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改革を読み誤った男・ユダ

聖書ではイエス処刑への道を開いた「裏切り者」として描かれる「イスカリオテのユダ」が、実は、イエス本人の命令に従い「救済」を完成させるために引き渡した「善行の人」だったと主張する内容で、議論を呼びそうだ。
http://www.asahi.com/international/update/0407/006.html

これに関連して。この資料に書かれる「役割を果たしただけの人・ユダ」は死海文書研究などでもつとに言われていたこと。

かいつまんでいうと、紀元前ごろのイスラエル付近のユダヤ人のなかの旧約聖書原理主義者が、旧約における救国の預言を実現しようとしたジサクジエンの演者のなかでも、ことに重要な脇役としてのユダ、というわけです。

15年くらい前かな? NHK出版から出てた死海文書本がわかりやすかったです。

では、なぜユダは自殺したのか。おそらく彼は、イエスがローマ兵の前で神の威力によって「ノリ・メ・タンゲレ!」すると思っていたんでしょう。それくらい、イエスのカリスマ性に心酔していて、しかし、残念ながらそれと同じ深さで、イエスの意図を読み誤っていた。

エス自身は、キリスト教なんてものを創始する気なんぞさらさらなく、さまよえる民であるユダヤ人と父なる神の間の不健全な関係を正す改革者、いわば父なる神とユダヤの民との本来の/新しい関係のための、消え行く媒介者になるつもりだったのだろうと思います。

ユダは、ローマ兵にイエスがすんなり捕まったことで、自分の理想と、イエスのそれとのあまりのギャップにショックを受け、同時にこれからイエスが唯々諾々と法のもとに裁かれ、罪人として殺される、という、自分の理想とはかけ離れた、しかし、自分が手引きしてしまった変えられない未来を予想し、絶望したのでしょう。

けど、これが人間的・歴史的事実として著されてしまうと、キリスト教は困るのですよね。だって、十字架上の死はジサクジエン、イエスキリスト教の神、として祀り上げられるつもりなんか、さらさらなかった、むしろ、「裏切り者のユダ」こそが、神の威力という強権発動でのキリスト教の創設を希求して行動してたってことなんですから。