書いている今も、まだ現実世界に戻れていません。この翻訳を瞬時にできる評論家ってやっぱりすごいなあ。
以下は公式Youtubeチャンネルにある今回の『Mirroring Memoriesーそれは尊き光のごとく』のもとになった作品たち。上であげた『ラ・バヤデール』は劇的舞踊『ラ・バヤデール ―幻の国』(2016年)で、08.にあたります。
01.『Nameless Hands ー人形の家』2008年
www.youtube.com03.劇的舞踊『ホフマン物語』2010年
www.youtube.com04.劇的舞踊『カルメン』(2014年)
www.youtube.com05.『Nameless Voice ー水の庭、砂の家』(2012年)
www.youtube.com06.『Psychis 3.11』(2011年)
www.youtube.com07.『ASU』(2014年)
www.youtube.com09.『ZAZA』(2013年)
振り付けのスタイルとしては、コピーという意味ではなくまぎれもなくベジャールの血が流れているな、と感じます。先日のエイフマン・バレエは団員に身長制限があり、均一なものが生み出すダイナミズムに酔いしれましたが、Noismはダンサーの身長差をうまく使って物語を語らせる生々しさにハッとさせられました。
生々しさといっても、それは演じている生々しさであって、うまく踊れていないとかそういう意味での人間っぽさによる生々しさではないのです。Noismの作品は土俗的なものを感じさせながらも、それが普遍的な表現で振り付けられていると感じます。これは、ベジャールが近代以前の土俗的なもの・儀式的なものを、現代に通じる普遍的なものに組み直して『春の祭典』や『ボレロ』を作っているのと同じ方法なのではないでしょうか。
なお、Noismは平田オリザの『ラ・バヤデール』のほかに別役実の『マッチ売りの少女』も上演しているのですが、考えてみれば平田も別役も、土俗的なものからエッセンスを抽出して現代的、というよりは超時代的な作品を作る作家なのですよね。
10.『マッチ売りの話』(2017年)
踊りの表現は、「これは全員の技量が高くないともったりしちゃうんだろうな」というところも易々と(見えるように)軽々と(見えるように)踊られ、しかしわたしの席は前から9列目だったので、ダンサーの肉体の重さや存在感は強く感じられるものでした。
Noismは日本で唯一の、新潟市という自治体が運営している舞踊団なのですが、3年ごとに更新されて今年で15年。今夏、更新されるかどうかの雲行きがあやしくなっています。新潟市に縁のあるわたしとしては、ぜひ更新してほしい!
12月に今回の新作の続編が新潟市で上演されるので、行くつもりです。新潟市はNGTに出すお金があったなら、Noismに出してほしいなあ。
写真はとりあえず公演後に都立大学駅まで戻ってきて入ったよさげなカフェの、ほうれん草と枝豆のスープ、ミニピザ、サンドイッチ。それでも人間に戻れた気がしないので、さらに渋谷まで戻って果実園ヒカリエ店でいただいた宮崎マンゴーのズコット。
ところで、こんなに容易に舞踊言語で感動を「作り出せる」のなら、演説という直接的な言語・言葉で人間の行動を変えるのも容易なわけだよなあ、と、さいきん出版された評判の悪い池内紀バージョンが話題のヒトラーのことなど考えたりしました。気をつけようっと。
エイフマン・バレエ『アンナ・カレーニナ』@東京文化会館
エイフマン・バレエの『アンナ・カレーニナ』を東京文化会館で。衣装や屋敷などが黒っぽくてゴスっぽいのがわたしは好きだけど、好みが分かれるところかもしれません。
それよりなにより、カレーニン役のセルゲイ・ヴォロブーエフがかっこよすぎて、妻のアンナ・カレーニナが不倫に走るストーリーの説得力が半減! とにかくカレーニンがかっこいいわ踊りは美しいわ指先まで全身表現力に満ち満ちてるわで凄いものを見ました。
対してヴロンスキー役は、レベルの高い群舞からカレーニン役ほど抜きん出ているようには見えず。原作のもうひと組のカップルのエピソードがざっくり削られている分、「こんな夫がいても、ぽっと出の若造との恋に情熱燃やすような理不尽が起こるのが人生」ということなのだろうか?
カレーニンの、最初にジャケットをしゅぱーんと脱ぐシーンと脱いだあとの後ろ姿の息をのむ美しさ、最初にアンナとヴロンスキーのデート現場に踏み込む場面の、2階席だったので最初セットでしばらく首から下しか見えないにもかかわらず、怒りの表現が全身でなされている巧さ、そしてこの夫に哀願されたら比較してぽっと出の若造にしか見えないヴロンスキーと出奔しないだろうという帰ってきたオネーギンのような情熱。
マチュー・ガニオのような少女マンガの王子さまのような美しさではないのですが、とにかく美しい。若いダンサーや役柄が若くて美しいのは当たり前ですが、30代で中年役を踊って美しいというのは、自分が中年もすでに過ぎたせいか、よけい美しく見えたのかも。
バレエ団全体のレベルも高く、古典バレエなどでよくある、プリンシパルのペアが出てくるとその巧さとの対照で、それまで巧いなと思って見ていた群舞がもっさりして見えてくるようなこともいっさいなく、ストーリーに反して観劇体験としては爽快なものでした。時間的余裕がなくて、同バレエ団の『ロダン』を見られなかったのが残念過ぎたので、DVDを買いました。
帰りはいつものビストロで。お目当てのヤングコーンのローストとそのひげのフリットが終わっていたのが残念!
夏コミ本のお知らせ
いつもバタバタだったりお知らせできないままコミケが終了したりはたまたコピー本でコミケ当日しか出さないのに事後だったりしているので、今回は早めに入稿したのを機に、夏コミ本のお知らせ。
夏コミは日曜西館あ09bの暗黒通信団で出品します。タイトルは『クズ度で見る古典バレエ』、16ページ、予価200円。このブログでもやっているようなバレエ妄想を一冊にしたものです(下記の過去ブログの内容は含まれません)。
古典バレエの名作をあらすじから書いているので、バレエに馴染みのない方、「バレエ? お姫様と王子様が幸せになって終わりでしょ?」という方にも読みやすくなっているかと思います。
表紙用のエンボス紙が在庫薄とのうわさも聞きますが、あとは無事印刷されてくることを祈るのみ! 暗黒通信団のその他の夏コミ新刊本予定はこちらをご覧ください。
なお今までに暗黒通信団その他で書いたコミケ本を振り返ってみたところ、以下の九冊でした。2014~16年はまったく創作意欲がわかなかったらしい。
2010年冬コミ『Buddhism Sentai☆Jodomen 2 : コピー版 vol. 1 (ブラック&カーキ編) 』共著、『非モテ男のためのカッチリ系ファッション入門』共著
2011年夏コミ『女王様挫折記』
2012年夏コミ『21世紀の宗教裁判』
2013年夏コミ『A新聞校閲部派遣切り闘争記』
2017年夏コミ『Q&A形式で答えるチベットの基礎知識』、『腐った濡れ本』共著
モヤモヤ映画『Girl/ガール』
最初、この子は女の子になりたいのか、それともバレリーナになりたいから女の身体がほしいのか、とかいろいろ考えてしまった映画『Girl/ガール』、いろいろ痛い映画でした。
心理的な痛さは、トランスジェンダー(というかトランスセクシャル?)の悩める青春というより、大人になってからだと拙速にしか見えない判断をしがちな思春期残酷物語にあるような。
物理的な痛さは少年の体でバレリーナを目指すのは、大人から始めたバレエとは違うだろうけど、周りから四年も遅れて身体も重くなってる16歳からトウシューズを履いて慣れなきゃいけないところや、公式サイトの作品紹介で「映画史上最も鮮烈でエモーショナルなクライマックス」とあるあたり。
あのー、「鮮烈でエモーショナル」とかいいように言ってますが、トランスジェンダー手術について説明されたの、ちゃんと聞いてた? と主人公の肩を掴んで揺さぶりたい気持ち。××しちゃったら○○作れないじゃん?
最後は長かった髪もセミロングになっていて、バレエ学校には復帰したのかどうかわからないのもモヤモヤする~。『リトル・ダンサー』(原題:Billy Elliot)みたいに最後はダンサーとして踊るところで〆てほしかった……。そのあたりが初監督作品たるところでしょうか。
ところでこの映画の感想で「骨ばり大きくなった足を小さくなったバレエシューズに押し込め」「バレエシューズの中に閉じ込めることのできない足は血まみれに」とかが散見されるけど、トウシューズで血まみれになるのはプロでも珍しいことじゃないんだけどなあ(あとバレエシューズの集合にトウシューズが含まれるのではなかったり)。
わりとしょっちゅう爪割れたり剥がれたり爪が膿んでたりして、しかもそこに痛み止め打って踊ってたりするんですよね。
「土曜日の夜の公演後に当時のプリンシパルが怪我をして、舞台監督から『月曜の公演に出られるか?』と聞かれたんです。3つの作品からなるネオ・クラシックバレエで30分ほどの作品だったのですが、その短い時間のなかに難しいパ・ド・ドゥ(男女2人のダンサーで踊る作品の見せ場)が5つもある。しかも、打診をされたのは、私自身も膿んでいた足の爪を取ることになっていた日でした」