読んだり食べたり書き付けたり

霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

溢れる本、流れる本

積ん読本の山が発達して積乱雲や山脈のようになっている。

わたしが子どもの頃はさておき、高校や大学以降、本というものは「お、いいな」と思った時に買っておかないと、あっという間に手に入らなくなってしまうようになったので、読む時間の確保はさておき、目に付いた時に買っていくと、そうなる。

f:id:Mmc:20190203012715j:image

 

で、そのように買っていくと、積ん読じゃなくなったもの、つまり読了したものの中には、「これは読み返さないだろうな」というものも出てくる。その場合、それをどうするかというと、うちでは、認定NPO法人 難民支援協会 - チャリボン か、公益社団法人 アムネスティ・インターナショナル日本 - チャリボン に寄付している。

方法は簡単。チャリボンというサイト経由で引き取り日時などの手続きをして、自前の段ボール箱に本を詰めておくだけ。すると決めておいた日時に配送業者さんが引き取りに来てくれるのだ。伝票も書かず、ただ本の詰まった段ボールにガムテープで封をして渡すだけ! 超簡単!

www.charibon.jp

 

で、引き取り日時を一か月後くらいに設定して、めいめい寄付する本を入れていくのだが、その際、相手の入れた本で気に入ったものは、自分の積ん読山に積んでいいことになっている。

今回、夫の人の出した本の中でわたしが興味を持って拾い上げて読んだのはこれ。

調律師、至高の音をつくる 知られざるピアノの世界 (朝日新書)

調律師、至高の音をつくる 知られざるピアノの世界 (朝日新書)

 

 

一方、夫の人がわたしの出した本のなかから拾い上げて積ん読山に加えたのはこの二冊でした。

外道クライマー

外道クライマー

 
猫はこうして地球を征服した: 人の脳からインターネット、生態系まで

猫はこうして地球を征服した: 人の脳からインターネット、生態系まで

 

 

 

 

お題「愛用しているもの」

 

神社よりお寺

小正月も過ぎて旧正月も近くなったけど初詣のこと。

元日は近所のお寺に行った。お寺の近くの大通りには神社があるのだが、ふだんは閑散としているのに行列ができていて驚く。

一方、神社に隣接しているわけではない、少し離れた場所のお寺は、こじんまりとしているのにそんなに混んではいない。お墓まいりも兼ねている人もそこそこいるにもかかわらず、である。

門徒でもなく仏教徒でもないが、ちょっと心配になって、本殿とお地蔵様と、夫婦で計4束のお線香を買って備え、七福神のお守り入りおみくじを引いた。おみくじは御神籤と書くので、もしかしたらお寺では別の名前が本来なのかもしれないが。いやしかし、七福「神」がフィーチャーされているのだから、御神籤でいいのか? それを考え始めると、七福神の由来となるヒンドゥーの神々が仏教に取り入れられた過程の話にまで遡るので、それは措いておく。

 

f:id:Mmc:20190127010805j:plain

新年早々、猫に不審がられる。

 

ところでキリスト教徒のわたしが、仏教徒の夫の人の付き合いもあるとはいえ、なぜ初詣に神社ではなくお寺に行くかというと、そこはやはり、人間が救われるための道を必死に探った同じ人間であるブッダへの思いがあるからだと思う。

キリスト教に関しても、旧約聖書の神を信じているかといえば、そうではなくて、腐敗したユダヤ教に救われなくなっている人々に何ができるかを考えたイエスへの尊敬があるだけだ。

その点では神社に詣でる意味を、わたしは見出せない。だって八百万の神って、ギリシャローマ神話の神とどう違うのだろう? 彼らは星の運行や地理的要因で繰り返す天災、死後の世界への不安や繰り返される近隣の共同体との紛争の記憶から生まれた、昔の人間の記憶のかけらや想像力の成果ではあるけれど、そこにブッダやイエスムハンマドみたいな人間の生活や人生をよくしようという意志は感じられない。そこに、尊敬する気持ちは湧かないのだ。

 

f:id:Mmc:20190127010953j:image

 

そんなわけで、今後も初詣をするとしたらお寺だろうと思う。なお、わたしの引いたおみくじは小吉ながら、普段から自戒しなければ、と思っていることが書いてあった。ううっ。

 

f:id:Mmc:20190125004805j:image

f:id:Mmc:20190125004819j:image

 

また、入っていたお守りは福禄寿(人望)とあった。これもわたしに足りないものである。ううっ。

 

f:id:Mmc:20190125005226j:image

f:id:Mmc:20190125005244j:image

 

映画『ボヘミアン・ラプソディ』@TOHOシネマズ上野

江口寿史のなんとかなるでショ!

 

最初は見るつもりはなかったのです。というのもわたしにとってクイーンって、曲は知っているけど特にファンでもなくて、フレディ・マーキュリーはしまあつこ先生の『8ビートギャグ』や、彼を元ネタにしたのであろう江口寿史先生描くところのトーマス兄弟とかでまず知ったようなもの。お姉さんたちがクイーンにきゃーきゃー言っているころ、わたしはプログレが好きで、YESとかELPをよく聴いてました。

 

CROMARTIE HIGH SCHOOL [DVD]

CROMARTIE HIGH SCHOOL [DVD]

 

 

が、まんがを通じての同い年の友人にアクラム・カーン版『ジゼル』を激賞したら、先日、再上映の会場で偶然顔を合わせ、彼女が『ボヘミアン・ラプソディ』を激賞するので、それなら、と見に行ったのです。結果、とてもよかった!

なんというかこう、「推しを見守る壁になりたい腐女子心」が存分に満たされました。レミ・マレック演じるフレディはとてもチャーミング。あと、「ブライアンがブライアン過ぎ」の噂は本当だった。猫がちょこちょこ出てくるのもいい。猫のゴロゴロ音目当てにIMAXやドルビーで見直した猫好きがいるのもわかる。しまあつこフレーバーが感じられて、去年出た本、買おうかなあとか思っているほど。

けどやっぱりレミ・マレックのフレディはわたしには肉が足りない〜。もっとムチムチしてる印象だったので、無理してゲイ・スタイルにしているかのように見えてしまって……。そのかわり、あのスタイルになる前の若い頃がとてもかわいらしくて、当たり前だけど40代あのスタイルのフレディになる前に、フレディはちゃんと若かったんだよな、と納得しました。というか、いつのまにか自分がフレディの享年を過ぎてしまったという事実……。

最後に、「やっぱり見ようかなあ」と思った理由のうちのひとつのツイートをご紹介。オタクもここまでくればもう、芸ですよね。

 

 

 

お題「最近見た映画」

アクラム・カーン版『ジゼル』二度目@東劇

新年初映画館、かつ二度めのアクラム ・カーン版『ジゼル』は夫の人と一緒に。夫の人曰く「群舞がテクでいうと三角波がビシッと立ってる感じでとてもイイ! ただパドドゥはあんまり……」。

パドドゥはわたしは違和感なく見ていたけど、クラシックバレエ的な「見せ場」になっていなくて、演劇的に全体と馴染んでいるとも言えるので、見る人によってアリかどうかが分かれるんだなあ、と。

一回目を見る前は、「タマラ・ロホがジゼル?」と思っていたのですが、今作のジゼルは原作と違って病弱じゃないのと、工場労働者ということ、ロホが演じていることで、『カルメン』を思わせます。

なお帰り道に友人たちと話しながら一致したのが、
「アルブレヒトがおっさん」
「アルブレヒトがかっこよくない」
「工場長アルブレヒトが移民で立場の弱い労働者ジゼルに手をつけちゃったみたいに見える」
と、アルブレヒトの配役に不満噴出! これも、クラシックバレエ版『ジゼル』で、ジゼルとアルブレヒトは美男美女! というものを求める気持ちが強いとそうなるよね、と。

ただこの映画版、ヒラリオンが原作と違ってくっきりと悪者で、歌舞伎でいう色悪的な華があるので、そっちに男性役の魅力を振ったのかな? とも思えます。アルブレヒト役がおっさん工場長っぽいのは、より現実的に、ということなのかもしれません。

その視点で見ると、バチルドはアルブレヒトの婚約者というより、工場を保有する企業の幹部で、「最近この工場の風紀とコンプライアンスが乱れてると密告が(ヒラリオンから)あったので見に来てみたら……。はぁ〜〜(ため息)」というストーリーにも見えてきます。そうなら、アルブレヒトがバチルド側に戻れないラストは納得!

そしてミルタはちょっと百合っぽい。「なんで? なんであんたそんな男をかばうの?」と関西弁のイントネーションでジゼルに語りかけてそうな雰囲気。それにしても第2幕、原作と違ってずーっとずーっとポワント! みなさん強靭! ミルタ登場シーンはトウで歩いてロホを引き摺るって、やっぱり大変そう! わたし的にはウィリたちの世界は黄泉の国ではなくて、さらにアンダーグラウンドな、たとえば水道管のなかで暮らす貧困層のイメージ。

そして劇伴は今回も最高。ありがちな流れからふとノイズに切り替わるときなども計算されていると思う。第2幕の音場設計はあちらふうの「ヒュ〜ドロドロ」なんだろうなあと思って見ていました。

実は過去のアクラム ・カーンのオリジナル作品はいまいちはまれなかったのですが、ジゼルはどはまりしました。もしかして、アクラム ・カーンは押井守のように、原作付きなどの制約があるほうが輝くタイプなのかも、と思ったり。

 

www.youtube.com

お題「最近見た映画」

【気になる言葉】きゅうたいいぜん・だいそれた

先日、大家さんに「別府の地獄ってね、一巡りでいくら、じゃなくて、一地獄ごとにお金がかかるのよ、フフフ」と言われ、「これがほんとの『地獄の沙汰も金次第』か」と感じ入ったのですが、本当でしょうか。去年、別府方面には行ったのですが、地獄巡りはしなかったので、気になります。

そして気になるといえば、ただ生活しているだけで増えてくるのが気になる言葉。今回は二つです。

 

◆旧態依然

「旧態依然」。これを「旧態然」として使っている人がけっこう多いことにしばらく前から気づいていました。でもって「旧態依然」という言葉の存在を別にしてみると、「旧態然」でもそう間違っているとも言いがたいのが悩ましい。

ちなみに精選版日本国語大辞典で引くと「旧態依然」はこう。

f:id:Mmc:20190112013322p:image

 

そして「旧態」はこう。

f:id:Mmc:20190112013334p:image

 

さらに「然」はこうです。

f:id:Mmc:20190112013149p:image

 

この「旧態」に状態を表す「然」を付けるのは「態」の語義がダブってはしまいますが、そういう組み立ての言葉はないわけでもない。そうすると「旧態然」も通じなくはないかな、と思えるのです。たとえば「お嬢様然」という言葉のように。

ただ、「お嬢様然としてツンとおすまししている」とは言いますが、「お嬢様依然としてツンとおすまししている」とは言いません。

というか、その場合、「お嬢様は依然としてツンとおすまししている」という意味になり、「お嬢様然として〜」の場合とは文意が変わってしまうのでは、という悩みが生じます。

となると今は誤用として使われ始めている「旧態然」は、「旧態依然」と同じ状況を指すとは言えないのではないか? う~むむむ。

 

◆大それた

「大それた」って、どう発音しますか? わたしは「だいそれた」だと思っていたのですが、ツイッターで「おおそれた」と打たれているのを複数回、見かけました。

で、この二つを日国で調べてみます。


f:id:Mmc:20190112013221p:image

f:id:Mmc:20190112013226p:image

 

うーん、「おおそれた」でもさほど意味は変わらないのでは? と思えてきて、いまたいへん悩ましい状況です。もちろん仕事では「大それた」をひらいてかな書きするときは「だいそれた」と決まっているので悩まないですむのですが。

お風呂が沸く音

しばらく前に、賃貸で住んでいる我が家の給湯器が新しくなった。

その新しいNORITZノーリツ)の給湯器で、お風呂が沸いた時にワンフレーズ流れるメロディの元曲、ドイツの曲だと思うのだがタイトルが思い出せずに気になっていた。

「鼻歌アプリに聞いてみれば?」と夫の人が言うので、「鼻歌 アプリ」で検索してみることにする。

 

f:id:Mmc:20190109013636j:image

 

appストアで「はなu」まで検索窓に打ち込んだら、即「鼻歌アプリ」が候補に出てきた。次のヤマハと迷ったがよく使われてるほうが精度が高いだろうとインストール。

 

f:id:Mmc:20190109013822j:plain
f:id:Mmc:20190109013701j:plain

 

まずは自分で歌ってみるが、「該当する曲がありません」と言われてしまい、「自分はいつの間にそんなに音痴になったのか……」とショックを受ける。そこで次は給湯器から流れるメロディそのものを聞かせてみた。

まったく掠らないJ-POPが候補に並んだ。だめじゃん……。

 

f:id:Mmc:20190109013957j:plain
f:id:Mmc:20190109013711j:plain

 

そこで「ヤマハにしておけばよかった……」と思いつつ、速攻でアプリを削除、次に「ノーリツ 風呂 音楽」で検索してみたところ、気になる人は多いようで、情報はすぐ見つかった。

 

www.worldfolksong.com

 

元曲のタイトルは「人形の夢と目覚め」でした! ピアノ教室の練習曲にあったので、記憶がかすかにあったらしい。ピアノは母親の趣味で習わされていたのだが、幼稚園入園前から日々、母親にひどい折檻(怒鳴る、頭を叩く、脚を蹴る、腕や手を抓る、間違えた指に待ち針を刺すなどなど)を受けながらの練習だったので、あまり曲名などの詳細な記憶が残っていないのだ。とりあえず曲名がわかってすっきり。

 

お題「今日の出来事」

映画『グッバイ・クリストファー・ロビン』(ネット視聴)

ネット視聴で新年初映画。A.A.ミルンの『クマのプーさん』原作ファンとしては見るべき作品。画面は衣装の生地に至るまで考証が尽くしてあるのだろうなと感じられ*1、気になるところもなくとても美しいのですが、その反面、クリストファーの生育環境の残酷さが突き刺さってきます。

 

クマのプーさんと魔法の森

クマのプーさんと魔法の森

 


内容はクリストファーの書いた『クマのプーさんと魔法の森』を彷彿とさせながらも、映画の主人公は父ミルン。サセックスに引っ越してくるクリストファーが「新しいおうちにパパとママも一緒に住むとは思わなかったの」というあたりから不吉な予感が。というかわたし自身、クリストファーのその後を知っているのでただ楽しい鑑賞体験というわけにはいきません。

ラストシーンも、父ミルンは従軍から帰った息子に幼いクリストファー・ロビンを重ね合わせて終わるのですが、「え、じゃあ結局、『クリストファー・ロビン』じゃなくなった息子には興味なしってこと?」と、実に複雑な気持ちになりました。実際には映画で描かれているような、クリストファーによる父の作品の相対化と父との和解は父ミルンの生前にはなく、関係は悪化するばかりだったわけだし。

 

クリストファー・ロビンの本屋

クリストファー・ロビンの本屋

 


それでも映画体験としては良いものでした。不満としては、クリストファーの母の描き方と、イギリス英語じゃないこと。プーさんのキャラクター造形はほとんど母ミルンとクリストファーの間の遊びによるもので、父ミルンはその観察者にして筆記者だったのでは、という説もあるほどなのに、クリストファーを育児放棄している社交界好きの派手好きな面を前面に出すのはどうかと思うのです。

 

m.youtube.com

ところで、完全にフィクションのディズニーの『プーと大人になった僕*2が映画館公開されたのに、こちらが映画館では公開されないとなると、実際のクリストファー・ロビンの人生が今後、誤解されていきそうな不安を感じています。

クリストファー自身の自叙伝は、おそらく少し大きな図書館には収蔵されていると思うので、ぜひ読んでいただければと思います。

 

お題「最近見た映画」

*1:父ミルンのスーツや母ミルンのドレスのみならず、子ども服の生地も手が込んでいたりして、植民地をかかえていた第二次大戦前のイギリスのミドルクラスの生活はこれくらい豊かだったのだろうなと思えます。夫の人は「この貴族め!」と言っていましたが、それくらい豊か。

*2:実際にはどんな仕事も長続きしなかったクリストファーが、鞄会社のそこそこ有能リーマンだったり、娘が健常だったり、ある意味主人公はクリストファーじゃなく、『クマのプーさん』を幼少期に読んでいた一般人でも置き換え可能な内容!