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膠着のバレンタイン戦線

今年のバレンタイン・チョコレート戦線は膠着していた。ショコラティエたちの繰り出すカカオの選択とその表現は、どれを選んでもハズレこそないが、どこかが飛び抜けて抜きん出る、というものも予感させなかった。それはまるで、どこの国も最終兵器は同じ方式になるように。
中身である味に関してはもちろんのこと、10年ほど前、ヘフティあたりからもたらされた、ボンボン・ショコラ表面への様々な意匠のプリントが、今年はマリベル・ニューヨーク*1を筆頭に蔓延しきったことも、膠着状態をより平準化させた原因になったと思う。



そのなかでもリシャールなどは、単なる幾何学模様や愛らしいイラストではなく、子どもの描いた絵をプリントした「アーティストの卵」*2というシリーズを出していて、心動かされる。もともとリシャールに関しては、その名前が、「リ」音でとろりと舌の上でショコラがとろけだす瞬間を、「シャール」でボンボン・ショコラの表面がぱりりと割れる微かな音を喚起させられて、それはあたかもジャン・コクトーが、マレーネ・ディートリッヒについて、「その名前は羽のようにはじまり、鞭のように終わる」と評したように魅力的な音の連なりも相俟って、忘れられないショコラティエではある。



それにしてもこうなってしまっては、バレンタインのプレゼントを選ぶに当たって、各店舗から一粒ずつのショコラを買い集めるしか、「チョコレートに託した心情の伝達」は不可能なのでは、とさえ今年は思えた。
こうして、ボンボン・ショコラたちの味と見た目がまさに粒揃いとなって、選択が困難になってくると、次の判断基準となるのは博物学的に訴えかけてくる、ボンボン・ショコラショコラティエそれぞれのコピー(蘊蓄ともいう)である。しかし、有名ショコラティエの中でも、味と見た目を整えるのと同じ程度にコピーに心を砕いているところはそうはなかった。わたしにとっては結局そこが、膠着状態の突破口となったのだが。



とはいえ、味が似たり寄ったりならば、やはり見た目で選ぼうかと、それこそぎりぎりまでマリベル・ニューヨークを考えていたのも事実。しかし、アメリカ人の考えるチョコレートのバランスは、わたしの理想とするそれとはどうも異なるので、結局、あきらめた。
そして昨日、ほとんど混んでいないといっても過言ではない、紀伊国屋スーパーのベーカリーショップの一隅で、わたしは名前も知らなかったチョコレートたちと、いきなり、そして突然、運命的な出会いをした。



「洋梨と生姜のコンフィ」「パッションフルーツとマンゴー」「レモンピールとメレンゲの白いガナッシュ」「コアントロ−風味のヌガークリームに南仏モンテリマール産のアプリコットの果肉」。
ほんの小さなそのスペースの前で、たっぷり15分以上は、いわばフランスチョコレート界の鉄人、フィリップ・ウラカ*3の子どもたちである、これらの魅力的なチョコレート群に見つめられながら、暖房が入った店内とはいえ、興奮で汗ばみつつ、どうにかこうにか一つの詰め合わせを購入。14日が明けた0時過ぎ、この一瞬の出会いが間違いではなかったことを、フルーツがカカオと同じくらい好きに違いないショコラティエの技により確認、今年のバレンタイン戦線は終結した。



ところで、わたしがカカオ中毒者でさえなければ、この毎年のバレンタイン・デーは、「食べ物の中でもっとも愛しているチョコレートを、同じくチョコレートを愛している、あるいはチョコレートと同じくらい愛している恋人に贈る」という、キリスト教的な忍耐と自己犠牲の精神を必要とする行事にはならないのだろうか。
しかし、思い起こしてみると、歴代の恋人はだれもみな、チョコレートが好きだった。これでは、わたしがカカオ中毒でなくとも(それこそがまずありえないが)、結果は同じにちがいない。