読んだり食べたり書き付けたり

霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

老後の計画に理想などない

今週のお題「理想の老後」と言われてふと気づきました。なんとワタクシ、あと五年で池内紀さんが東大を早期退職して「隠居」に入った年齢になるではないですか。

でも当方、凡人なので、五年後も今の仕事を変わらず遊び気分で(霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目校正類としては、校正校閲の仕事というのは解きがいのある面白いゲームをしているようなものなのです)、昇進も狙わず(そもそもただただ実務をしていたいだけで、偉くなって実務以外の管理職的な仕事とかをしたくないのです)、奨学金も返済中で資産もないので、勤め人をやっているのではないでしょうか。

あれ、これってもしかして、若い頃「いいなぁ」と思っていたあのアレに極めて近いのでは?!

 

スーダラ節

スーダラ節

 

 

それに考えてみれば、子どものころからの「何かを読む仕事がしたい」という夢もいつの間にか叶っているんですよね。『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵』の活字中毒者、「え・ぽ・き・し」のモデルで、「日本読書株式会社」を構想したあの方が結局、書評家として四十年過ぎたようなものでしょうか。これまであまり平坦な人生を送ってきていませんが、好きなことに食らいつく根性については、自分を褒めてあげたい気分です。

 

もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵 (角川文庫)

もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵 (角川文庫)

 
書評稼業四十年

書評稼業四十年

 

 

それはいいとして、老後になってもやっていたいこととしては、世間の役に立ちそうもない同人誌を書いたり読んだりすることがあります。

とくに、今夏のコミケ用新刊『クズ度で見る古典バレエ』の背表紙で、印刷屋さんがこんな技を繰り出してくると、「ふふふ、また背表紙に文字が載るかどうか微妙なくらいの薄い本を書こうかな」と思うのです。

 


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しかし、志が低すぎて、というかそもそも志などない老後の計画で、理想などはまったくないですね。なんだろう、退職金でクルーズ旅行とかそういうのが「理想の老後」として想定される正しい答えなのかな?

あ、でもそういえば、似たようなものはありますね。人権において自由になったチベットに、日本で知り合ったチベット人たちと遊びに行くこと。はてさて、この理想、今生の老後で叶うかどうか。

 

D08 地球の歩き方 チベット 2018~2019 (地球の歩き方 D 8)

D08 地球の歩き方 チベット 2018~2019 (地球の歩き方 D 8)

 
天空の聖域ラルンガル ――東チベット宗教都市への旅(フィールドワーク)

天空の聖域ラルンガル ――東チベット宗教都市への旅(フィールドワーク)

 
チベット 聖地の路地裏: 八年のラサ滞在記

チベット 聖地の路地裏: 八年のラサ滞在記

 

 

 

毒親持ちが見る 映画『フリーソロ』@新宿ピカデリー

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わたしは登山記録とバレエを見るのをやめられない。それはどちらも、「人間は、身体をここまで拡張できるなら、 精神も拡張できるのでは」という希望を持たせてくれるからだ。そんなわけで待ちに待ったクライミングドキュメンタリー映画『 フリーソロ』を見てきた。

 

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この映画と同じ監督コンビによる『MERU』 もここで見たなあと新宿ピカデリーに向かう。あの時と違い、 レディースデーだからか、 アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞をとったからか、ほぼ満席! そして今作も監督エリザベス・チャイ・ヴァサヒリイの、 登ることに取り憑かれた人たちの様子を、 単なる記録映像としてではなく、 映画として翻訳する手腕に圧倒される。 この作品はクライミングの映画だけれど、 人間の精神の不思議についても考えさせられる一作なのだ。

撮影対象のアレックス・オノルドはアメリカ人。でも、 家族同士が「アイ・ラブ・ユー」 を言い合わない機能不全家族に育っている。その影響からか、 彼は恋人になかなか「アイ・ラブ・ユー」を言うことができない。

アレックスの母は完璧主義者で、 本人は自覚していないがほんのり毒親。 アレックスが記憶している、 アレックスに寛容でその夢を応援する父親が、 彼女からはなぜかアレックスを抑圧する父親に見えている。アレックス当人は母に完璧を求められて抑圧されていると思っているので、インタビュー場面でも外面よし子さんな母は、 自身の認めたくない姿を夫に付け替えてしまっているのだろう。

アレックスがクライミングでより高い目標、より完璧な対象を追うのは、 この母に育てられたからではないかと思える。そう振る舞うのは挑戦者として悪いことばかりではないけれど、 そのために周囲に精神的負担をかけることを、 アレックスは内心の深いところで気に病んでいるようだ。

そのアレックスが、ほんの一瞬、気を抜いたら即死という標高975メートルのツルッツルの花崗岩の断崖絶壁、エル・キャピタンのフリーソロ・ クライミングを終えたとき、 その精神に起こった変容をわたしたちは見ることができる。 明るくて開けっぴろげな恋人の働きかけはまったく通じていないように見えていたけれど、それは静かにアレックスの中に蓄積していたのだ。それが前人未到の偉大な挑戦を成し遂げたあと、そこからの解放感でようやく噴き出したその瞬間、一度目の緊張からの解放による安堵とは違う種類の、二度目の涙がわたしの頬を流れた。

アレックスはこの変容で、今度は愛を自覚し、失うものを得た者として、今までとは異なる恐怖やプレッシャーと向き合ってクライミングを することになるかもしれない。でもそれは、感情表現に乏しいやつという点から渾名された「ミスター・ スポック」として生きるより、 豊かな人生になるのではないだろうか。 

 

freesolo-jp.com

それにしても同じ監督コンビの前作『MERU』もそうだけれど、 今回もどうやって撮ったのかわからないシーンだらけ。ヘリコプターやドローン、望遠撮影はまだわかる(なお今回の『 フリーソロ』 の舞台ヨセミテではドローン撮影が法律で禁止されているとのこと)。でも地上はるか数百メートルの垂直の岩壁で、かすかな突起にアレックスがのせる足のアップとか、 いったいどう撮ったのか。共同監督で撮影監督のジミー・ チンほか、プロのクライマーとプロの山岳写真家のチームにしか撮れない風景 だ。彼らの作り上げたこの風景は、 大きい画面で見ないと意味がないので、 わたしは少なくともあと一回は映画館で見ようと思っている。

 

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※「月刊暗黒通信団注文書」2019年10月号初出原稿を改訂

『ディリリとパリの時間旅行』@恵比寿ガーデンシネマ

美しいものを見たなあ、という感慨に浸ることができるフランス風アニーのような映画です。

「子どもはあんなこと言わないでしょ」と感じるようなディリリの言葉も、「いや、でもここまで徹底的にフランス語を身につけた、しかも女子ならこの年齢でも言うかも」と思わせてくれるのは、フレンチ・マジック。

でも子どもって時々、ハッとするほど哲学的なことや、達観したようなことを言ったりしますよね。そういうハッとする瞬間がちょこちょこあるのは、映画マジック。

そしてなんといってもディリリの動きが、「そうそう、子どもってそういうふうに動くよね!」と思わせる、細かな観察眼に裏打ちされているのです。ディリリが最初に縄跳びをするときの、縄がスカートに少しだけ引っかかる繊細な描写に胸を撃ち抜かれました。

 

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とはいえ、ストーリーはかなり現代のISISや、わたし自身の足元での女性の扱いや、男尊女卑を含む洗脳の恐ろしさについて、あれこれを考えざるをえない展開で、ただ綺麗なだけのものではありません。そこからの脱出劇が軽妙洒脱なので救われますが。

字幕で見ましたが、吹き替えでももう一回見たいなあ。

声はすれども姿は見えず、ほんにスパムは蚊のような

今週のお題「夏を振り返る」ですが、今年の夏も蚊に刺され、そしてなかなか痒みが引いてくれません。しかも暑さがぶり返したせいか、蚊も復活したようで……。あの羽音を聞くと、仕留めるまでは寝られない、と思うのですが、敵もさるもの姿をなかなか現しませんね。

ところでよくあることではあるのですが、ブログのコメント欄にもそんな声はすれどもオリジナリティある姿は見えない、蚊のようなものがときおり現れます。具体的にはこのようなコメントを残す方。

 

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こういったコメントをわたしの書いているようなブログに残す方というのは、少しおつむが理解力が乏しくていらっしゃるのでしょうか? つっこみたいところはいろいろありますが、まず、


「私もブログ始めました。」

 
「も」というからにはなにかしら共通点があっての「も」だと思うのですが、ブログの内容、始めた時期などまったく共通点が見出せないわけです。まさか知り合いでもあるまいし。

 
「時間、勉強、労力0でFXができるEA(自動売買)の実績を公開中です」

 
時間、勉強、労力0でやることが面白いとはとうてい思えないし、面白いと思えないことについてブログを書くことも、わたしにはとうていできそうにないんですよね。

あと、一文の終わりには「。」付けましょうね。全部付けないならまだしも、最初の文には付いてるわけで、付けるのか付けないのか、落ち着かないので統一してほしいものです。

それと、丸括弧が半角なのも趣味じゃないなあ。端的にいって、仲良くなれそうにないタイプ。

 
「ブログの書き方、参考にさせていただきます!」

 
そしてなにより、池内紀を追悼するブログの書き方を参考にしたFXブログなるものが、まったく想像がつかない。

もちろん池内紀文体をパスティーシュしてFXブログが書かれるなら、それはそれで面白いかもしれませんが、この短いコメントからだけでも察せられるように、そのような高度な言葉遊びには向いていらっしゃらないように思えます。

でもってわたしのブログは時間、勉強、労力を無駄に使って、何の儲けにもならない言葉遊びに耽る人間が書いているので、スタンスがまったく逆。なので、こういったコメントは残すだけ無駄です。スパムコメントの一種といえますが、スパムのほうが食えるだけマシですね。

なおコメントは以前このエントリのコメント欄のようなことがあって↓承認制にしているので、このスパムコメントもスクリーンショットを撮ったあとは承認せず、さっさと削除させていただきました。

 

mmc.hateblo.jp

 

追悼 池内紀さん

“ユダヤ人”という存在 (池内紀の仕事場 2)

“ユダヤ人”という存在 (池内紀の仕事場 2)

 

 

いま、『〈ユダヤ人〉という存在 』を少しずつ読んでいる。一昨日、神保町の古書店の店頭で見たその著者の池内紀さんの「追悼コーナー」を、にわかには信じられず。調べたら本当だった。

 

 

寂しい気持ちではあるけれど、そういえば池内紀さん、数多ある著書のどこかで「七十七歳で死ぬことにしている」と書いていたのを思い出す。 五十五歳で東大を早期退職したのも、辞めないと死ぬまでにカフカの全作品翻訳ができないからという理由だったのだろうか。

 

変身ほか (カフカ小説全集)

変身ほか (カフカ小説全集)

 

 

と、思ったら記憶というのはあてにならないもので、池内紀さんが「七十七歳で死ぬ」と決めたのは七十歳の時だったそう。その頃のお仕事で書かれていたのを読んだわたしの脳内で、記憶の捏造が行われたのだろう。

 

www.chunichi.co.jp

定年後は、そのカフカの翻訳はもとより、ドイツ文学者の範にはおさまらない山歩きや温泉のエッセイで、広範な読者を得た池内紀さん。翻訳のお仕事では『香水』が記憶に新しい。といっても、ハードカバーで三十一年も前なのか!

 

ある人殺しの物語 香水 (文春文庫)

ある人殺しの物語 香水 (文春文庫)

 

 

いまごろ、 「七十七歳の予定が、一年ずれ込んじゃったなあ」と呟きながら、ゲーテ種村季弘と地獄で温泉につかっているのかもしれない。

 

www.amazon.co.jp

中学生くらいからこのかた、愉しい読書の時間をありがとうございました。‬まだまだ読み切れていない池内紀さんのご本を、これからも読みながら、愉しく老いていきたいものです。

 

記憶の海辺 ― 一つの同時代史 ―

記憶の海辺 ― 一つの同時代史 ―

 

荒俣宏展@神保町・クラブ ライブラリー

www.bunkanews.jp

 

今週のお題は「わたしの自由研究」ということで、社会科見学的に神保町の日本出版クラブビルのロビーにあるライブラリーで、今月末まで開催中の荒俣宏展に行ってきました。

 

 

長い一人分の幅のエスカレーターで上っていくと、若き荒俣さんの実物大パネルが出迎えるロビー。寄贈された400冊の荒俣蔵書の品揃えと展示方法に、リアルに口がぽかんと開きます。

 

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限られた数ではあるけれど、荒俣さんの貴重な蔵書の古書のいくつかが手に取れて読めて、もう絶版の荒俣さんの本も読める。古書は出版年を見て仰け反ったり、美しさと古さで盗まれちゃったらどうするんだろうと少し心配になったり。

 


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1990年代にリブロポートから出た熱帯魚の博物学的図版の復刻本の、荒俣さんによる解説を読んだりはしましたが、とにかく本の質と量の洪水に浮き足立って落ち着きを失ってしまい、洋書の古書などはとうてい落ち着いて読めません。

 


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どれも読みたくなる大量の蔵書の中で、ほんの少~しだけ、荒俣さんの頭の中を覗く気持ちを味わいました。古書や絶版本ばかりではなく、2018年刊の本などもあって圧倒されます。

 


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そして、自分が荒俣宏に生まれることのできなかった不運を噛み締めながら近くでお茶。ああ、せめてこのロビーライブラリーに一か月くらい住みたい……。そんなことを思いながらツイートしたら、酔ってもいないのにところどころ呂律の回らない文章になっていました。

 

 

残念ながら螺旋階段の上は一般人立ち入り禁止なので、次回は上の方の本棚の書名を確認できるよう、オペラグラス持参で臨みます!

 

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※画像は出版クラブビルさんにお電話して確認の上、アップしています

脳内欲しい本リストの崩壊

まただ。たしかに買おうと思っていた新刊書があったのに、それが何の本だか思い出せない。新聞の書評欄や広告欄、ツイッターで流れてくる読書感想で知って興味を持った本を、メモせず脳内の「欲しい本リスト」に雑多に積み上げた結果がこれだ。

「欲しい本なんだから、書店に寄る時間が来たら、自動的に思い出すだろう」。以前はそう思っていたし、そうしていた。しかし、老化に伴う脳細胞の劣化のせいか、それともうっかり目に付いた本も買ってしまわないよう、こまめに本屋に寄らないようにしたせいで「脳内欲しい本リスト」が積み上がりすぎているのか、書店に足を踏み入れても、あまつさえ新刊書店棚を見渡しても、目当ての本がそこにないと、いったいどんなジャンルの何の本を欲しいと思っていたのか、思い出せないのである。

耄碌したらきっと、頭の中の、読みたいのに思い出せない本のイメージで『文字禍』のように殺されるのだろう。そう思いつつ書店を徘徊する。

朗読CD 朗読街道(65)文字禍・盈虚 中島敦

朗読CD 朗読街道(65)文字禍・盈虚 中島敦

 

 

そもそも探しているそれは「本」なのか?雑誌コードはついていないけれど、雑誌コーナーに並べられているたぐいのブツだったりはしないのか?そう疑って新刊棚だけでなく、雑誌平台も見て回る。そして困ったことに、目当ての本の周辺領域の本や雑誌で、あらたに惹かれるものを見つけてしまい、そのタイトルを、またもやメモせず脳内に放り込む。

「そうだ、あっちの書店の新刊棚のあのあたりにありそうな本だった」。相変わらず目当ての本の確たるタイトルや著者、出版社を思い出せないままに、パソコンで読みを打ち込んで正しく変換はできるのに、いざそれを肉筆で書こうとするとへんもつくりももやもやと雲散霧消してしまう難しい漢字のおおまかなシルエットを思い出したときのように思いつき、おぼろげな書影の面影を求めて、その書店のその棚へ向かう。

あった!ようやく買おうと思っていたその本を買う。しかし、その棚のその位置に来るまでに、またぞろ「脳内欲しい本リスト」に雑多なタイトルが積み上がったのを苦々しく感じながら、会計を済ませる。

いっそ、この本を読んでいくうちに、今日、この本を求めて彷徨っているうちに目に付いた、この本の周辺領域の「脳内欲しい本リスト」の記憶がなくなればいいのに……。

だが幸か不幸か、まるで『猿の手』のように、願いは少しだけかなえられ、「そうだ、買おうと思っていた本があった」と書店に足を運ぶ次の機会に、わたしはまた同じように彷徨い歩くのだ。

猿の手 (恐怖と怪奇名作集4)

猿の手 (恐怖と怪奇名作集4)

 

 

なお、本日、上記の過程を経て買ったのが、このご本です。

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吉田都 永遠のプリンシパル

吉田都 永遠のプリンシパル

 

※「月刊暗黒通信団注文書」2019年9月号初出原稿を改訂