ムーミンで腐妄想
バレンタイン商戦たけなわですね。バレンタインのかわいらしいパッケージのチョコレートの前だと、さすがに腐女子も妄想しないだろう、と思うでしょう。
だがしかし、バレンタイン商品でもわたしは元気に腐妄想しています。
メリーチョコレートはムーミンモチーフのものをいろいろなイベントごとに出してくれるので、ムーミン好きとしては注目しているのですが、今年のバレンタインのこのパッケージのカップリングについて夫の人に熱く語ったら、「こいつ、腐ってやがる……」と言われました。
でもでもだって、バレンタイン商品でスナフキン×ムーミンパパですよ?! バレンタイン商品なら定番でムーミン×スノークのお嬢さん、あるいはBLとしてはムーミン×スナフキンのパッケージあたりが鉄板だと思うのですが、今年は「スナフキン×ムーミンパパ」……。
え、いいの、それ。すごく、背徳的じゃない? しかもロマンチックにも三日月の下で、スナフキンは明らかにムーミンパパに秋波送ってて、ムーミンパパは表では目をそらしてるけど、箱の裏側ではこうですよ!
君の瞳に乾杯、的な。こうなるとね、捗りますよね、妄想が。
だって息子の恋人ですよ? 原作者トーベ・ヤンソンがゲイだとしても、家族の恋人はまずいんじゃ? いや、北欧だからフリーセックス? それでもやっぱり家族の恋人を寝取っちゃうのはヤバいと思うんですよ。
あれ、このシチュエーション、どっかで見たな……。あ、あれだ、昔見た『ダメージ』っていうルイ・マル監督の映画(以下映画『ダメージ』のネタバレあり)。
息子の恋人と通じちゃって、それが バレて息子が死んじゃってエリート一家が崩壊するという映画。息子の恋人がジュリエット・ビノシュで、父がジェレミー・アイアンズで美男美女なんですよ。でも、ジェレミー・アイアンズ一家は崩壊するんだけど、ジュリエット・ビノシュはしたたかに幸せになってるっていう。
背徳的っていうか、罪深い……。
◾︎ニョロニョロ×ムーミン
さて、夫の人が新宿高島屋の催事場に行った時には上記のスナフキン×ムーミンパパは売り切れで、買ってきたのはこのニョロニョロ缶バージョン。開けると……
きゃー、ニョロニョロ×ムーミン! しかもニョロニョロが大勢で総受け状態!!! でもニョロニョロは単体での意思はないらしいから、触手プレイ的な???
なお、夫の人には「きっとそう言うと思いながら買ってきたよ」と言われてしまいました。不毛な会話……。そういえば腐妄想って、音に「不毛」が含まれてるよね……。
そして食べ終わった缶は、夫の人本人が筆箱に使うそうです。この乙女男子め!
今週のお題「わたしとバレンタインデー」
映画『メリー・ポピンズ リターンズ』@TOHOシネマズ渋谷
ディズニーのオリジナルストーリーですが、この「メリー・ポピンズ」なら天国のトラヴァースさんも「ふん、まあまあね」と言ってくれそう。わたしは大満足でした! 冒頭のガス灯のあるロンドン、そしてセントポール大聖堂ですでに涙ぐんでいたほど、心の中の『メアリー・ポピンズ』の視覚的再現度がすごい。続く登場シーンも完璧で涙腺決壊。これは期待が高まります。
- 作者: P.L.トラヴァース,メアリー・シェパード,Pamela Lyndon Travers,林容吉
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2001/06/18
- メディア: 単行本
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実はディズニーの一作めの『メリー・ポピンズ』、わたしはあまり好みではないのです。ジュリー・アンドリュースはメアリー・ポピンズにしては優しすぎるし、何より原作の挿し絵の、黒っぽい髪の木彫りのオランダ人形のようではないので。
でもこの作品は、ストーリーがオリジナルなのに、原作をうまくリメイクした上で、子どもたちの髪型や服装まで、あの挿し絵を3Dにしたかのよう。なによりメリー・ポピンズ役のエミリー・ブラントの演技に説得力があります。エミリー・ブラント以外もみんなうまいし、「原作のジェーンもマイケルも大きくなったらこうなりそう」と思わせてくれます。
そして、悪者はすぐそれとわかる子ども向けでありながら、子ども騙しではないのです。ディズニーでは年末に、今回の『メリー・ポピンズ』のように母を亡くした家族をテーマに、ポルーニンやミスティ・コープランドが出てドゥダメルが振るということで、子ども向けではないように宣伝しながらも子ども騙しと感じた『くるみ割り人形』にがっかりだったので、けっこうおそるおそる見に行ったのですが、原作ファンにも1964年のディズニー実写映画ファンにも目配りしつつも(まさかあの2ペンスが! あのスノーボールが! あのバンクス家があの通りと間取りでそのまま!)、現代のテイストもマッシュした(あのシーンのHIPHOPみ! メリー・ポピンズがウィリー走行!)佳い出来でした。ディズニーも看板商品の続編だけに、力が入ってたんだろうなあ。
最後、メリー・ポピンズが風船に映った自分に向かって「なにをしても完璧!」と言うときのエミリー・ブラントの、完璧だからこそ不完全な人間社会に留まれないメリー・ポピンズの、複雑でセリフを凌駕する表情は、原作の翻訳ふうに言うなら「みもの」です。ジュリー・アンドリュースの『メリー・ポピンズ』に欠けているとわたしが感じていたものが、そこにありました。
足りないものがあるとすれば、原作と1964年の映画版にいる「鳩おばさん」のような社会的弱者へのまなざしでしょうか。1964年はわたしの生まれる数年前ですが、「鳩おばさん」のような人の存在は現実でも当たり前だった時代です。
ロサル・タシデレ!
今年のチベット正月は二月五日でした。例年通り、ネパールにあるチベットの子どもの家「クンデ・ハウス」から年賀状が届きました。今年のカードはちょっとちびまる子ちゃんふう。
そして中を見ると、チベット語、英語、そして日本語でお祝いの言葉が! みんな優秀だなあ。運営者のTCPことチベタン・チルドレンズ・プロジェクトのみなさまに感謝です。
さて、子どもの家と言っても、子ども達は成長します。最初期からいる子どもはそろそろ義務教育をちらほら卒業する年ごろ。送金だけしてるサポーターですが、ネパールにいるチベット難民というパスポートのない身で、ちゃんと仕事は見つかるのかとか、そういうことがうっすら気になっています。
溢れる本、流れる本
積ん読本の山が発達して積乱雲や山脈のようになっている。
わたしが子どもの頃はさておき、高校や大学以降、本というものは「お、いいな」と思った時に買っておかないと、あっという間に手に入らなくなってしまうようになったので、読む時間の確保はさておき、目に付いた時に買っていくと、そうなる。
で、そのように買っていくと、積ん読じゃなくなったもの、つまり読了したものの中には、「これは読み返さないだろうな」というものも出てくる。その場合、それをどうするかというと、うちでは、認定NPO法人 難民支援協会 - チャリボン か、公益社団法人 アムネスティ・インターナショナル日本 - チャリボン に寄付している。
方法は簡単。チャリボンというサイト経由で引き取り日時などの手続きをして、自前の段ボール箱に本を詰めておくだけ。すると決めておいた日時に配送業者さんが引き取りに来てくれるのだ。伝票も書かず、ただ本の詰まった段ボールにガムテープで封をして渡すだけ! 超簡単!
で、引き取り日時を一か月後くらいに設定して、めいめい寄付する本を入れていくのだが、その際、相手の入れた本で気に入ったものは、自分の積ん読山に積んでいいことになっている。
今回、夫の人の出した本の中でわたしが興味を持って拾い上げて読んだのはこれ。
調律師、至高の音をつくる 知られざるピアノの世界 (朝日新書)
- 作者: 高木裕
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2010/11/12
- メディア: 新書
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一方、夫の人がわたしの出した本のなかから拾い上げて積ん読山に加えたのはこの二冊でした。
猫はこうして地球を征服した: 人の脳からインターネット、生態系まで
- 作者: アビゲイル・タッカー,西田美緒子
- 出版社/メーカー: インターシフト
- 発売日: 2017/12/27
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神社よりお寺
元日は近所のお寺に行った。お寺の近くの大通りには神社があるのだが、ふだんは閑散としているのに行列ができていて驚く。
一方、神社に隣接しているわけではない、少し離れた場所のお寺は、こじんまりとしているのにそんなに混んではいない。お墓まいりも兼ねている人もそこそこいるにもかかわらず、である。
門徒でもなく仏教徒でもないが、ちょっと心配になって、本殿とお地蔵様と、夫婦で計4束のお線香を買って備え、七福神のお守り入りおみくじを引いた。おみくじは御神籤と書くので、もしかしたらお寺では別の名前が本来なのかもしれないが。いやしかし、七福「神」がフィーチャーされているのだから、御神籤でいいのか? それを考え始めると、七福神の由来となるヒンドゥーの神々が仏教に取り入れられた過程の話にまで遡るので、それは措いておく。
ところでキリスト教徒のわたしが、仏教徒の夫の人の付き合いもあるとはいえ、なぜ初詣に神社ではなくお寺に行くかというと、そこはやはり、人間が救われるための道を必死に探った同じ人間であるブッダへの思いがあるからだと思う。
キリスト教に関しても、旧約聖書の神を信じているかといえば、そうではなくて、腐敗したユダヤ教に救われなくなっている人々に何ができるかを考えたイエスへの尊敬があるだけだ。
その点では神社に詣でる意味を、わたしは見出せない。だって八百万の神って、ギリシャ・ローマ神話の神とどう違うのだろう? 彼らは星の運行や地理的要因で繰り返す天災、死後の世界への不安や繰り返される近隣の共同体との紛争の記憶から生まれた、昔の人間の記憶のかけらや想像力の成果ではあるけれど、そこにブッダやイエス、ムハンマドみたいな人間の生活や人生をよくしようという意志は感じられない。そこに、尊敬する気持ちは湧かないのだ。
そんなわけで、今後も初詣をするとしたらお寺だろうと思う。なお、わたしの引いたおみくじは小吉ながら、普段から自戒しなければ、と思っていることが書いてあった。ううっ。
また、入っていたお守りは福禄寿(人望)とあった。これもわたしに足りないものである。ううっ。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』@TOHOシネマズ上野
最初は見るつもりはなかったのです。というのもわたしにとってクイーンって、曲は知っているけど特にファンでもなくて、フレディ・マーキュリーはしまあつこ先生の『8ビートギャグ』や、彼を元ネタにしたのであろう江口寿史先生描くところのトーマス兄弟とかでまず知ったようなもの。お姉さんたちがクイーンにきゃーきゃー言っているころ、わたしはプログレが好きで、YESとかELPをよく聴いてました。
が、まんがを通じての同い年の友人にアクラム・カーン版『ジゼル』を激賞したら、先日、再上映の会場で偶然顔を合わせ、彼女が『ボヘミアン・ラプソディ』を激賞するので、それなら、と見に行ったのです。結果、とてもよかった!
なんというかこう、「推しを見守る壁になりたい腐女子心」が存分に満たされました。レミ・マレック演じるフレディはとてもチャーミング。あと、「ブライアンがブライアン過ぎ」の噂は本当だった。猫がちょこちょこ出てくるのもいい。猫のゴロゴロ音目当てにIMAXやドルビーで見直した猫好きがいるのもわかる。しまあつこフレーバーが感じられて、去年出た本、買おうかなあとか思っているほど。
けどやっぱりレミ・マレックのフレディはわたしには肉が足りない〜。もっとムチムチしてる印象だったので、無理してゲイ・スタイルにしているかのように見えてしまって……。そのかわり、あのスタイルになる前の若い頃がとてもかわいらしくて、当たり前だけど40代あのスタイルのフレディになる前に、フレディはちゃんと若かったんだよな、と納得しました。というか、いつのまにか自分がフレディの享年を過ぎてしまったという事実……。
最後に、「やっぱり見ようかなあ」と思った理由のうちのひとつのツイートをご紹介。オタクもここまでくればもう、芸ですよね。
ボヘミアンラプソディを観た音楽好きオタクな後輩から気持ち悪いメールが届いて震えてます((((;゚Д゚))))#細かすぎて伝わらないボヘミアンラプソディ好きなシーン #ボヘミアンラプソディ #ボヘミアン胸アツ pic.twitter.com/1r8Dr0Heuq
— lady godiva (@Hshijimi) December 10, 2018
ふと目が覚めたら後輩からメールがあり、正座して読んでます😅
— lady godiva (@Hshijimi) December 18, 2018
一気に目が覚めた🤣
フレディの靴シーン👟👟👟👟👟
また観に行かねば#細かすぎて伝わらないボヘミアンラプソディ好きなシーン#ボヘミアンラプソディ#ボヘミアン胸アツ#クイーン #QUEEN#FreddieMercury #フレディマーキュリー pic.twitter.com/bXb4Grc1f5
アクラム・カーン版『ジゼル』二度目@東劇
新年初映画館、かつ二度めのアクラム ・カーン版『ジゼル』は夫の人と一緒に。夫の人曰く「群舞がテクでいうと三角波がビシッと立ってる感じでとてもイイ! ただパドドゥはあんまり……」。
パドドゥはわたしは違和感なく見ていたけど、クラシックバレエ的な「見せ場」になっていなくて、演劇的に全体と馴染んでいるとも言えるので、見る人によってアリかどうかが分かれるんだなあ、と。
一回目を見る前は、「タマラ・ロホがジゼル?」と思っていたのですが、今作のジゼルは原作と違って病弱じゃないのと、工場労働者ということ、ロホが演じていることで、『カルメン』を思わせます。
なお帰り道に友人たちと話しながら一致したのが、
「アルブレヒトがおっさん」
「アルブレヒトがかっこよくない」
「工場長アルブレヒトが移民で立場の弱い労働者ジゼルに手をつけちゃったみたいに見える」
と、アルブレヒトの配役に不満噴出! これも、クラシックバレエ版『ジゼル』で、ジゼルとアルブレヒトは美男美女! というものを求める気持ちが強いとそうなるよね、と。
ただこの映画版、ヒラリオンが原作と違ってくっきりと悪者で、歌舞伎でいう色悪的な華があるので、そっちに男性役の魅力を振ったのかな? とも思えます。アルブレヒト役がおっさん工場長っぽいのは、より現実的に、ということなのかもしれません。
その視点で見ると、バチルドはアルブレヒトの婚約者というより、工場を保有する企業の幹部で、「最近この工場の風紀とコンプライアンスが乱れてると密告が(ヒラリオンから)あったので見に来てみたら……。はぁ〜〜(ため息)」というストーリーにも見えてきます。そうなら、アルブレヒトがバチルド側に戻れないラストは納得!
そしてミルタはちょっと百合っぽい。「なんで? なんであんたそんな男をかばうの?」と関西弁のイントネーションでジゼルに語りかけてそうな雰囲気。それにしても第2幕、原作と違ってずーっとずーっとポワント! みなさん強靭! ミルタ登場シーンはトウで歩いてロホを引き摺るって、やっぱり大変そう! わたし的にはウィリたちの世界は黄泉の国ではなくて、さらにアンダーグラウンドな、たとえば水道管のなかで暮らす貧困層のイメージ。
そして劇伴は今回も最高。ありがちな流れからふとノイズに切り替わるときなども計算されていると思う。第2幕の音場設計はあちらふうの「ヒュ〜ドロドロ」なんだろうなあと思って見ていました。
実は過去のアクラム ・カーンのオリジナル作品はいまいちはまれなかったのですが、ジゼルはどはまりしました。もしかして、アクラム ・カーンは押井守のように、原作付きなどの制約があるほうが輝くタイプなのかも、と思ったり。